その知らせを聞いたのは昨日の午前中。うちの会社は福知山に工場があるので、福知山線で起こった事故のニュースはオフィスのあちらこちらで聞こえていました。
情報が錯綜していました。最初は車と電車がぶつかったという情報もありました。福知山線と聞いていたので、まさか尼崎で起こっているとは思いませんでした。
最初は3人だった死者の数がどんどん増えていきました。ニュースでは懸命に肉親を捜す人々の姿が映されていました。
同年代の人がたくさん亡くなっていました。同志社の方、京女の方もいました。学校に行く途中でこんな事故に遭うなんて、誰が想像できたでしょう。
誰もが、あの時間の、あの電車にさえ乗らなければ、と思っています。一本早くても、遅くてもよかった、そう思っているでしょう。逆に一本前、あるいは後ろの電車に乗って助かった人もいるでしょう。
どうしてこんなことになったのか。運転士にも責任はあるかもしれませんが、彼を責めても始まりません。これ以降このような痛ましい事故が起きないようにすることが、亡くなった方へのせめてもの償い、お詫びではないでしょうか。
報道を見るたびに思います。人間はなんて無力なのだろうと。助かった人の話では、衝突の直後苦しんでいた人々がどんどん死んでいったと言います。死を見届けるしかできなかった無力さ。テレビで見ている私たちはもっと無力です。何をすることもできない。どうしようもない。
JRには、二度とこのようなことが起こらないように、そして一日も早く日本人の足である電車に安心して乗れるような対応をしていただきたいものです。
今回の事故で、考えることはいろいろありましたが、私にできることは、こうやってHPにわずかばかりの意見を書くことだけです。