《東京交響楽団演奏会inミューザ川崎シンフォニーホール(06・8・4)》
●指揮:飯森範親
●ソプラノ:カトリオーナ・スミス
●メゾ・ソプラノ:ヘレーン・ラナーダ
●合唱:東響コーラス(合唱指揮:飯森範親)
◇マーラー:交響曲第2番ハ短調 「復活」
いやー・・・この演奏会、正直まともに感想書く気になれません
演奏が終わる否や即座に席を後にし、帰りの電車の中で連れと悪態ツキツキ帰ってきてしまったので、一度書き出すと
エンドレス悪態フォ~になりそーでコワイですわ
いや、でもせっかくだから少し書こうかな
まず。これだけは言わして。
演奏中、何度心の中で
「そこピアニッシモー!!!!」
と叫んだことか。
この曲にピアニッシモなぞ存在しないとでもいいたげな演奏でしたよ。
指揮者?それともオケの耳が悪いの??
第1楽章の展開部の入りの低弦の葬送行進曲のキザミ、最終楽章の合唱の入り、SPが初めてその声をあらわにするところで寄り添うFlのSPをかき消すほどのデカイ音量、そして音量どころか音色までもに配慮をかくトランペットとホルン、がんばりすぎなティンパニ、そしてバンダがバンダに聴こえないほどのデカイ音量(とくにペット)、ベルのショボイ音、等々。
飯森さんの、わけのわからない浪花節系のフレージング(自然な流れを常にせき止めようとするフレージング)や、第3楽章までの極端に遅いテンポ設定にも辟易
しかし、わずかな時間ですが、この悪い流れが断ち切られた時間は存在しました。
第4楽章「原光」のあまりに素晴らしかったMSの歌唱、そして、このMSの素晴らしい歌唱に導かれるようにして、凄まじい集中度と凝縮力を展開してくれた第5楽章の「怒りの日」のフーガ終了時点くらいまでのオーケストラ。
ここまでは、わずかの時間ではあったけど、
ユメミゴコチでした
一瞬でも音楽を蘇らせてくれたMSに感謝。
あと、ダイナミクスは全然納得いかなかったけど(とくに入りの部分。たぶん指揮者の解釈なのでしょう。)、ハーモニーと発音が格別に素晴らしかった東響コーラスの合唱にも
◎あげちゃう
しかし悲しいことに、それも全体の印象を変えるほどのものではなく。。。 う。
いやー、それにしても、東響ってこんなにひどい演奏をするところでしたっけ?
ひどくダイナミックレンジのせまい、というか厚ぼったく吹きすぎで、後押しも目立って、旋律をかき消すくらいひどい吹き方をしていた1stフルートに、ひどく自信なさげで音程も不確かなオーボエ(第4楽章の自信のなさげっぷりときたらもうたよりなさスギ・・・MSカワイソウ・・・)、高速タンギング(ダブルタンギングかな?)もまともに成功しない、音量デカすぎ音程決まらないホルン、やっちゃったテヌートにやはり音量デカすぎ音程不確かなトランペット、たたきすぎなティンパニ、楽器の音は素晴らしかったけど、ぎこちないコンマスソロ、等々。。。
ホーン・セクションでまともに思えたのは、クラと、2ndフルート、ピッコロ、イングリッシュホルン、そして逆にもう少し存在感が欲しかったけどバスクラ、あたりかなぁ。
連れとさんざん話ていたんですが、なんで日本のオケってこんな吹奏楽的な音の出し方しかできない管楽器奏者が多いんでしょうね。
これは吹奏楽団ではなくて、オーケストラですよっ!!
弦楽器との音色の同調性や、ピアニッシモに対する鋭敏な感覚はいったい何処へ!?そんなものハナから存在しないかのような吹き方ですがな┐(´ー`)┌
東響の厳しい実情は少々耳にしていますが・・・、でもねー。
個人的には、チェロトップが、ボーマンさんじゃなかったのが残念だったなー。
あと、この曲ってどうしても第2、第3楽章でだれる傾向がありますが、今回の演奏もその傾向がテキメン。
自分が2年前この曲を演奏したときにも、やはり第2、第3楽章がどうしてもお粗末になってしまった記憶があります。
途切れやすいんですよ、集中が。長いだけに。
両端楽章は誰でも理解しやすく集中しやすい音楽だけに。指揮者の音楽作りにも大いに起因してると思うし。
プロでもアマと同じ傾向が出るのは、同じ人間だからやむを得ないことですかねー。
いやー。今日はN響だから、もう少しマシな演奏聴けるかなー。
すいませんね。悪態ばかりついて。
ブーレーズ&VPOといい、今回といい、最近『復活』にご縁のないya-ya-でしたっ