見出し画像

イエスからマグダラのマリアへの手紙・私は本当にかつてマグダラのマリアだったのか?

15) 私は地球での心の土台を作るためのお手伝いの任を与えられ、あなたは大切なパートナーであった

 

 ありがとう。それでは始めよう。

あなたのその変わらぬ美しきお心がけとご努力を私はどんなに嬉しく、感謝することか・・・ありがとう。

 

 それでは今日のトピックについてであるが、私はこれまで様々な機会を多くいただくことで、多くの私の考える愛、そして生きる上でのとるべき態度や心がけについてお伝えする機会をいただいてきた。

が、今回の趣旨は多少異なり、これまでのように、多くの人々に広まり、そして、その人達のお心にしっかりと植え付けて欲しいという趣旨というより、正しい、本当に起こった真実をお伝えしたいというのが私の思いであり、あなたにその任をおまかせできるのが本当に喜びであり、そして深い感謝の気持ちをお伝えしたい。

 

今日は、いつぞやあなたにお伝えした私達のかつての生活の中から、私達と子供達との生活とその主なる目的、それも天から元来望まれたところのその理由についてお伝えしたい。

 

 あの頃、何故あのように、親のいない孤児が多くいたのかについてまず語ると、あの頃の世相と深い関係がある。

子供達はいつも街の隅に数人のグループになって生活していたのである。

それはどうしてかというと、家族が途中でいなくなったからであり、子供達は生きる寄る辺・・・一緒に生活し、面倒を見てくれる人を失ったからであり、親の死によって一人ぼっちになった子がほとんどであった。

「二人の親がいなくなったのですか?」というご質問には、こうお伝えしよう。

 

あの当時、親達の関係は、今の結婚という制度やあり方と大きく異なっていたのである。

今のようにしっかりした結婚という生き方、生活の仕方、あり様は定まっておらず、自分たちの気持ちのまま、一緒に居たければ一緒に住むが、別れて別々に暮らしたければ自然に別々になって、どちらかに子供はついていき、一緒に住み、育っていったのである。

つまり、結婚制度が成立していなかったのである。

どちらか一方が去ることもあれば、男女双方が別々になってお互いに去っていく時には子供達はどうしたのか、であるが、これもルールがなく、引き取りたい方が一緒に子供を連れて行く、あるいは、子供がついていきたい方について行くこともあった。

このような結婚制度の欠如によって、というより人間社会に断固とした人間の生きる時のあり方・・・生活の営み方が確率していなかったのであり、人々の心の中で、人生のパターンや基本的生活の営み方が定まっていなかったのである。

今と比較すれば、人の寿命もかなり短く、限定されたものでもあった。

 

そのような環境の下で、自然に親を亡くした子供が町で何とか自分達だけで生き延びようとしていた故に、私達のように、何人かの子供達を受け入れ、自分たちと生活を共にしながら育つ・・・という社会であったのである。

 

そんな状況があって、私とあなた、マリアと子供達の生活は、ごく自然に始まっていったのである。子供達は、いつも自分たちの本当の親を、心の中で、あるいは実際に探し続けてはいたが、時代背景もあってどこかで諦め、与えられた環境に馴染むよう自然に受け入れて生活していたものである。

そして、私とマリアの生活は、数人の子供達からスタートして、いつの間にか大勢になっていき、あなたのお母さん役としての仕事はかなり重いものとなっていった。朝から晩まで子供達の世話と食物の確保に努めたものだったが、私達は幸いにも何とかやっていけたのである。

 

 さて、それでは私達・・・仮の親であるマリアと私は、どう生きようとしていたのか・・・二人の生活を将来的にどうしようと考えていたか、であるが、その時代、個々の家族体制が現在のように確固たるものではなく、また社会の制度も様々な点で確立していなかったので、個人の自由、ある程度のゆるい約束事のようなものでしかない生活様式を私達も続けていたが、当時はそれがごく当たり前のものであり、私達の生活が特別なものであるという認識は薄かったのであり、その生き方が、私達、マリアと私にとって自然な成り行きからできた生活の仕方で、皆とても多忙ではあったが、幸せ感と喜びを感じての毎日であった。

 

 では、今、私は現在どこにいるのか、どこにいてどんな毎日、どんな生き方をしているのか、であるが、これは徐々に説明の機会を増やしていくことになろう。前に少しお話をしたが、今は、あなたの世界と全くすべてが異なる世界に居て、大きなおおらかな光の世界で、意識としての存在形態をしており、光の世界での活動となっている。これは大きな宇宙というか、意識としての個が、様々な段階で、様々な様式の下で活動をしている故、ゆくゆくお話をさせていただこう。

 

 そのようなことで、あの私が天からの仕事を携えて、ここ、地球で生きていた頃の、人々の心、人々の気持ちや毎日の生活の中での心の持ち様や生きる姿勢、目的などもあなたの居られるこの地球の今の社会とはかなり異なり、いわば創世期のようなもので、人の心の持ち方、生きる上での心の中のあるべき自分たちの目的や理想についてもまだはっきりとは定まっていなかった故に、私のお役目が与えられたと言えよう。

 

人は、どのように生きるべきか、毎日の生活を、物理的なもの、生きるという行動や、身体的な活動や、体験の基盤となる「心」のあるべき姿を考え、説き、人々の心を、ある意味、作るお手伝いであった。

 

心を見つめ・・・どう心を働かせ、どう具体的行動と結びつけて生きるか、を形成する際の心の土台を作るお手伝いの任を与えられた、とも言えるのであり、あなたはそのお手伝いでもあり、大切な、なくてはならない私のパートナーでもあった。

 

男女として人が分けられているのは何故か・・・男と女の特質と、そして、その目的は何なのかも自然に明らかにすべく、実際にこの地に生まれ、育ち、体験しながらそのあるべき姿、心の持ち方などを実体験の中から探り出す・・・そんな・・・任務、役割を与えられてのこの地への生誕であったのだ。

 

そして、女性としての特質・・・女性としての気持ちや行動を実体験することを通して、あるべき姿と心のあり様を考え、情報を持ち帰る役割を果たすような人生だったのである。

 

いわば、天からの「遣い」のような二人であったとも言えよう。

 

そして、子供達もある意味同様である。

様々な実体験から得た情報を天に持ち帰り、それを将来の地球や人々の生活や生き方の予想や体制作りに役立てていくために、一緒に働いてくれた仲間と言うことができる。

 

 時の流れは進んできたが、今も、私はもっと先にある人間社会についてのあり方やあるべき姿を予想したり、形創るための体験をしているという面、任があるのであり、それらは、人間側から見た価値観とは異なっている。

今でも、あなた、マリアは、人間としてどう生きるか・・・と共に、苦しみや、困難さ、矛盾や歪など体験を通してのみ知られるものを、情報として持ち帰るお役目を今でも担っておられる、とも言えるのである。

 

そんなお役目を持つ、過去と現在について多少のご説明を加えさせていただいた。
かつての私達の生活のもう一つの側面にも言及させていただいた、今朝のお便りでした。

 

ありがとう。今日もご協力を心より感謝し、あなたへのすばらしい、明るい愛に溢れた生活への援助となるべきプレゼントをしっかり置いていこう。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「スピリチャル チャネリングメッセージ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事