残念なお話をしなければなりません。
昨日11/30をもって、私をデビュー当時からずっと支え続けてくれた、後援会事務所のある「鷹鮨」がお店を閉める事になりました。
私にとって、あそこは家族と思う場所。帰る場所。
東京に何の根もなかった私が「三鷹」に住む意味を感じ、あかの他人が時を重ねて家族のような存在になっていく時間、涙も笑顔も・・・数え切れぬ瞬間をあそこで迎えました。
時には本当の親子でもしないようなケンカをしてみては、周囲に笑われたり、
仕事がない日々は、泣き虫な私をいつも笑顔に変えてくれ、
お魚が苦手だった私が、大の魚好きになり、
最高級のお料理を教えて下さり、
何より、山口瑠美の命でもある「後援会」をずっと守ってくれた場所です。
大阪から帰ってきてすぐ翌日から、ゆっくりお店に居ることが出来ました。
大好きな常連さんと、笑って泣いて、笑って泣いて・・・、
そんな風に、最後の時間を過ごす事ができた運命に感謝しています。
私に、「歌」を諦めさせなかった「後援会」の存在は私の命そのもの。
15年間守り続けてくれたマスター、
そして温かく支えて下さった皆様、
それから、お店の常連さん・・・
40年以上続いた「鷹鮨」。
1人・・・また1人と暖簾をくぐって「またね!」のご挨拶。
そうです。またね、またね。
またどこかで会いましょう。
「鷹鮨」。
私の人生でこのお店以上のお店には
出会う事はないでしょう。
最高の縁をくれた神様にありがとう。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
「山口瑠美後援会」は引き続き会長名も変わらず続けて参りますけれども、
住所など実務的な変更に追われている状況です。
はっきりと決まりましたら、BLOG・るみ新聞等で皆さまにお知らせさせて頂きますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
昨日11/30をもって、私をデビュー当時からずっと支え続けてくれた、後援会事務所のある「鷹鮨」がお店を閉める事になりました。
私にとって、あそこは家族と思う場所。帰る場所。
東京に何の根もなかった私が「三鷹」に住む意味を感じ、あかの他人が時を重ねて家族のような存在になっていく時間、涙も笑顔も・・・数え切れぬ瞬間をあそこで迎えました。
時には本当の親子でもしないようなケンカをしてみては、周囲に笑われたり、
仕事がない日々は、泣き虫な私をいつも笑顔に変えてくれ、
お魚が苦手だった私が、大の魚好きになり、
最高級のお料理を教えて下さり、
何より、山口瑠美の命でもある「後援会」をずっと守ってくれた場所です。
大阪から帰ってきてすぐ翌日から、ゆっくりお店に居ることが出来ました。
大好きな常連さんと、笑って泣いて、笑って泣いて・・・、
そんな風に、最後の時間を過ごす事ができた運命に感謝しています。
私に、「歌」を諦めさせなかった「後援会」の存在は私の命そのもの。
15年間守り続けてくれたマスター、
そして温かく支えて下さった皆様、
それから、お店の常連さん・・・
40年以上続いた「鷹鮨」。
1人・・・また1人と暖簾をくぐって「またね!」のご挨拶。
そうです。またね、またね。
またどこかで会いましょう。
「鷹鮨」。
私の人生でこのお店以上のお店には
出会う事はないでしょう。
最高の縁をくれた神様にありがとう。
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
「山口瑠美後援会」は引き続き会長名も変わらず続けて参りますけれども、
住所など実務的な変更に追われている状況です。
はっきりと決まりましたら、BLOG・るみ新聞等で皆さまにお知らせさせて頂きますので、
どうぞよろしくお願いいたします。