
88年からビッグコミックオリジナルにに連載されていた時代は、自分が高校1年生だった時。
高校1年生の途中から、名古屋の実家家族全員が東京に移住したが、おいらだけは瀬戸の叔母の家から名古屋市内の高校に通っていた。その時、初めて通学電車、通学バスと言うものに揺られることになった。行きしはちょうど高校近くに通う近所のお兄さんの車に乗せてもらっていたが、帰りはバスと電車を乗り継いでいた。その時代、網棚には無数の漫画や雑誌が置かれていた。これは1994年の地下鉄サリン事件で網棚に置くのを国民全てが自粛する時まで延々と続いていた風習であった。敢えて、風習と書くのは、皆分かっていたのである。自分が読んだものを網棚に置けば誰かが拾う。それで何が悪い?と。正直、おいらだって全ての漫画を買っていた訳ではないが、結構な確率で網棚で拾っていた。拾えなかったら高校のクラスメートが誰かが買っていて、ジャンプ、サンデー、マガジン、ヤンジャン、ヤンマガ、ヤンサン、モーニング、スピリッツ、そしてマスターキートンが連載されていたオリジナルに至るまで全て読んでいた。発売日に買えなくても翌日拾えたりしてw。2日経ってもダメな場合には買っていたけど、滅多に買わなかったな。
考えてみれば、高校時代にマスターキートンのような漫画に出会えたのは非常に良かった。
断言できるが、いつ読んでも、誰が読んでもこの漫画から得られるものは大きい。少なくとも心に染みるこのストーリーを読んで不快になる人などいないだろう。プラスの効果しかなかったと思われる。漫画家の指名買いをしていた時もあったけども、前述のように発行される漫画をほぼ全て最初から最後まで読んでいたので、1994年以降に指名買いをするようになった。いや、正確に言うと、拾えなくなったのでコミックを漫画家の指名買いで買うしかなかったのである。地下鉄サリン事件は大きな事件であるが、実は国内の漫画界でも大きな結節点であることは明々白々である。94年と言えばこの社会的な事件もさることながら、浪人生活が終わり大学生活が始まったこともあった。マスターキートンはちょうどその時期に連載が終わってしまったのであるが、大学時代も繰り返し読んだ記憶がある。
このコミックは、本当に自分の人生に大きなものを残してくれた。
数え上げたらキリがないのであるが、全ての作品に意味、意義があった。そしてそれがすぐに読み解けない。しかし数十ページの一話一話で快刀乱麻で終わって、すっきりする。この妙意が18巻続いたのである。コミックが発行される度に本屋に通ったのが懐かしい。その後、20年経ち、Reマスターとして不定期連載されているのは知っていたが、漸くコミックが出た。本当に嬉しい限り。じっくり読んだが、また近々に読んでも、読む度に感動が漲ってくる感じがする。いや、そうなるだろう。
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