あるいて健康 奈良県歩け歩け協会 例会情報

ウォーキング愛好グループ「奈良県歩け歩け協会」の例会に参加し、コースマップを中心に訪問地の写真で綴ります。

設立30周年記念 下ツ道ウォーク①

2016年09月29日 | 日記
ウォーキングの愛好者グループ「奈良県歩け歩け協会」で、「設立30周年記念 下ツ道ウォーク①」をテーマにした例会が、10月16日(日)に予定されています。
近鉄大和八木駅に9時に集合して 「八木札の辻 - 田原本イベント広場(津島神社) - 鏡作神社 - 唐古・鍵遺跡 - 近鉄二階堂駅 - 菅田神社」を辿り、近鉄平端駅へ至る約15Kmのウォークです。




例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、原則として雨天でも例会は実施されます。


例会当日の朝7時に目的地に気象警報が発令された場合は、例会は中止されますのでご注意下さい。


下ツ道

下ツ道は、上ッ道・中ッ道とあわせて奈良盆地を南北に縦断する古代の幹線道路で、藤原京と平城京造営の基準になったとされています。下ツ道は基幹の交通だけでなく、古代の条里制で下ツ道を境に路東と路西に分けられていました。下ツ道が文献に最初に登場するのは「日本書紀」天武天皇元年(672)の壬申の乱の記事です。
また下ツ道は中街道とも呼ばれ、北は奈良を越えて山城まで達し、南は吉野・紀伊方面に通じていました。


下ツ道の地図情報は、奈良県の観光情報サイトhttp://www3.pref.nara.jp/miryoku/aruku/secure/2293/map.pdfからPDFファイルがダウンロード出来ます。

八木札の辻

古代から奈良盆地を東西に横断する横大路と南北に縦断する下ツ道という幹線道路が在りました。この二つの幹線の交差点が札の辻です。江戸時代中期以降に交差点中央に高札(広報掲示板)が置かれたことから札の辻と呼ばれました。


鏡作神社







この地は古代鏡作集団が居たととされる鏡作郷に比定され、神宝として「三神二獣鏡」が所蔵されています。


唐古・鍵遺跡



日本の弥生時代を代表する環濠集落で、奈良盆地のほぼ中央、初瀬川と寺川に挟まれた沖積地に立地します。発掘調査で楼閣を描いた土器片が出土し注目を集めました。唐古池の一角に楼閣が復元され、遺跡のシンボルとなっています。


菅田神社





祭神の天目一箇神(あめのもひとつのかみ)は、鍛冶や製鉄の神として信仰されています。





最後までご覧いただきありがとうございました。




昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。

「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、例会当日に集合場所に直接お越し頂くかまでメールして下さい。







飛鳥を識る『飛鳥の三人の女帝』

2016年09月09日 | 日記
ウォーキングの愛好者グループ「奈良県歩け歩け協会」で、「飛鳥を識る 飛鳥の三人の女帝」をテーマにした例会が、9月18日(日)に予定されています。
近鉄橿原銀宮前駅東口に9時30分に集合して 「植山古墳 - 牽牛子塚古墳 - 天武・持統陵 - 川原寺跡 - 飛鳥宮跡(伝板葺宮跡) - 浄御原宮跡 - 豊浦宮跡 - 小墾田宮跡 - 本薬師寺跡」を辿り、近鉄畝傍御陵前駅へ至る約13Kmのウォークです。




例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、原則として雨天でも例会は実施されます。


例会当日の朝7時に目的地に気象警報が発令された場合は、例会は中止されますのでご注意下さい。


コースマップ



植山古墳





植山古墳は、東西40m、南北27mの長方形の墳丘の古墳時代終末期(7世紀末)の古墳で、丘陵の南斜面を利用して墳丘部分を削り出すようにして築かれています。
墳丘に東西に並ぶ二つの横穴式石室があることから、日本書紀に「推古天皇は息子の竹田皇子の墓に合葬された」とあり、河内の磯長谷に在る推古天皇陵に改葬される前の合葬墓の可能性が考えられています。



牽牛子塚古墳





古墳時代終末期に築造された直径約30mの八角形墳で、巨大な凝灰岩をくりぬいた精巧な横穴式石槨は厚さ0.5mの壁で仕切られ、築造当時から二つの棺の埋葬を計画して造られた合葬墓で、飛鳥時代の女帝である斉明天皇と間人皇女を被葬者とする見方が有力です。


天武・持統陵





天武・持統天応が眠る八角で、分歴2年(1235)に盗掘にあったと記す「阿不幾乃山陵記」によれば、全長約7.5mの横穴式石槨の中には、金銅製の棺台の上に置かれた漆塗り木棺と、金銅製外容器に銀製の骨蔵器があったといわれ、前者が天武天皇の棺・後者が持統天皇の火葬骨を納めたものと考えられています。


川原寺跡



飛鳥寺・薬師寺・大官大寺とともに飛鳥四大寺に数えられ、平城遷都後も飛鳥の地に残り斉明天皇の冥福祈りました。息子の天智天皇が創建したとと伝わります。


飛鳥宮跡(伝板葺宮跡)



板葺宮は、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で、中大兄皇子(天智天皇)らによって蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変(大化の改新)の舞台です。ここには複数の宮殿遺構が重なっていて、現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄後原宮」のものです。


酒船石





酒船石(さかふねいし)は、飛鳥を代表する謎の石造物です。平らに加工さてた表面には、円・隅丸方形・楕円の窪みが彫られ、それらを直線で溝が結んでいます。酒造りに用いたと伝わることからこの名が付いたが、用途はいまだに分かっていません。


本薬師寺跡









本薬師寺跡(もとやくしじあと)は、「日本書紀」によると天武9年(680)に天武天皇が皇后(持統天皇)の病平癒を祈念して発願された寺です。堂塔の位置関係や礎石配置が平城京の薬師寺と一致することから移築説が有力視されていたが、発掘調査により一部の堂塔は移建されないまま旧地にのこっていた可能性があることが分かりました。






最後までご覧いただきありがとうございました。




昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。

「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、例会当日に集合場所に直接お越し頂くか<yakuoji@gmail.com>までメールして下さい。