MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



ここ何回か、きちんと終わりに出来ない浦沢直樹ワールドが続いていた中で、「あさドラ」が刊行されてから、もちろん、毎度欠かさずに出たらすぐに購入をしていて、どうなるんだろう、と思いながら読んでいる。


敢えて、個別のタイトルを挙げてしまうと、Billy Batね。


これはもうどうしようもないマンガだった。悪い癖が出てね。ここ最近の浦沢直樹ワールドで駄目だったものって、大体、戦後の混乱期から昭和後期に至るくらいの時代背景のもの。Billy Batはその典型だった。最初、スケール感を出そうとしているんだけど、繋がりが全く明示的じゃないままに話が進んでいく。本当に編集担当者はこのプロットを読んでから刊行しようとしたのか、甚だ疑問、そう思ったマンガだった。


いや、上記は飽く迄も、Billy Batの件。



「あさドラ」は、1959年と言う伊勢湾台風があったタイミングをストーリーの発端とし、途中若干状況が飛びつつも、戦後からひとまず立ち直りかけ、オリンピックのあった1964年が時代背景と言うマンガ。ちょっと嫌な予感がしたのは、上述のとおり、悪い癖が出る戦後の混乱期からの昭和の話と言う点。Billy Batなんかと時代的に同じくらいのタイミングで、今からでは想像も出来ない程昔になってしまった50年、60年前の時代設定。まぁ、居たことでしょうね、秘密警察的な存在とか。諜報部隊とか、どんな国にも居ただろうし、今でも居るだろうから。そういう人たちが出てこないと駄目とは思っていないだろうけど、浦沢直樹先生は、この手の登場人物が出てきたりすると、重要な役どころじゃないのに、ちょっと重たいもの背負わせてしまったりするから、え、誰のことだったっけ?え?え?と単行本を読み返しても分からないような書き方することが非常に多いのでかなり不安…。


が、今回は、出てくる登場人物を絞って書きましょうと編集と相談でもしてくれたのか、読み返さなくても分かる範囲でストーリーが流れていく。


おかげで、単行本の巻頭辺りにある登場人物相関図が簡素。これくらいじゃないと複雑すぎると覚えてられない程シッチャカメッチャカになっていたんで、ここ最近は。あさドラはシンプルに話が進んでいきつつ、脇役ストーリーとの切り替えをとても分かりやすく描いているので、読んでて小気味良い。


内容については敢えて書きませんが、今回の第5巻に至るまでの話としては、中々まとまっていて面白い。少なくとも浦沢直樹ファンとかについて、マスターキートンを好きな人だけではなくなんとなくのファンだとしても、置いてけぼり感はないんで、読み続けられるかな。オチがないまま連載終了と言うのが続いてしまったので、今回はどこのタイミングで何年後でも良いので、オチだけはしっかり付けて欲しいと切に願うよね。

 

 



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 『実家でキス... 『ラペルの所... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。