Xーrated

横浜南部を根城に活動するバンド“X-rated”メンバーによる活動状況や日々感じた事を発信するブログです。

QUEEN/戦慄の王女【Side A 】

2011-03-04 09:38:00 | QUEENを語る
QUEEN/戦慄の王女【Side A】


〔01〕KEEP YOURSELF ALIVE/炎のロックンロール

1973年7月6日、アルバム発売から先んじる事一週間前、ブライアンによるこの曲でクイーンは「本当に」デビューを飾った。

そしてそれは、単純にデビュー曲としての初めてではなく、
ドクトル・ブライアンが研究を重ねてきたレイヤード・サウンド、
マルチトラックをフル活用したブライアン印ギターハーモニーの最初の御披露目の場となった。

沢山の転調やリフ、様々なメロディーが飛び交い、
その他沢山の小技が盛り込まれたサウンドは奇想天外でありながらも、
ガンガンと突き進む決意の固まりのような演奏や歌唱、
分かり易い主旋律により作品が空中分解する事なく一本に纏め上げられている。

この曲は、しかし残念ながらイギリス放送局業界からの度重なる放送拒否により肝心なセールスがパッとしなかった。
(その後の地道なライブ活躍やモット・ザ・フープル等々有名バンドの前座を重ね売上を伸ばす)

イギリス及びイギリス放送業界が保守的なのかは分からないが、フレディーが名付けたバンド名は些か一般的思考のイギリス人には早過ぎたのかもしれない。

それ以外にこの曲のオンエアを拒否する理由があるというのであれば、
英国のこの業界が余程人材不足であったか、
それともベラドンナと銀のトレイがまずかったのか、
それとも「この若者達は見所があるから、少し負荷を与えてより完成度の高い作品を産み出させよう」と考えたかは、知る由もないです。

この曲、オイラ大好きっす。
ワクワクドキドキします。
憧れます。
ブライアンが如何に苦労を重ねこの曲を仕上げたか、
また如何にメンバーがそれを受け止め応えたか、
想像すると胸の奥底がジンとしませんか?
まるでメンバー本人達に対しての応援歌。

この曲、さるテレビプロデューサーが宣伝用に配布された無記名のこの曲を試しに聴いてみたところ一発で気に入ってしまい、古い映像とシンクロさせお茶の間に流したところ、
メンバーが意図せぬ購買層から曲の問い合わせが殺到したそうです。

じわりじわりと、途方もない渦巻きは既に始まっていたんですね。

うーむ上手い!綺麗な音っすね。



〔02〕DOING ALL RIGHT

ブライアンとロジャー、そしてティム・スタッフウェルによるバンド「スマイル」はシングル一枚のみ発売して解散した。
ところが1981年10月「ゲッティング・スマイル」という「スマイル」の6曲入りアルバムが日本でのみ正式に発売された。
ブライアンもロジャーも6曲も録音した記憶がなく、
不審に感じたメンバーとスタッフがこれを取り寄せ聴いたところ、
間違いなく本人による本物であり、メンバー公認として発売された。
日本でのみ、しかも少量生産であった為このレコードは忽ちレア・アイテムとなった。

前置きが長くなりましたが、この曲はブライアンとティムの共作によるもので、
ゲッティング・スマイルではティムのボーカルによるオリジナルが楽しめます。
(所々歌詞も違ったりします。)
不況、失業、オイル・ショック直撃のロンドン。
希望と絶望、当時の若者達の心境が伝わってくるような、胸を締め付けられる何処か物悲しい冒頭のメロディー群がハードロックに急展開。
若々しさ、勢いが空回りしすぎて荒唐無稽な感が否めない、
普通ならやり過ぎ、馬鹿らしいと非難されてお仕舞いです。
しかしこの、常人では有り得ない過剰サービス精神が後々に繋がっていく訳です。
伝説への最初の一歩を随所に体感する事が出来ます。

77年、数年振りにツアーでのセットリストに入った際のこの曲のアレンジは、滅茶苦茶クールで大好きっす。

ゲッティング・スマイルより
77年アールズ・コートにて



〔03〕GREAT KING RAT

―そう、アイツは娼婦の倅、いつだってお尋ね者―

さて!いよいよフレディーのペンによる曲の登場です。

舞台は旧約聖書。
さながらミュージカルのようにフレディーが一人二役をこなし
それをオペラちっくなハーモニーと、時に崇高で時に淫靡で卑猥なメロディーが盛り上げ、
ヘヴィメタがこれらの土台となって優秀な従者のように支えている。

本来なら完全アウトであるが、
メンバーとベイカー、アンソニーは一つに纏め上げた、拍手。

代々ゾロアスター教の家庭の子として育ったフレディーにとって、
キリスト教や聖書に記載された事柄が如何にフレディーの想像を掻き立てたか、
そしてフレディーの想像が鮮明で明確であったか、
更にフレディーの具現化能力の高さ、
等々がこの曲を聴いているとヒシヒシ伝わってきます。

フレディーというか、クイーンって俗に言うコンセプト・アルバムが無いんですよね。
何となく、集まった作品にソレっぽい雰囲気を持たせているだけ、
(これはメンバー全員がインタビュー等で認めている)

