日本人のための「憲法改正」入門

日本人が日本のために、そして世界の平和と繁栄に貢献できる国家となるために、必要となる憲法改正について考えましょう。

変えられなかった理由

2013-02-02 | 日記
日本の憲法の改正手続きは憲法96条に書かれています。
もう一度見てみましょう。

96条 この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票または国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数を必要とする。
② 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

この規定から、国会議員の総議員の三分の二の賛成を経ることが、現実的にはかなり困難であるということは理解できると思います。

今の安倍政権は、この改正規定を改正するところから始めようとしています。この国会議員の各議員の総議員の三分の二というところを緩和しない限り、憲法の改正は容易ではないでしょう。

日本では戦後、現在の憲法が制定されてからというもの、一度も改正されることなく、ここまで来ています。これを世界に誇るべきであるという人もいますが、憲法も法律である限り、現実とかけ離れた規定があると、逆に国家や国民を守ることが難しくなってしまうのです。

やはり憲法はある種の政治理念の宣言であると同時に、現実を動かす法律であると思います。したがって、自分たちで必要な限りで、柔軟に変更していくべきものです。

外国では憲法の改正は頻繁に行われています。アメリカでも最初は権利保護規定などが存在していなかったため、修正として追加されていますし、ノルウェーなどは頻繁な改正で90回以上、ベルギーなどもノルウェーに負けないくらいの改正回数を重ねています。スイスなども部分改正などで119回に及びます。ドイツも改正回数は多く、日本のように長い間全く改正していない憲法というのはかなり特殊なのです。

日本人にとってはこの憲法がまさに「不磨の大典」として存在していて、日本人はなぜか、憲法を変えることに罪悪感さえ持っているのではないかと思えるほどです。

改正手続きの問題もあるとはいえ、日本人が本気で憲法を変えようとは考えなかった、としか言いようがありません。

確かに、それで日本は戦後復興し、発展し、繁栄してきたので、憲法に守られてきたのだと考える人がいてもおかしくはありません。

要するに、戦後日本は平和のうちに経済的繁栄を謳歌し、その中で安泰の眠りにあったと言えるでしょう。

しかし、これからは、本当に日本人の意思で、その積極的な姿勢で、国家を形成していく時代に入りました。

これまでのように、自国のことだけを考えていれば済んでいた時代は終わり、世界において、日本が何らかの積極的な役割を果たさなければならない時代に突入したのです。

その日本という国家の使命を考えることなく、憲法の改正を論じてもあまり意味はありません。

従来の改正論議が、そのような国家の理想や使命や役割や責任というものを十分に踏まえることのない議論に終始していたことを本当に残念に思います。

世界の平和と繁栄に、責任をもって積極的に貢献するという使命感をもってこそ、日本の憲法改正は本当に意味のあるものになるのです。

そのような前提や方向性を決して忘れてはなりません。

日本人は敗戦によって自信を失い、国家や自分たちのあるべき理想を失ってしまったからこそ、自分たちの意思で憲法を変えられなかったのです。このような消極的、自虐的、他人任せの姿勢を脱して、真に責任ある独立国家とならなければならないのです。