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MilanoからLondon、東京に移り住みましたが、変わらず日常生活を書き記そうかと。。
ミラノ通信 - 我が為すことは、我のみぞ知る



今日の夕方、ワクチン接種2回目です。


結果論、おいらは軽症ではなく、肺炎を発症したので、中等症扱いだったんだなと今更ながら思っていて。中和抗体は、症状が重かった程、身体に残存しやすいと昨年暮れだったか年明けくらいの神奈川の大学で行われた調査結果では言われていた。我が家は今日時点でおいらも含めて2回目を射つので二人共規定のワクチン接種は終わる。このあとのブースター接種はまだ分からないけどね。まぁ、そう云う意味では一度罹った人は少なからず抗体があると思われるので、規定の1回目を終わり、最後の2回目の接種は実はブースターではないかと言う説もあるみたいだけれども。なんにせよ、うちの両親なんかはGW前に2人共射ち終わっていたし、義実家両親とも先月までに2回とも射ち終わっていた。


が、感染リスクはワクチン接種を2回しても、高いままだと思っている。


ま、個人的には射つしかないと思っているんだが、そうではない人が色々と居るだけではなく、デマと言うか、科学的根拠のないことを平気で言っている事自体が、なんだかなぁと言うことがあり…。もう情けない感じのことも多々重なっているので余計に嫌な気持ちになるよね。。。


昨日の奥さんの夜勤は海外からの来訪するメディアの対応関連だったらしいが、組織委員会にラムダ株の存在を法的根拠などで知らせなかった厚労省の不手際がまたクローズアップされている中、組織委員会から仕事を受けている企業に、どう言う感染リスクが現在発生しているのか、と言う情報は恐らく共有化されていないだろうな、と危惧する。そう思うので、本当に大丈夫だったのか?と物凄く不安である。いやだって、2回射ったとて、ブレークスルー感染だってある訳だし、ベータ株やその他の変異株に対してはファイザーもモデルナも有効性が9割どころかもっと全然低いのではないかと言われていたりする訳で…。


なんにせよ、仕事現場で、如何程のリスク回避策が講じられるか、は、そのタイミングで事前に適正な情報が入ってこなければ、その精度は低い方で留まる可能性が高い。。。


国が調査の中で発見した情報と言う意味で、上流から流れてこない情報に、下流に位置する企業がリアルタイムにアクセスできる可能性はゼロであり危険である。。。後からラムダ株の罹患者が、しかもオリンピック関係者でしたなんて、発表しなかったことがバレるとその分ハレーションは別の形で大きくなるって分からない程、役人って馬鹿なのかな、と思ったが、もうラムダ株の罹患者、市中にいるだろうねぇ。。。あとから知らされると言う、後手後手の連鎖に巻き込まれるのは結局一般市民だが、その一歩手前くらいに位置する組織委員会から仕事を受けている企業は、寧ろリスクに自ら足を突っ込んでいることを、どこまで認識しているのか。。。知り得ない情報に対しての対策は講じようがない、と言う尤もらしい言い訳をするんだろうな、としか思えず…。仮に何かあったとしたら、事後対策はしっかりして欲しいし、場合によっては補償もしっかりすべきだが、果たしてそれらがプロアクティブに為されると言えば甚だ疑問と言う意味で、最早不安しかない。


さて、、、


先日、声高にワクチン射たない派としてインスタにデマ流したりしていた人を見て、クラクラするくらいその頭の悪さに辟易としたが、自分がワクチン射たない話を主張するのであれば、ロケでどこどこへ、なんて言って各地へ動き回るような仕事、よく事務所がさせるよなぁと。結局その頭の悪さは事務所と同一なのかと。。すぐにフォローを外した。そんな情報になど触れていたくないし、生活に1ミリも関係ない人なので、関わりたくもない。


本人が誰かに罹患させるリスクを欠片も意識してない発言をずっとしていたのでね。。。
馬鹿にも程がある。


医者ではないものの医学的知識がない中でも自分なりに罹患リスクと接種拒否の個人の権利をどうやってバランス取るか踏まえ、結果に対しての考えを一定程度まで拡げられないとなると、そう言った考える能力を保持しているか否かのインディケーターとして、コロナは踏み絵になってしまったな、と思う。残念ながら後者に重きを置き過ぎる発言者は社会から阻害されていく結果になっていく。欧米を中心に、法的根拠に基づいた形でワクチン被接種者ほ自由に色々とアクセス出来なくなったり、場合によっては職を失うことになるような法整備が為されていっているが、公共の利益に則して言うと、一定程度は仕方ないと思えてしまう時代になってしまったな。。。



ところで、ICUで憲法を学んだ理由は、無能な政府が過度に私権制限を為さないよう、仮に為したとしてもそれに適切に抗えるよう理論武装をする為であった。



その一つの現れとして、故奥平教授のもとで『表現の自由』を学んだのだが、教授であればこの状況をどのようにお考えになっただろうか、と常に考える癖を付けている。もう、答えを先生が教えてくれることは無いのだが、このコロナ禍の状況では、ひょっとしたら表現の自由を考えることと同じくらい、ワクチン接種拒否者に対しての措置を考えることが重要な要件になってきていると感じる。射たないことは1つの選択肢だからそうしたければそうすれば良いが、最早公共の利益からすると、自由に出歩く権利は近々制限されても仕方ないのでは、とすら憲法を学んだ者としてもそう思えてきている。少なくとも人が動けばコロナウイルスが蔓延する可能性は上がるのだから。生命のリスクを増加させる行為は極論を言えば法的根拠に基づいて制限されて然るべきと信じているし、生命の危険を回避させることは、あらゆる法解釈の中で最も重要視されて然るべき要素だと、思っている。それが故、ワクチン接種拒否者は他人に罹患させる行為を故意、非故意に拘わらず可能としてしまうのであれば、自宅に居たままとか、離島で人に接しない等、人と接触することを完全自粛させる同調圧力は仕方ないとなる世界がもうすぐそこに来ていると。風邪薬のように飲んで治る病気レベルになればこんな極論絶対言わないけどね。。。物凄く残念だけど…。


個人的にはワクチンは射ちたくて射っている訳ではないけれど、家から出たければ射つしかないと、言われるのかなと。


無症状者だとしたら、その結果人に知らず知らずのうちに罹患させている訳で、それは最早単なる社会迷惑。射たないのなら家から出られなくなる。。。憲法で保障されている権利はどんな条件下でも無制限に保障されている訳ではない。もちろん、それを制限するのであれば、然るべき法的根拠の理屈が必要であるが、このロックダウン政策をしようとしない日本社会ですら、そろそろそう言う対策を諸外国と同調してやりそうだ。


なんだか悲しいが、私権制限をされたくないし、寧ろワクチン接種をした者が経済を回す担い手にならないと、この人口減の時代、衰退の一途を辿る。当然ワクチンを射つことのリスクはあるものの、射たないで私権制限されることのリスクや射たずに罹患して重症化して死んでしまうことのリスクを考えると、射つしかないなと。

 

射ちたくないのであればどうぞ。

 

でも射たないでとか、人に言ってしまうような大した考えもなく言うようなレベルであれば、SNS使って人に言うのは止めるべき。大した知識もないのに、接種リスクの話を自分中心で(射ったら自分にこんなことが起きるかも、だけを考えると言う意味で)考えたとて、浅はか極まりないのでね。。。

繰り返し言うが、射つ、射たないは個人の自由。
おいらは射ってくる。
2回目ね。最低限の話だよ。



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