MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



Facebookと言うのは繋がっているようで繋がっていなかったり、またその逆だったり。

1994年の夏、人生で初めての海外と言う事で、EnglandのYorkと言う街へ2ヶ月の語学留学へ行った。何せ初めての海外。しかも英語が英語ではなく聞こえる程訛っている地域で2ヶ月過ごした。その間、週末になると大学が主催のエクスカージョンでLondonや、湖水地方、嵐が丘の舞台になった場所、またEdinburghに行ったりした。学校の中では英語で過ごしていた中で、エクスカージョン中は日本語で話して気を紛らわせたり。全ての週末に大学主催のエクスカージョンがあった訳ではなかったので、有志でLondonに行ったり、Cambridgeに行ったり。

そのCambridgeに一緒に行った同級生が亡くなったとFacebookで連絡があった。

YorkからCambridgeには電車で行った。確か5人で行った筈だ。ICUの別荘?の様なものがCambridgeにあり(Cambridge Houseと言う名前だった記憶)、そこを予約した。いや、予約してもらった、が正しいと思う。今となっては正確に覚えていないが、英語が僕らとは比べられないくらい話せた彼女が予約をしてくれた筈だ。ELPのprogramがA,B,Cと順にlevelが上がるのだが、彼女はCだったはずだ。僕はその語学留学から帰ったあとにBに上がったが、その時はAだったからね。

街中でまさにCambridgeのCam川に行き、そこでCambridgeの学生が漕ぐゴンドラに乗りここで溜め息を付くんだなとか、写真を撮ったりね。Cambridgeを出た偉人のレリーフを探したりしてCambridgeの中のcollegeを回ったり。また、夜は分かりもしないのにシェークスピアの『真夏の夜の夢』を確かKings collegeで観劇した。

残念ながら98年にICUを卒業して以来会う機会もなく時が流れたが、その後ご結婚されてViennaで暮らしていたとのこと。小さなお子さんもいらっしゃるとのことでさぞ無念かと。。。ICUの同級生で亡くなったと聞いたのは実は今回で3人目。誰であれ、まだこの歳で亡くなってしまうのは絶対的にまだ早い。そして、やっぱりかなりショックが大きいな。EdinburghやCambridge、またYork市内で写真を撮るとき、カメラ目線をせず、さり気なく、さり気なく、と、さり気写真を撮ろうよ、とその亡くなった彼女が言っていたのが懐かしい。。。さり気写真と言っていたのに、チラッとカメラ目線になっていたりしたのが、、、多分実家の何処かに写真があるはずだ。20年以上経っているけど、そんなことを思い出した。。。ずっと会っていなかったけど、覚えているよ、と言う気持ちが供養になると思っている。

ご冥福をお祈りしたいと思います。
今日の雨は涙雨だな。。。











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