古庵の書斎から

日々のエッセイ

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2015-01-12 16:31:05 | エッセイ
キューバ危機
 アメリカとキューバが国交正常化に向けて話し合いに入った。このことに関してキューバ危機は忘れられない。それは私の大学3年の秋のこと。そのころ1・2年次と異なって法律と政治学にそれこそ人が変わったようにやみくもに勉強に打ち込んでいました。
 そんな時に突然起こった世界的大事件。キューバを挟んで米ソ冷戦の緊張が一気に危険水域に入ったのです。下宿の部屋にはテレビはなく、近くの下宿仲間とラジオを囲み安酒を飲みながら、刻一刻と伝えられる状況に息をつめて聞き入っていました。
 前年の安保闘争の余韻冷めやらぬ大学生、それも政治学を学びことのほかこの種の出来事に敏感な私たち。ラジオはソ連のミサイルを積んだ貨物船の動きを克明に伝えています。アメリカ・ケネディー大統領は米海軍に自ら引いた一線を越えたら攻撃してもよいとの命令を下しました。あと何時間、何時間とラジオは無慈悲に伝えています。
 日本はアメリカと安保条約という軍事同盟を結び、アメリカ3軍の基地があちこちにあり、当然ソ連の核ミサイルの数発はそこにねらいをつけています。もし地球の反対側で一触即発したら当然東京にも核弾頭をつんだミサイルが瞬時に飛んできます。なまじ政治学を学んでいたので、世界の人間が何億人死のうが一国の最高権力者がやると言ったら必ずやるという冷酷な面があるということを知ってました。
 ですから私たちは、その時ほんとに自分の命はあと数時間しかないと思いました。だったら今のうちに何をしようか。あれをしようか。そんな時、何を考えると思います?。若い男がですよ。
 結局、ことはソ連のフルシチョフ首相が折れて軍事衝突は回避されました。結果あの稀代の女たらしのケネディーは世界を救った英雄として歴史に名を残し、フルシチョフはソ連外交の敗北者として批判され2年後に失脚します。