クイーンの、若しくはクイーン制作の完全オリジナルミュージカルなアルバムを聴いてみたかった。
そんな気にもさせてくれる、楽しい曲です。
若い頃早口フレーズが格好良くてよく真似したなぁ。

日本武道館初来日ライブ音源より



〔04〕MY FAIRY KING

ワインの川が流れる地を善良なる妖精が統治するこの曲もまたフレディーのペンによるもの。

この後産み出されるフレディー作品の為のエクササイズのような、
様々な奏法、逆回転ダブル・ワーミィ、変拍子、無限のアルペジオ、
更にロジャーの金切り声、
そして数多の斬新なメロディーの応酬や過剰なリバーブさえもが、この物語の世界観を構築しています。
そしてバンドはプログレちっくに盛り上がるだけ盛り上がって突然着地、それはA面終了を意味します。

歌詞付

QUEEN/戦慄の王女

2011-02-21 22:08:22 | QUEENを語る
原題/邦題
※邦題が原題の読み方ままであれば無表記。

QUEEN/戦慄の王女

【Side A】
KEEP YOURSELF ALIVE/炎のロックンロール
DOING ALL RIGHT
GREAT KING RAT
MY FAIRY KING

【Side B】
LIAR
MODERN TIMES ROCK 'N' ROLL
SON AND DAUGHTER
JESUS
SEVEN SEAS OF RHYE…/輝ける7つの海(インストゥルメンタル)

国/発売日/最高位
英/1973年07月13日/24位
日/1974年03月25日/52位

produced by John Anthony,Roy Baker,Queen
Recorded at Trident Studios

Freddie Mercury〔vo,p〕
Brian May〔g,p,vo〕
Deacon John〔b〕
Roger Talyor〔perc,vo〕

クイーン以前にブライアンとロジャーは、
ティム・スタッフウェルというコテコテの英国人と「スマイル」というバンドでデビューしていました。
ティムとアートスクールの同窓生であるファルーク・バルサラ、
後のフレディー・マーキュリーはティムを通じブライアンとロジャーの親友になっていました。

ロジャーとフレディーは特に仲がよく、ハイストリート・ケンジントンにあるケンジントン・マーケットに共同出資でアンティークショップを出店、お店は次回作発売直前まで続きました。

英米でシングルデビューを果たしたスマイルは、あらゆる面の中途半端さが原因で解散。
ティムは脱退、音楽の道を諦めテレビ業界に進み、残されたブライアンとロジャーと同時期にフリーだったフレディーが必然的にバンドを組みました。

様々なバンド名が候補にあがりました。
ロジャー→グランド・ダンス
ブライアン→リッチ・キッズ
しかしフレディーの出したバンド名にブライアンもロジャーも渋々了承、
1970年4月「QUEEN」が誕生しました。

難航したのがベーシスト探し。
良いなと思えば何らかの理由で脱退、
これを繰り返し伝説によれば七人目
本当は四人目、それがジョン・ディーコンでした。

ジョンは機械工作に明るく、ブライアン自作ギターに欠かせない1Wアンプ「ディーキー・アンプ」を製作。
殆どのQUEEN及びブライアン作品にこのアンプが使用される事になります。

ライブ営業を繰り返していた彼らに最初のチャンスが訪れたのが71年夏の終わり、
ウェンブリーに出来た真新しいデ・レーン・リー・スタジオの機材テストにQUEENがコネで抜擢され、彼らは最新の環境で好きなだけデモテープを制作出来るチャンスを得ました。
そして伝説によると彼等のデビューシングルとなったKEEP YOURSELF ALIVE/炎のロックンロール録音中、
スマイル時代からのメンバーの盟友、ジョン・アンソニーが共に真新しいスタジオを視察すべく連れてきたロイ・トーマス・ベイカー
〔QUEEN初期のプロデューサーであり、第五のQUEENメンバーと評された男〕と、
スタジオの視察のつもりがクイーンの斬新なサウンドに一聴惚れ。
アンソニーとベイカーは共に籍を置く会社トライデントにQUEENと契約する事を進言。
出版権、マネージメント、プロダクションそれぞれ別々という新人にしては法外な契約を要求するバンド側に対し、
トライデントは自社で発売せず、制作した作品をレコード会社に売り込む事で合意。

アンソニーとベイカー、そしてクイーンプロデュースによりQUEENのファーストアルバム制作がソーホーのその名もトライデントスタジオにて始まりましたが、その過程は散々でした。
時間帯は他のバンドとバンドの空き時間を利用しなければならず、
真夜中だったり早朝だったり夕方だったりマチマチ。
ベイカーとの対立。
そして何よりメンバーを苦しめたのがアルバムを買取るレコード会社が全く名乗り出なかったこと。

そこでトライデントはバンド売り込みの為に太いパイプを持つジャック・ネルソンを雇い、EMIとの契約に漕ぎ着けますが、
又しても関門、契約には在学中であったロジャーとジョンの卒業を待つ必要がありました。


