学生時代には詩で飯を食おうと思い、その道の師に教えを請うため東京へ通ったのも今は昔。才能至らずに努力せずで、むなしくあきらめた頃がなつかしい年頃になった。
俳句から始まり、自由詩から歌謡詞に移り、その間の十数年はムダな期間であったのだろうかなどと今思ってみる。YESとNOが去来する。そしてそのまま仮に続けていたら今頃はどうなったのかなどと自分自身に問いかけてみる。詩が好きなのは今もやっぱり変わりはないが。
詩というものは、ただ単に読んで「ああそうか」と終わってしまってはもったいないなと今でも思う。おおかたの詩には作者の言わんとすることがそこに埋まっている。それを自分で考えることだと思う。そうでなければ詩は作文と同じだ。ただの文字の配列と言ってもいいのかもしれない。
いい詩に出会うということは、作者の意図をとらえ、言わんとすることを引き出すことだと思う。
詩を読むということは、それを感じて、引き出して、自分なりに考えることだと思う。
詩を書くということは、自分のことばで、モノの心を自分なりに見て、自分なりに書くことだと思う。
それができなかった自分が今ここにいる。
「生命の詩(26)詩を志していたあの頃を振り返る」