MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



一昨日の夜で、祖母の容体がとても悪くなったと聞き、急遽千葉で午前中にMTGがあったのだが、そのまま千葉市内の叔父、叔母の家までお見舞いへ。

祖母はいわゆる危篤状態にあるかと思います。今年に入ってから3回かな、千葉までお見舞いに行ったのは。いつでも会える距離に居て、いつでも電話出来ると思っていたけど、そうではなかったのかな。おいらは真っ昼間に以前からしょっちゅう叔母の家に電話して、『おばあちゃんいる?』って話していた。仕事の合間に何度も電話していたなぁ。ゴルフの帰りに立ち寄ったりね。

年末に会った時は四方やこんな急に状態が悪くなるとは思ってもみなかったのだけども。。

きちんと医師には聞いた事ありませんが、恐らく再生不良性貧血なのでしょうね。造血出来なくなってしまったと聞いたので。通常どうするのが処置としてあるのか、医者や看護士をしている友達に色々と聞いた。彼らが国家試験を受ける時に勉強した時のテキストをわざわざコピーして送ってくれた友達もいた。95歳の高齢と言うこともあり、骨髄移植はないんだよね。それが最も助かる見込みのある処置らしいのだけどね。本当に悲しいですが、高齢と言うこともあり、抗うことは出来ないのですよね。。。

 

MTGの後立ち寄って、ほんの少しですが、会話も出来ました。

 

僕だと言うことを認識してくれたのだと信じたいです。もうね、目が見えていなかったのかも知れないけど、声を聞いて『元気かい?』って。別に良いんだ、分かっていなくても。そりゃ、仕方ないよね。。。悲しいけど、食べられなくなったら衰えがびっくりする程早いのだね。。『お父ちゃんは、、、』って、30年前に亡くなったおじいちゃんの事を何か言っていたけど、最期に死んだおじいちゃんの事を思い出したんだよねぇ。。。おばあちゃん、優しいね。おじいちゃんの事を今でも思っていたんだね。嬉しいな、おじいちゃんとおばあちゃんが愛し合っていた事が分かってね。 

 

初孫として、僕はおばあちゃんに何をしてあげられたのかなぁ。

 

載せるかどうか迷ったけど、おいらがおばあちゃんを抱っこみたいにしてあげられたかな、って。もう泣き過ぎて目が腫れてるけどね。。。

僕は色々とおばあちゃんと話をしたり、色んな物買ってもらったり、一緒にご飯食べたり、本当に色々としてくれたことを絶対に忘れないよ。昔はね、おいら、おばあちゃんがちょっと怖かったんだぁ。おいらがイタズラばっかりするから怒られたんだよねぇ。ゴメンね、おばあちゃん。大人になったかな、おいら?おばあちゃんの中ではまだちっちゃいおいらのままだったりしないよねw。『健ちゃん、健ちゃん』って可愛がってくれたんだよねぇ。だから、優しかったおばあちゃんの事の方が多く覚えてるからね。

だから、さっき時々意識のはっきりしている時におばあちゃんに伝えました。

「ありがとう」

ってね。そしたらおばあちゃんは「こちらこそありがとう」って。。。僕が関西弁訛りになったりするのはおばあちゃんのせいなんだよ。ずっと昔からおばあちゃんの言葉を聞いて、それが不思議だったんだ。いつもおいらが喋っていた言葉とは違ったからさ。もうひょっとしたら、それが最後の会話かも知れないけど、おばあちゃんの喋る関西弁は柔らかくて、ずっと耳に残ってるからね。


教科書にご先祖さまが連々と名前が乗るような名家の『水野家』で生まれ育ち、大正生まれの人の中では珍しく神戸の女学校に通っていたから博識だよね。そしてとても常識的。おばあちゃんはスポーツでもなんでもよく知っていたなぁ。それに、英語がちゃんと分かっていたよね。おいら、昔からおばあちゃんは凄いなぁって思っていたんだ。なんでもよく知っているおばあちゃん。だから、おばあちゃんと話すと楽しかったんだよ。。常に自分を律した状態で他人を尊重する生き方は、今更ながら僕も見習うからね。

意識のある中で僕としては感謝を伝えられたのが良かったかな。

「ありがとう、おばあちゃん」

何度でも、何度でも、そう言いたい。人間だからいつかはお別れが来るけど、おいらはサヨナラとは言わないよ。



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