日本人のための「憲法改正」入門

日本人が日本のために、そして世界の平和と繁栄に貢献できる国家となるために、必要となる憲法改正について考えましょう。

憲法の前文の思想

2013-07-14 | 日記
現在の憲法の前文がかかえる問題点について考えてみましょう。

私が中学生だった頃、社会の先生が憲法の前文をまる暗記させ、それをテストに出すということが行われていました。これは今の中学の教育でも行っているところがあるようです。

憲法の前文に日本の理想としての「人権の尊重」や「主権在民」や「平和主義」が盛られていて、これをしっかりと中学生の心に定着させることが素晴らしいことだと思われているのだと思います。

人権は確かに人類が長年の努力の成果として手にしてきたものであり、大切に守らなければならないことは言うまでもありません。また、「主権在民」も同様に、国民の姿勢や見識にもよりますが、大切な政治原理であると思います。

「平和主義」も当然のことですが、だれも戦時を生きたいと思う人はいないでしょう。全世界が平和に生きられるということは全人類の理想であることは言うまでもないことです。

日本が大戦に敗れた直後に作られた現憲法の前文の中に、近代社会の理想とされた原理が盛られていることはいいのですが、この全文を丁寧に読めば、当時の日本の置かれた特殊な立場に起因するものが多々あるのです。

先の大戦では日本は欧米の世界支配に対して、覇権争いをして敗れたわけですが、その戦いぶりはすさまじく、アジアの国々の人々に白人支配から独立するための勇気を与えました。戦争には敗れたものの、結果的に多くのアジアの植民地は独立を果たしました。

日本との戦争を戦った欧米諸国は日本の強さに脅威を感じ、その骨抜きを図らなければまた欧米諸国に反乱を起こすのではないかと考え、徹底的な弱体化をもくろんだわけです。

憲法の前文にあるように「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」させられたのですが、これは日本がおとなしくしていれば戦争は起きない、世界の国々は平和を愛する国民でしたが、我が国は戦争を起こした悪い国でした、という含みがあります(憲法第9条もその流れの中で理解できます)。

終戦にともなう厭戦気分の中で、二度と戦争はしない、世界が平和でありますように、という考えは受け入れられやすいものです。また、戦争に負ければ負けた側がすべての責任を負わされるのは仕方のないことです。

しかし、この憲法前文に流れる「日本は悪、世界(連合国側)は善」という考えが、日本の戦後のあらゆる面において、消極的で、受け身で、自主性や主体性のない国家を作るための根本思想になったのです。

日本が全面的に悪だったわけでもなく、アメリカを中心とした世界が善だったわけでもありません。一方的な侵略戦争は別として、戦争というのはそれなりの理由があり、それぞれの利害や大義をもとに戦うもので、一律に断罪できないものです。

負けた日本は賊軍となり、世界の中で積極的な役割を果たせないよう、国際政治的には消極的な役割(自信喪失)が日本に与えられたわけです。そして、独立を果たして以降も日本人は自ら憲法を変えて自分たちの理想をそこに盛り込むということをすることなく、占領支配されていた時のままの憲法を大切に守り続けています。

現憲法の前文は言葉としては美辞麗句に彩られてはいますが、よく読むと矛盾や日本語としておかしなものも多々あります。また日本の歴史や伝統や中心となる価値観が抜け落ちているのです。

日本が自らの主権を守り、世界の平和と繁栄に積極的に貢献していくためには、現憲法の「平和主義」は大変弱いものだと思いますし、このままでは国家の独立を守ることも難しいと思います。

戦後数多くの人々の努力で日本は経済的には繁栄を作ってきました。しかし、政治的な影響力や発言力は小さく、また積極的な世界ビジョンを出すこともできないままになっています。

今回は前文の「平和主義」の問題点について簡単に述べました。次回以降はその他の憲法の基本原理とされる「人権の尊重」や「国民主権」に潜む問題点について述べてみたいと思います。