がんばらない日

そんな日があっても良いと思います。

何が起きるかなんて・・・

2008-03-31 22:48:01 | Weblog

私の計画性の無い人生も どうかと思うが
こうだ と目標を立て、それを信じ続けて突き進む
そんな人生も疲れちゃいそうで・・・ 嫌だな。

兄貴と私の確執に興味を持っている人が多そうですが・・・
話すのが嫌なのでは無く 吐き出してみて他の人の反応を聞いてみたい気もする。
でも・・・ 書くのが面倒くさい

私が観察するのに、彼は 人間関係を築いていくのが、とても下手な人間。
決して 悪人ではなく それどころか お人好しの部類に入る。
基本的に優しい人間ではあるけれど、劣等感の塊で それをキチンと受け止められない。

中学2年生までは、とても優秀だった。
あの頃は、1学年400名近くいた時代。 その中でも、成績は5本の指に入っていた。
スポーツ万能。 ルックスも  

彼が転落し始めた切っ掛けが 某有名進学塾 に通い始めた事。 
                 (だったらし… 奴の言い分なもので… よく判らないが…)

我が家には、東大生の家庭教師が来ていました。
母の友人の息子さんで、小さい頃から よく知っているお兄ちゃんだった。
それが、兄貴が中学生になったと同時に 家庭教師に来るようになった。
私が小学校4年生の時だ。  当然、私も一緒に勉強を見てもらっていた。

はいはい ここまで読んで、「凄~い。小4から家庭教師 と驚くと思いますが…
私は、あくまで オマケ。 私は、いつもいつも ビリから数える方が早い位置にいました

彼が中学2年生になった時に、東大生のお兄ちゃんの勧めで、自分も通っていた
超有名進学塾に方向転換をした。
   私は、ここで 嫌な嫌な家庭教師から解放される訳です

子供ながらに、彼の目標は 東大 なのだろうと察していたし・・・
当然、両親の期待もそこに向いていたのでしょう。

しかし、この塾に通う子供達は、当然 目指す先は 並みじゃない訳で・・・
彼が言うのには、
「今まで、判らない事なんか無かったのに、教室の中での授業がまったく判らなかった。
  回りが何を話しているのかも理解出来なかった。」
だっそぉ~でぇ~  ふざけるな

400人中 5本の指に入っても、外の世界を見たら スゲェ~ヤツが一杯居たって事。
これが、彼の転落の原因だったらしい・・・

アホらしくて書くのも嫌だ。

それからというもの。 成績はメキメキ落ちる一方
人って、落ち始めると 速いんだよ。 あっという間に、どん底。
警察に補導はされるは。 家裁には呼ばれるは。 
年がら年中 父親と兄貴は取っ組み合いの喧嘩。

あははっ~ 凄い時代だったよ。

何か・・・ この頃から、私は自分を守る方法を身に付け始めたのだと思う・・・

子育て論 なるものは、人それぞれ違うもので、何か良く 何が悪いのか
なんて事は、一概には論じられない物だと思う。

あの頃の我が家の 子育て論 は
”長兄である 兄をしっかりと育てれば、その後の 妹である私は キチンとそれについてくる”
と いったものだった。

両親にしてみれば、悪気があった訳ではなく、それが彼らの信じる所だったのだろうから、
今更、70 80歳を過ぎた両親に、そんな事を言うつもりはない。
言ってみた所で何も変わらないし、私の中では消化してしまっている事だから
今更、吐き出しようもない。

兄貴には兄貴の苦しみもあるのだろう。 
私は、いつでも理解してあげられる・・・ つもりだ。
だけれど、なぜ私が彼を許せないのか? それは・・・
未だに、昔話を持ち出し 親を攻め立て 罵倒する事だ。

まともに話が出来る状態ならば、彼に対して言いたい事は 山ほどある。
でも、立っている土俵が違い。 完全にアル中だと思われる相手に何を言っても届かない。

後何年 生きられるのであろう両親が、最後の瞬間に ”私達を産んで良かった” と
思ってもらいたい。
そして、私は・・・ 庶子という特別な形ではあったにも関わらず、
何不自由なく育ててくれた両親に感謝している。
更に、ちょうどが、あの頃の私と同じ年になり、不安に思う事もある。
良いお母さんには成れそうにはない・・・

30年前。 両親は、今の状態を想像していなかっただろう。
穏やかに老後を過ごしている光景しか、思い浮かばなかった筈だ。

お陰さまで、私は とんでもない状況を突き付けられているので・・・
自分も、こうならない保証は無いな と どこかで防御線を張っている。

何が起きるかなんて判らない。 
判らないんだから、あれこれ考えても仕方が無いんだよね。
今まで、色々とあったれけど。 総合評価は、上の中◎ かなっ


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4 コメント

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私にも・・ (うさこ)
2008-04-01 19:54:04
お久しぶりです。見てたけど、コメントは久しぶりですよね。
私も、実家の父と確執があります。普通なら、孫を連れて、毎週実家に帰る・・、遊びに行く・・でしょうが、私は滅多に帰りません。母親とは連絡を取りますが、父親とはあまり・・。あんまり、かわいがられなかった気がします。実家に帰ってもすぐにケンカになってしまいますし。酒を飲むと人が変わります。だから、私は酒を飲む大人の男が嫌いです。酔っ払いが嫌いです。父は娘に冷たくされ、寂しかったのかもしれません。和解、理解するには、私がもう少し大人にならないとです。
ごめんなさい、なんかすっきりした~!
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意外・・・ (シンフー)
2008-04-01 22:13:33
この話題に、いの一番にコメントをくれたのがさんとは。
ありがとうね。
感情や思想 長年つもり積もった物を文章にするのって、
とても体力が要るし、困難な作業です。
でも、こうやって少しずつ吐き出す事で、振り返る事も出来るし、
逆らえない運命も感じ。ちゃんと現実と向き合える気がします。
私がさんに偉そうに、色々と言える立場ではありませんが、
お父様は、上手に接する事が出来なかっただけかも知れませんね。
そう思ってみると… それが小手先の言い訳だったとしても、ほんの少し許して上げられて…
少しでも許せると、自分の気持ちがチョット軽くなる気がします。
さんに話しながら、全て自分に言い聞かせているのが、本当の所です
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Unknown (くりねずみ)
2008-04-02 10:10:22
うちの次男も、中学2年までは野球と勉強に頑張って優秀でした。だから、親は嬉しくて期待かけました。
それが2年の夏で部活を引退したとたん、反抗期と重なって、不良街道へまっしぐら。
次男の気持ちが全く分からず、毎日親子ケンカでしたね。親に暴力を振るうことは無かったけど、次男の部屋は穴だらけ。主人が一度だけ殴ったことがあります。それで事態が好転することは無かったです。
高校の時に補導されて警察に引き取りにも行きました。何とか退学処分は免れたのに、辞めると言い張る次男を説得するのに疲れたのも事実。いっそ、退学して次男の好きなようにさせれば、楽かもと思いもしましたが、とにかく高校だけは卒業したら、あとは家を出てもプーになっても良いからと説得しました。
ドラマのように何かがきっかけになって次男が立ち直るなんて事は無く、今も高校の延長のような大学生です。単位を取れてるのか心配の種は尽きません。
でも、自分で決めた大学進学だから、途中で辞めたら勘当です。
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そうだったんですか・・・ (シンフー)
2008-04-02 14:10:18
今の次男君の様子を読ませて頂いていると、しっかり自立の道を歩き始めているようで・・・
そんな時代もあったのですね。
今、私はただただ… 新聞沙汰になるような事件を、兄貴が起こさないで欲しいと、そればかり願っています。
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