あるいて健康 奈良県歩け歩け協会 例会情報

ウォーキング愛好グループ「奈良県歩け歩け協会」の例会に参加し、コースマップを中心に訪問地の写真で綴ります。

ふたかみ山を仰ぎつつ北葛(ほっかつ)の里を歩く

2014年09月27日 | ウォーキング
ウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」で、「ふたかみ山を仰ぎつつ北葛(ほっかつ)の里を歩く」をテーマにした例会が、10月19(日)に予定されています。
近鉄下田駅に9時に集合して「顕宗天皇陵 - 大坂山口神社 - 加守(掃守)神社 - 二上山ふるさと公園 - 傘堂 - 當麻山口神社 - 當麻寺」を辿り、近鉄当麻寺駅へ至る約12Kmのウォークです。



例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、例会当日の朝7時の天気予報で警報が出ていなければ、原則として雨天でも例会は実施されます。



コースマップ



顕宗天皇陵



第二三代顕宗天皇の傍丘磐杯丘南陵(かたおかのいわれつきのおかのみなみのみささぎ)で、前方後円墳です。


大坂山口神社(逢坂)



須左之男命(すさのおのみこと)、大山祇命(おおやもつみのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。近くに穴虫の大坂山口神社が在り、立地上からも穴虫の方が有力なようです。延喜式中では、飛鳥・石村(いはれ)・忍坂・長谷・畝火・耳無の山口神の名が見え、他に式内社として夜支布・巨勢・鴨・當麻・大坂・吉野・都祁の八社があり、合わせて十四社が大社で重要視されていた神です。


大坂山口神社(穴虫)





山口神とは皇室の宮殿の用材を切り出す山々の神とされています。山の神を祀ることは、水の神も農の神も祀ることを意味していました。この神社は、穴虫峠で小丘の麓に立地していて信仰の意味を除けば、実際にこの山から用材を切り出したとは考え難いとされています。


加守(掃守)神社




二上山への登山口に鎮座していて、明治の神仏分離までは大きな寺院でした。この社は一般的には加守神社(かもりじんじゃ)と呼ばれていますが、正式には葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎのしとりにいますあめのはづち)です。すぐ近く北の谷に廃寺となった加守寺(掃守寺、竜峯寺)の跡があります。


二上山ふるさと公園

広々とした芝生が広がる公園です。眺めも良く、展望台からは奈良盆地が一望できます。


傘堂

この建物は郡山藩主の本多政勝の菩提を弔うために、家臣やこの地域の農民達により延宝二年(1674)に建立されたものです。一辺がが約40センチの四角い一本柱を立て、その上に本瓦葺の屋根がのる珍しい形から傘堂と呼ばれています。


當麻山口神社





傘堂の横に立派な鳥居が立ち、二上山登山口手前にある古社です。縁起式内小社で「人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(八五三年)夏四月、冬十一月これを祭る」と記されます。近郷十六ヵ村の郷土鎮守産土大神として信仰されてきました。


當麻寺



中将姫ゆかりの寺として知られ、大和屈指の牡丹寺としても有名です。推古二十年(612)、聖徳太子の弟である麻呂子親王が弥勒仏を本尊とする「禅林寺」として草創したのが始まりと伝えられます。


當麻蹶速の塚

相撲の起源として、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の天覧相撲が日本書紀に記されています。大和の国當麻の邑にいた當麻蹶速は素手で角をへし折るほどの怪力の持ち主で、常日頃から「この世で自分と互角に力比べができるものはいない」と豪語していました。垂仁天皇7年7月7日に出雲の国から呼び寄せた野見宿禰と當麻蹶速の対戦が行われ、長い戦いの末に蹶速はこの試合で命を落としてしまいました。この「宿禰」と「蹶速」の力比べが相撲の発祥とされています。




最後までご覧いただき有難うございました。



昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。

「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、<yakuoji@gmail.com>までメールいただくか、次の連絡先へお問い合わせください。

  連絡先: 庶務担当理事 塩見 (090-8575-0593)


大和三山と本薬師寺跡のホテイアオイ

2014年09月11日 | ウォーキング
ウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」で、「大和三山と本薬師寺跡のホテイアオイ」をテーマにした例会が、9月21(日)に予定されています。
近鉄大和八木駅に9時に集合して「耳成山口神社 - 香具山 - 藤原宮跡資料室 - 天岩戸神社 - 紀寺跡-本薬師寺跡-畝火山口神社-東大谷日女命神社」を辿り、近鉄橿原神宮前駅へ至る約14Kmのウォークです。



例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、例会当日の朝7時の天気予報で警報が出ていなければ、原則として雨天でも例会は実施されます。



コースマップ



藤原宮跡をとり囲むように耳成山・香具山・畝傍山の大和三山位置するこの景勝に優れたこの地は、古くから数々の歌に詠まれてきました。

  香具山は 畝火ををしと 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も
     然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき       中大兄皇子



耳成山









耳成山は三山のなかでは最も低い137.9mの山ですが、円錐状の整った山容の死火山の死火山です。八合目に位置する耳成山口神社は、大山祇命と高御産霊神を祀る神社で、農耕神であり水の神でもあります。


藤原宮跡資料室

奈良文化財研究所が行った都城発掘調査の研究成果を紹介展示しています。


香具山

「春過ぎて 夏来るらし」の歌で有名で、天香久山ともよばれます。多武峰から北西に延びた尾根が浸食により切り離され、小丘陵として残った152.4mの山です。


天岩戸神社



祭神は天照大神で、神話にみえる天照大神の岩戸がくれの所とされ4個の巨石があります。


紀寺跡

紀寺は紀氏(きのうじ)の氏寺で、藤原京の左京に聳えていた大寺院でした。紀氏は蘇我氏や阿倍氏といった大和系の豪族ではなく、紀ノ川河口から和泉南部地方を本拠とした地方豪族にすぎませんが、大和朝廷の外交政策と軍事で活躍した謎の古代豪族とされています。


本薬師寺跡











天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈り建立した寺院です。平城京遷都に伴い移転したが、金堂・東塔・西塔などの伽藍配置と規模は現在の薬師寺とほぼ同じであったことが発掘調査で確認されています。本薬師寺跡の周りの休耕田では小学生の手でホテイアオイが栽培され、初秋の風物詩として観光名所となっています。


畝火山口神社



畝傍山の西麓にある神社で、気長足姫命(神功皇后)・豊受比売命・表筒男命を祀り、神功皇后が応神天皇を出産したとの伝承により、安産の神として信仰されています。元は山頂に鎮座していたが、昭和15年(1940)に橿原神宮で拡張工事が行われた際に神宮や神武天皇陵を見下ろすのは良くないとして、現在の位置へ遷座しました。


東大谷日女命神社





この神社の創造は不明で、徳川時代には氏神・熊野神社として明治11年(1878)頃まで熊野権現を祀っていて、祭神は伊弉冉尊(イザナミ)でした。明治20年(1887)頃から当社を式内・東太谷日女命神社として祭神を功皇后へ変えたが、その後に姫蹈鞴五十鈴媛命に変更し、明治35年(1902)に社名を東大谷日女命神社に変更したとされています。





最後までご覧いただき有難うございました。



昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。

「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、<yakuoji@gmail.com>までメールいただくか、次の連絡先へお問い合わせください。

  連絡先: 庶務担当理事 塩見 (090-8575-0593)