敗北という言葉があるように、北には逃げるという意味があるらしい。
心が弱っている時に南国のぎらぎらした太陽にあたると疲れるから、北の柔らかい日差しに心を温めてもらいたくなる。
心が疲れている時は、元気いっぱいの友達より、ちょっとのんびりした友達とまったり過ごす方が楽になれる。
元気な時は南の強い太陽の下ではじけたくなる。騒ぎたくなる。
そう考えると北には北の良さがあり、南には南の良さがある。
負けの反対は勝ちではないし、立ち向かうの反対は逃げるではない。
その間のグレイゾーンと言うものがある。
バナナはおやつかお弁当か、聞いたら終わり、みたいなこと。
だから、勝南って言葉がない、なんてね。
コウモリでいいんだと思う。何事も灰色の部分があるから。
というわけで、結構コウモリ的な人生を送っている私なのでした。
このブログを読んだ人には「コウモリ」の呪いをかけてやる。コウモリになった夢を見るだろう。…だから?
心が弱っている時に南国のぎらぎらした太陽にあたると疲れるから、北の柔らかい日差しに心を温めてもらいたくなる。
心が疲れている時は、元気いっぱいの友達より、ちょっとのんびりした友達とまったり過ごす方が楽になれる。
元気な時は南の強い太陽の下ではじけたくなる。騒ぎたくなる。
そう考えると北には北の良さがあり、南には南の良さがある。
負けの反対は勝ちではないし、立ち向かうの反対は逃げるではない。
その間のグレイゾーンと言うものがある。
バナナはおやつかお弁当か、聞いたら終わり、みたいなこと。
だから、勝南って言葉がない、なんてね。
コウモリでいいんだと思う。何事も灰色の部分があるから。
というわけで、結構コウモリ的な人生を送っている私なのでした。
このブログを読んだ人には「コウモリ」の呪いをかけてやる。コウモリになった夢を見るだろう。…だから?
内心では「負けた」と思っているときでも、相手から「負けただろう」と念を押されると、意地でも負けを認めたくなくなりますし、反感でいっぱいになってしまいます。勝者には敗者のプライドはちゃんと守ってやるぐらいの度量が必要なんじゃないかと思います。そういった意味でも“グレーゾーン”説にわたしも賛成です。
“勝南”という言葉がないのは、勝ったほうはそこから動く必要がないからですよ、きっと。
負けた人はその場を去って、勝った人はその場に残るんですね。だから勝南がないのかもしれませんね。
ではでは。