見出し画像

あべっちの思いをこめた雑記帳

うれしいひなまつり

 近くの大きめなスーパーに出かけたら、お雛様の歌がBGMとして店内に流れていた。そうか、もうそんな時期なんだなと思う。あかりをつけましょぼんぼりに・・・というメロディーが春を待つ心にうれしく響く。

 3月3日は上巳の節句(じょうしのせっく)。
 別名桃の節句ともよばれる。形や方法こそ違え、平安時代からあったらしい。それが「流し雛」として現在も地方によっては残っている。

 西条八十の弟子にサトウハチローという詩人がいた。
 たくさんの詩を残し、小説や随筆も書いた。また彼は童謡や歌謡曲の作詞もやっている。
 彼の最初の頃の童謡のひとつにこの「うれしいひなまつり」がある。ペンネームがその頃から全部で10以上使用し、この作品は山野三郎という名前で発表した。昭和11年1月のレコード発売、32歳の時である。
 彼の作品はほとんどが戦後まもなくからであり、戦前の童謡としては珍しいヒット作である。

 発表前年の秋、最初の妻と離婚したハチローは三人の子どもを引き取る。
上の二人が小学6年と4年の女の子であった。母と離れて暮らす娘へのせめてものつぐないのつもりか、ハチローは200円もする雛人形一式を買った。これは知る人ぞ知る、有名な話である。当時の大卒初任給の3~4倍の値段なので、現在に換算すると60~70万円もするであろうものを。

 彼はこの歌を終生嫌がっていた。
 なぜかというほんとうの理由は今となっては知るよしもないが、作品として良い出来ではないとは言っていたようだ。白黒テレビでこの歌が流れると次男四郎(現サトウハチロー記念館館長)に、すぐテレビを消せと言われたと、四郎氏本人からは聞いている。

 そもそもこの詩には現実的にとらえておかしいなと思う点がいくつも出てくる。
 二連目の「お内裏様とおひな様」という部分。お内裏様とは一番上の男雛と女雛をカップルとしてとらえた言い方のはず。おひな様とは、人形全体を本来はさすはず。明らかに男雛をお内裏様、女雛をおひな様といっているのは間違いである。厳密にお内裏様といえば雛壇の一番上の二人をさし、天皇と皇后様を表している。私もそのことは知らずに、幼心で歌っていた。

 「お嫁にいらした姉さま」という言い方も変だ。
 もしお嫁さんとして迎えたのであれば、嫁に来た。あるいは嫁をもらった。ハチローの姉がお嫁に行ったことをさすのであれば、嫁に行ったである。
 お嫁にいらしたという表現は、当時は皇族かそれに準じるような人しか使われない言葉である。庶民の間では程遠い言い方であった。そもそも身内の人に敬語を使うことはあり得ないと四郎氏も言っている。その館長から直接説明を聞いたときには、なるほどと思わざるしかなかった。

 三連目「赤いお顔の右大臣」も変である。甘酒を飲んで赤くなるのは左大臣である。右大臣は甘酒は飲まない。歌の世界とはいえ、これは作詞をするときの勘違いという他はないであろう。

 四連目「着物を着かえて帯しめて」もずいぶんとおかしい。
 皇族·貴族ならまだしも、一般家庭で着物を着かえるというのはこの時代にはなかったはず。そのこともハチローは後になってこの歌が気にいらない要因の一つでないのかなと思う。ホテルニューオータニで作詞家石本美由紀氏の記念パーティーによばれた折りに、たまたま当時の日本作詞家協会会長であるハチロー氏本人の話を聞けたが、その時はいろんな話をされた。が、これらのうれしいひなまつりの件はとうとう聞けずじまいであった。

 この詩を書いた時のハチローはすでに姉と妹を亡くしている。結婚が決まっていた姉は、結核を患い、お嫁に行く前に18歳で他界している。色の白いお姉さんだったらしい。
 ハチローはひょっとしたらこの歌で4歳年上だった姉を嫁がせたつもりだったのかもしれない。そう考えるとこの明るい感じの歌をやりきれないなと思い、聴きたくない心境も理解できると次男の四郎氏も申している。あるいは亡き姉がはるか身分の高い家に嫁がせたく、ハチローは「行く」の尊敬語をわざわざ使ったとも私は思わなくもない。

 「しかし鼓のリズムと琴の旋律。この前奏がとても効いていて、曲が品良く聞こえる」。作曲した河村光陽の長女、順子も申しているように、イントロは格別に美しい。ひな祭りという日本の伝統行事にふさわしいメロディーだ。

 ちなみにこの歌の最初のレコードはその順子が歌った。
 それはまたたく間に広がり、ひな祭りの定番歌になった。

 平成15年だったと思うが、サトウハチロー生誕100年のイベントに岩手県北上市へ行った。
 記念館の側の展勝地公園会場で合唱をしたのである。
 満開の桜が色を添え、それは楽しい記念イベントであった。もちろんこの「うれしいひなまつり」も同行30数名で思いをこめて歌った。詩も曲もすばらしいと思いながら、みんなして北上の空に胸を張って歌った。歌声はハチロー氏に届いたであろうか。そのステージはテレビでも新聞でも東京からの合唱団として大きくとりあげられた。

   華やぎてやがて淋しき雛の顔

               本名
     平成30年4月 「商家に伝わるひな人形俳句」  東近江市

       

          「童謡、唱歌、歌謡曲など(1) うれしいひなまつり」

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「童謡、唱歌、歌謡曲など」カテゴリーもっと見る