ウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」で、「ふたかみ山を仰ぎつつ北葛(ほっかつ)の里を歩く」をテーマにした例会が、10月19(日)に予定されています。
近鉄下田駅に9時に集合して「顕宗天皇陵 - 大坂山口神社 - 加守(掃守)神社 - 二上山ふるさと公園 - 傘堂 - 當麻山口神社 - 當麻寺」を辿り、近鉄当麻寺駅へ至る約12Kmのウォークです。
例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、例会当日の朝7時の天気予報で警報が出ていなければ、原則として雨天でも例会は実施されます。
コースマップ
顕宗天皇陵
第二三代顕宗天皇の傍丘磐杯丘南陵(かたおかのいわれつきのおかのみなみのみささぎ)で、前方後円墳です。
大坂山口神社(逢坂)
須左之男命(すさのおのみこと)、大山祇命(おおやもつみのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。近くに穴虫の大坂山口神社が在り、立地上からも穴虫の方が有力なようです。延喜式中では、飛鳥・石村(いはれ)・忍坂・長谷・畝火・耳無の山口神の名が見え、他に式内社として夜支布・巨勢・鴨・當麻・大坂・吉野・都祁の八社があり、合わせて十四社が大社で重要視されていた神です。
大坂山口神社(穴虫)
山口神とは皇室の宮殿の用材を切り出す山々の神とされています。山の神を祀ることは、水の神も農の神も祀ることを意味していました。この神社は、穴虫峠で小丘の麓に立地していて信仰の意味を除けば、実際にこの山から用材を切り出したとは考え難いとされています。
加守(掃守)神社
二上山への登山口に鎮座していて、明治の神仏分離までは大きな寺院でした。この社は一般的には加守神社(かもりじんじゃ)と呼ばれていますが、正式には葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎのしとりにいますあめのはづち)です。すぐ近く北の谷に廃寺となった加守寺(掃守寺、竜峯寺)の跡があります。
二上山ふるさと公園
広々とした芝生が広がる公園です。眺めも良く、展望台からは奈良盆地が一望できます。
傘堂
この建物は郡山藩主の本多政勝の菩提を弔うために、家臣やこの地域の農民達により延宝二年(1674)に建立されたものです。一辺がが約40センチの四角い一本柱を立て、その上に本瓦葺の屋根がのる珍しい形から傘堂と呼ばれています。
當麻山口神社
傘堂の横に立派な鳥居が立ち、二上山登山口手前にある古社です。縁起式内小社で「人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(八五三年)夏四月、冬十一月これを祭る」と記されます。近郷十六ヵ村の郷土鎮守産土大神として信仰されてきました。
當麻寺
中将姫ゆかりの寺として知られ、大和屈指の牡丹寺としても有名です。推古二十年(612)、聖徳太子の弟である麻呂子親王が弥勒仏を本尊とする「禅林寺」として草創したのが始まりと伝えられます。
當麻蹶速の塚
相撲の起源として、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の天覧相撲が日本書紀に記されています。大和の国當麻の邑にいた當麻蹶速は素手で角をへし折るほどの怪力の持ち主で、常日頃から「この世で自分と互角に力比べができるものはいない」と豪語していました。垂仁天皇7年7月7日に出雲の国から呼び寄せた野見宿禰と當麻蹶速の対戦が行われ、長い戦いの末に蹶速はこの試合で命を落としてしまいました。この「宿禰」と「蹶速」の力比べが相撲の発祥とされています。
最後までご覧いただき有難うございました。
昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。
「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、<yakuoji@gmail.com>までメールいただくか、次の連絡先へお問い合わせください。
連絡先: 庶務担当理事 塩見 (090-8575-0593)
近鉄下田駅に9時に集合して「顕宗天皇陵 - 大坂山口神社 - 加守(掃守)神社 - 二上山ふるさと公園 - 傘堂 - 當麻山口神社 - 當麻寺」を辿り、近鉄当麻寺駅へ至る約12Kmのウォークです。
例会の当日は天候他の事情により、コースが変更される場合もあります。
ウォーキングは野外を歩き自然と親しむ機会です。雨も自然ですから、例会当日の朝7時の天気予報で警報が出ていなければ、原則として雨天でも例会は実施されます。
コースマップ
顕宗天皇陵
第二三代顕宗天皇の傍丘磐杯丘南陵(かたおかのいわれつきのおかのみなみのみささぎ)で、前方後円墳です。
大坂山口神社(逢坂)
須左之男命(すさのおのみこと)、大山祇命(おおやもつみのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。近くに穴虫の大坂山口神社が在り、立地上からも穴虫の方が有力なようです。延喜式中では、飛鳥・石村(いはれ)・忍坂・長谷・畝火・耳無の山口神の名が見え、他に式内社として夜支布・巨勢・鴨・當麻・大坂・吉野・都祁の八社があり、合わせて十四社が大社で重要視されていた神です。
大坂山口神社(穴虫)
山口神とは皇室の宮殿の用材を切り出す山々の神とされています。山の神を祀ることは、水の神も農の神も祀ることを意味していました。この神社は、穴虫峠で小丘の麓に立地していて信仰の意味を除けば、実際にこの山から用材を切り出したとは考え難いとされています。
加守(掃守)神社
二上山への登山口に鎮座していて、明治の神仏分離までは大きな寺院でした。この社は一般的には加守神社(かもりじんじゃ)と呼ばれていますが、正式には葛木倭文坐天羽雷命神社(かつらぎのしとりにいますあめのはづち)です。すぐ近く北の谷に廃寺となった加守寺(掃守寺、竜峯寺)の跡があります。
二上山ふるさと公園
広々とした芝生が広がる公園です。眺めも良く、展望台からは奈良盆地が一望できます。
傘堂
この建物は郡山藩主の本多政勝の菩提を弔うために、家臣やこの地域の農民達により延宝二年(1674)に建立されたものです。一辺がが約40センチの四角い一本柱を立て、その上に本瓦葺の屋根がのる珍しい形から傘堂と呼ばれています。
當麻山口神社
傘堂の横に立派な鳥居が立ち、二上山登山口手前にある古社です。縁起式内小社で「人皇五十五代文徳天皇仁寿三年(八五三年)夏四月、冬十一月これを祭る」と記されます。近郷十六ヵ村の郷土鎮守産土大神として信仰されてきました。
當麻寺
中将姫ゆかりの寺として知られ、大和屈指の牡丹寺としても有名です。推古二十年(612)、聖徳太子の弟である麻呂子親王が弥勒仏を本尊とする「禅林寺」として草創したのが始まりと伝えられます。
當麻蹶速の塚
相撲の起源として、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の天覧相撲が日本書紀に記されています。大和の国當麻の邑にいた當麻蹶速は素手で角をへし折るほどの怪力の持ち主で、常日頃から「この世で自分と互角に力比べができるものはいない」と豪語していました。垂仁天皇7年7月7日に出雲の国から呼び寄せた野見宿禰と當麻蹶速の対戦が行われ、長い戦いの末に蹶速はこの試合で命を落としてしまいました。この「宿禰」と「蹶速」の力比べが相撲の発祥とされています。
最後までご覧いただき有難うございました。
昭和61年に設立された歴史と実績のあるウォーキング愛好者のグループ「奈良県歩け歩け協会」は、歩いて健康の維持や人と人の触れ合いの場を提供することを目的に活動しています。
「奈良県歩け歩け協会」では新規会員を募集しています。例会に体験参加(無料)や入会を希望される方は、<yakuoji@gmail.com>までメールいただくか、次の連絡先へお問い合わせください。
連絡先: 庶務担当理事 塩見 (090-8575-0593)