そんなこんなで制作開始から14ヵ月。


ダグラス・パディフッドによる特殊なエフェクトのかけられたフレディーのステージ姿をジャケ写として施されたデビューアルバム、QUEEN/戦慄の嬢王は「誰もシンセサイザーは弾いていません」という謳い文句と共に1973年7月13日店頭に並びました。

この大切なデビューアルバムのタイトルも幾つかの候補があがりました。
ロジャー→Top Fax,Pix,and Iofo
ベイカー→Deary Me


沢山の苦労と腹一杯の野心を秘めたデビューアルバムはしかし、一部の反応は得たもののセールスも評価も散々、
しかし苦々しい経験がメンバー4人をより経験豊かにし、世界を土俵に活躍するトップバンドの礎となったことは、
幸福な出来事と捉える事が出来るかもしれませんね。

次回より曲毎に語れたらと思います。

神保彰からくり行脚in 大船

2011-02-13 22:56:21 | レビュー
今宵は我が家から一番近いライブハウスにて、
超絶ドラマー神保彰氏のワンマンライブを堪能してきました。

大船で演奏して頂けるようになって今回で3度目。
初回は立ち見。
2回目は真正面。
今回は神保さんの背中の辺り、
3回目にしてベストポジションでした。

ご存知の方は勿論ご存知、
ご存知で無い方には勿論分からない。

神保氏のこの形式のワンマンライブでは、
一見打ち込みのカラオケをバックにドラムを演奏しているかのように見えます。

ところがギッチョンぱ。
シンバル以外の全ての楽器に“トリガー”と呼ばれる

例えばスネアなりを叩くと、
その振動をシンセサイザーに「今、叩かれましたから、任意の発音してよ」って伝える装置が装着※されており、

早い話がドラム以外のギターやベース、ブラス、
メロディーに致まで全て生演奏しているんです。

叩かれた順番に任意の音が繰り出すようプログラムされているので、
一つ間違えば音がズレてしまう。
大変高度な技術と経験とナンヤカンヤが必要な演奏っす。

でもオイラ好きなのは、ドラムだけの演奏なんすよね。
神保さんの8ビートってすげぇハートにビンビンくるぜぇ。

今回あのグルーヴを解析すべく聴いていて気が付いたのが、
神保氏はハイハットを足だけで刻む事が多いのですが、
この時に前にかぶり気味に演奏していて、バスドラ→スネアやタムタムの順で後のりで叩いているような気がしたんですが、如何でしょうか?

当然これだけじゃないんですよ。

ハイハットの踏み方だけでも、
つま先、足先の指だけペダルに乗せて貧乏ゆすりのようだったり、
踵をツーバスペダルに固定して足の指の付け根の更に手前の、
なんて言う部位ですかね。
土踏まずの前で足の指の付け根の手前(笑)
そう、そこっす。
そこですげー踏み込むようにしたり、

やっぱりセンスと鬼なんすよね。
神保さんは鬼です。容赦ないです。


いやはや見所満載でした。
勉強になりました。


神保彰 Amazing Drumming
タムの入り方からフレーズ、リムショット、使用機材の音色、何もかもがカッコいい。



「装置が装置され…」
訂正しました。

序でに少し盛りました。
ご容赦の程を。


いい声してんな!

2011-01-24 01:45:29 | レビュー
なんだか演芸づいてしまった私。
お気に入りの二本をどーぞ。


↓Bボーイの元祖?
ひとつはいい時計


そして、ビートたけし氏の師匠としても有名ですね。
お二方とも素晴らしい声帯の持ち主。
このお二方が繰り出す民謡や都々逸も大好きでした。
松鶴家千代若・千代菊【もう帰ろうよ】


以上っす。

お疲れ様でした。

2011-01-24 01:16:04 | レビュー
夢路いとし
喜味こいし

1937年、兄弟少年漫才師としてデビュー以来、
2・26事件
第二次世界大戦
世紀を跨いで現役であり続けた漫才師。

夢路いとし喜味こいし【Wikipedia】


私がガキンチョの頃、
家族で見ていた演芸番組で
一番好きだったのがぽんぽん講談だった。
(あのネタがぽんぽん講談というのを不覚にも先程初めて知った。)


最後にこのネタを観させて頂いたのは、
お兄様である夢路いとし師匠が亡くなる数年前の笑点かお正月の特番だったかと記憶している。


以下はその時のとはまた違うものですが、たっぷりお楽しみ下さい。
夢路いとし喜味こいし【ぽんぽん講談】



このような若輩者が、
このような意見を述べるのもおこがましい限りですが、

長い歴史も、
輝く経歴もプライドも
微塵も感じさせない、

全てが丸裸にさらけ出されてしまう舞台の上で、
約70年、気紛れに生まれては消える若手と平等に、
マイク一本で勝負し続けた芸人。

現役であり続けた漫才師。

それはお兄様が亡くなられて夢路いとし喜味こいしの看板を下ろすことになっても変わらなかった。

1ファンとして、
お兄様と天国で再会を果たした際、
一体どんなやり取りをされたのか想像すると、
凄くワクワク楽しくて、
少し悲しいです。

今はただ、ただ、
お疲れ様でした。