戦争や戦いで亡くなった未婚の子を、せめてあの世でお嫁さんをという親の切ない願いから生まれたムサカリ絵馬。江戸時代から続き、この最上・村上地方独特の風習だという。
若松寺は最上三十三観音の第1番として知られ、開創が室町時代までさかのぼる国内有数の歴史を持つ巡礼地。国指定重要文化財にもなっている。
山形藩主最上家五代目・頼宗の美しい一人娘・光姫が、自身をめぐる争いで命を絶たれた武将を憂いて出家し、三十三の霊場を巡ったことに由来するとも伝えられている。
708年開山で、縁結びで知られ、「西の出雲、東の若松」と言われるほど名高い。記したように最上三十三観音の第1番札所だが、2番目があの芭蕉も訪ねた山寺(立石寺)となる。
観音堂が国指定の重要文化財で、観音像懸仏や神馬図も同じく重文に指定されている。
この若松寺は縁結びとして知られているが、なんといっても江戸時代から伝わる最上地方の風習である、未婚の死者を供養する「ムカサリ絵馬」が名高い。
元々は婚姻していない男性を死後に、架空の花嫁との婚姻を描いた絵馬を奉納することだが、近年は交通事故・戦争・病気・水子等の理由で結婚せず亡くなった子のため、親や兄弟又は親戚の者が描き、供養するものもある。最古の作品は1898年のものが確認されているとか。
そもそもこの寺を知ったのは、ある作家の紀行文を読んだのがきっかけ。ずらりと並んだ架空の婚姻の絵馬たち。こうして絵馬や写真の前に手を合わせ、その男の子の無念さを思う。そして、親御さんのさらなる無念さと、わが子のあの世での婚姻をさせてあげた思いにも併せて、自分なりに思いを馳せてみる。
戦後は急激に絵馬の数が増え、本来の絵馬から式を装ったものなどが明治大正期には多くなり、近年は写真も見受けられるようになってきた。
山形民謡「花笠音頭」に歌われている若松様とはこの寺のことであり、入口での歌碑の構えがまた参拝者の目をひく。
さあ次は芭蕉も訪ねたという山寺(立石寺)に車を走らせてみる。
「心に残る旅(15)ムサカリ絵馬に思いを馳せて」