先日マーネジャーさんの携帯に、
「某ラジオで流れた 『雨の錦帯橋』が忘れられなくて、どうしても手に入れたいのだけど、インターネットは出来ないし、近所にCDショップもなくて、なんとか手に入れたくて電話を調べてかけました」
という内容のお電話がありました。
それを聞いて、私はもちろんマネージャーさんも 母も胸が熱くなりました。
ラジオでお聞き下さった瞬間、その方にとってもう一度会いたい歌になった事、あちらこちら調べてようやく電話をかけて来られた事、そしてCDを手に入れる方法がどうしても無い方がいるということ…。
我々は当たり前にインターネットを使いますので、気づけない事があるのですね。
この広い日本の何処かで、
耳を通り過ぎたであろう「雨の錦帯橋」が、誰かにとってとても恋しい歌になっただなんて、
歌い手として、これ以上の幸せはありませんでした。
歌を歌う事は仕事ではありますが、
あえて「歌手」ではなく「歌い手」だと自覚しているところがあります。
これは市川先生の教えでもあります。
ふっと流れたこの歌に、
また会いたいと言ってくださる方がいたことが凄く嬉しくて、
キャンペーンを重ねている私には、
「歌手」ではなくて「歌い手」であることをしっかりと思い出させてくれた出来事でした。
「某ラジオで流れた 『雨の錦帯橋』が忘れられなくて、どうしても手に入れたいのだけど、インターネットは出来ないし、近所にCDショップもなくて、なんとか手に入れたくて電話を調べてかけました」
という内容のお電話がありました。
それを聞いて、私はもちろんマネージャーさんも 母も胸が熱くなりました。
ラジオでお聞き下さった瞬間、その方にとってもう一度会いたい歌になった事、あちらこちら調べてようやく電話をかけて来られた事、そしてCDを手に入れる方法がどうしても無い方がいるということ…。
我々は当たり前にインターネットを使いますので、気づけない事があるのですね。
この広い日本の何処かで、
耳を通り過ぎたであろう「雨の錦帯橋」が、誰かにとってとても恋しい歌になっただなんて、
歌い手として、これ以上の幸せはありませんでした。
歌を歌う事は仕事ではありますが、
あえて「歌手」ではなく「歌い手」だと自覚しているところがあります。
これは市川先生の教えでもあります。
ふっと流れたこの歌に、
また会いたいと言ってくださる方がいたことが凄く嬉しくて、
キャンペーンを重ねている私には、
「歌手」ではなくて「歌い手」であることをしっかりと思い出させてくれた出来事でした。