愛とは何か?
長い間というか、今まで”愛”について本気で考えることはありませんでしたし、愛するとはどういうことなのか、言葉にしてはっきりと理解することも、してきませんでした。
なんとなく、「命をかけてまで守りたいもの」なのではないかと漠然と考えていた程度でしたから、RAPTブログの御言葉を聞くようになって、初めて”愛”について教えてもらったような気がします。
「今頃知ったんかい。遅いよ!」と言われるのは覚悟の上ですが、事実だから仕方ありません。
聖書には愛について、「心と思いと精神を尽くして神様を愛しなさい」と「隣人を自分のように愛しなさい」と言われています。
ただ、愛について良く解っていない状態で愛そうとするので愛せない。
御言葉では「愛というのは相手の心情を慮って、相手の心情を察して、相手が喜ぶことを命がけでやることが愛である」と仰いました。
言葉というのは凄いですね。
こうやって言葉にすると、そうだよな!と、具体的に頭の中でイメージ出来るようになります。
シンプルで解りやすいのですが、実際これを実行しようとすると大変難しい。
「隣人を愛しなさい」を実行しようとすると、出会う人の全てに対してこれを実行しなければならない。
今の自分にそれができるのか、自信は全くない。
まさに、神様の道は狭い道に違いない。
この御言葉を知った時は「これが究極の愛」だと思っていたが、後の御言葉でさらに次元の上がった愛の表現が出た。
とにかく、次元はどんどん上がっていくのだ。
ラプトさんが仰った愛についての御言葉。
「自分が何をしたら幸せになれるかを祈り求めたのではなくて、神様が何をしたら最も喜ぶのかを祈り求めた。」
その結果、神様はラプトさんが最も幸せになれる道を示してくださった。
両方が相手の事を考えて、
「私は神様が何をして欲しいと願っているのかというのを求めたし、神様は一番私が幸せになれる道を教えてくくださった。」
ラプトさんの祈りに対して、神様は何をしたら喜ぶよと答えたのではない。
両方が互いに相手の事を考える”愛”
こんなことは誰も教えてくれなかった。