無駄話

見ても読んでも無味乾燥で面白くもなく、また得に益にもならず、またなんら役にもたちませんが、よろしければ宜しく。✌

車と社会

2024年07月20日 | 日記
図書館に新聞を見に行った。
漢字にひらがなに理解不能なカタカナ。
だから新聞は、読むと脳が疲れ果てる。そう、能が薄すぎ!
この場合の、能と脳の表現は正しいのか!・?。
またまた、そんな漢字テストでも受験するようなことを!?。
そんなことは、背中の後ろに投げ捨てて、棄てよう。
ところで新聞を開いたら、政治の難しい記事の下に、
こんな掲載が⬇️、
車の運転も初試験から、何回となく更新してきた。
しか~し、次回の更新時には困難な受験が待ち受けているようだ。
だが、車を廃棄ゴミにしてはいけない。
免許更新の試験を突破し、合格者になる必要がある。が、厳しい!
日本に居る限り、法律制度上、当たり前か。
今回は、免許更新の試験突破には認知症の検査があるようだ。
更に、試験には、吾はあまり使うことのない福沢諭吉か、新しい渋沢栄一の日本銀行券が消えてゆくとの噂も飛び跳ねているようだ。
確かに、高齢者の運転する突発的事故が、ニュースの話題となる。
取り返しのできない、また、聞くに耐えない事故が多すぎる。
やむを得ない対策と納得だけど、薄い能がこの試験の合格者になれるか、それが疑問!・疑問?と自己能力を疑っている。
小学生になってから死ぬまで【試験】に苛められてる。
薄すぎる能力を試す【試験】の無い社会は、無かっただろうか?
気付いた時は、遅すぎた。
そんなことを思うと、大好きな甘納豆やお菓子も苦くなる。
だから、もう無駄な思考の悩みは、止めよう。
そうです、人生、悔やんでも始まらないし、終わるときは終る。
で・・・今回は、これで終わり、です。・・・BYE-BYE!





コメント (1)
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