天から届く愛のメッセージ・Love Messages from Father

伝統、宗教に中立で、生命の真実を知ることが出来ます。「はじめに」をご参照ください。

[ はじめに ] この「メッセージ」はどこからやって来たのか?

2008-09-27 22:11:24 | ご紹介

はじめに このメッセージはどこからやってきたのか。

2008-09-27 22:11:24 | Weblog

 はじめに


まず、ここにおいでいただき、ありがとうございます。
これからお読みいただくメッセージについて、少しご説明させていただきたいと思います。

これらのメッセージは実は私自身が書いたものではなく、思いもよらない形でやってまいりました。


確か、二〇〇四年の春のことです。
ぐっすり眠り込んでいる夜中に、ふと耳に届く男の人の声で目が醒めました。

その声は明確な言葉で、
「書きなさい・・・。」としっかり聞こえました。

荘厳さと威厳に満ちたその声に疑問を差しはさむ余地もなく、私はなんだか分からないまま、
ほとんど眠ったも同じ状態で、灯りをつけ、ふとんから身を乗り出し、普段から近くにあった紙とペンを探しあて、手に取り、後ずさりしてふとんに戻りました。

うつぶせ状態で紙とペンに腕を伸ばしたまま、動けずにそのまま眠り込みそうになった瞬間、
また声がして、「さあ、書きなさい」という呼びかけの言葉が再び繰り返されました。とにかく、疲れて眠くて仕方のない日常だった上、二階の私の部屋は静かで熟睡するのが当然の毎日だったのでしょう。

そして、即、驚いたことに「これを書きなさい」とばかり、頭の中に声、というか、言葉というか、内容が流れのように届けられ始めたのです。どこから、何故などという疑問はその時は全く念頭に浮かばず、英語の同時通訳をする時のように、自然にただ私念から離れ、正確に言葉に変換することに懸命だったと思います。


さて、この思ってもみた事のない現象は・・・一体何なのでしょう。

このメッセージというべき言葉はどこから・・・誰が送ってくるのでしょうか。

 

まず、この二つの問いの「誰が送ってくるのか」は随分後になってからはっきりしました。



書き始めてから、しばらく経ってからのことでした。その頃までに原稿は山積みになっておりました。

いつもは声でなく概念や内容が届くのですが、夜半に再びあの荘厳な声が自分の部屋に響きました。

今度はいつもと違って、どうやら、内容は私自身についてのようでした。
かいつまみますと、

「あなたは何々をするために生まれてきたのです」というようなことを言われました。
今、思えば、誰でも何かをするために生まれてきたのですが、
その時は、まだ未知のものへの怖れがあったり、メッセージを書くことの意義がわからなかったのでしょう。「私だけ、何故?なぜこの私だけが、何か特別なことをしなくてはいけないの?」という思いでした。
言葉にこそ出せませんでしたが・・・エ〜構わないでほっといて下さいよ・・・という気分でした。

はなから聞く耳を持っていなかったのでしょう、その時伝えられた内容はほとんど憶えておりません。やりたいとも思わない、そして、到底出来そうもないことに、とうとう切り口上でこう言ってしまいました。

「今ごろ、何おっしゃるのですか?・・・夜中ですよ・・・それにしても、あなた、一体、どなたなんです?・・・・」

一言だけ返ってきた言葉が
「父である・・・」でした。

な~んだ、お父さんなの~・・・今ごろ、な~に?・・・と、亡くなった父のことをチラッと思いつつ、
「肉親のお父さんですか?」と追いかけるように聞いてみると
「違う・・・。」とただ、一言。

・・・そうでしょう、そんなはずはないでしょうと思い、

それじゃ、一体どなたなのだと思いましたが、すぐに、父と言えば、よくFatherと大文字で書かれる父、イエスが時折、お話をされていたとあるあの父、神、知る限りこれしかないな~と何気なく、
「あの、イエスが父と呼んでいた、父ですか?」と尋ねなおしました。すると一言だけ、

返ってきた言葉が
「そうだ・・・。」でした。

うわ~!こりゃ、大変だ、と思いました。
あんなおえらい人に失礼しちゃったワ、と眠気が醒めるような思いにはなりましたが、それも一瞬、よっぽど眠かったのでしょう、やはりねむい。どうしようどうしようと微かに思いつつも、ごめんなさいと思いながらいつしか、吸い込まれる様にまた眠りに落ちてしまいました。

 

どれくらい経ったでしょう、また同じ人の重厚な声が耳に響き渡りました。

「セイラムを思い出しなさい・・・・」

ぼけた私の反応は、「・・・わかりました・・・あのセイラムですね、アメリカにいた時、しょっちゅう耳にしたタバコの名前、スペリングはS ・ a ・ l ・ e ・ m。しっかり明日の朝まで覚えておきましょう・・・」

情けないことに、また、すっかり眠り込んでしまいました。

  

翌朝、意識が戻ると、「そうだった!・・・Salem は確か、もう一つある。20代前半、主人がMIT(マサチューセッツ工科大学)で留学するためついていった先、ケンブリッジ市でのこと、大学院の彼のクラスメートのご夫婦が、休日にドライブに誘ってくださったことがあり、その行先の一つに確か、セイラム…という場所があったような…確か、小さな海沿い近い町だったのを思い出しました。

早速、電子辞書を手に取り、分かったことがありました。セイラムは、短母音読みで「サレム」・・・な~るほどね・・・あの世界遺産のエルサレムの古代の呼び名なのね・・・。

それにしても昔のエルサレムを思い出しなさいって・・・なんでなの?・・・行ったこともなし、興味もなし、無宗教な私は、キリスト教も、ましてやイスラム教やユダヤ教を信じているわけじゃなし・・・。そういえば、と思いだしたのが、私の左腕にある正六角形に並んだ六つの点々。ある日、突然現れ、もう二十年来消えないのも不思議。イスラエルの国旗にも確か六つの星が・・・。癒しをも意味する六芒星、ダビデの星「スター・オブ・ディビット」。これと何か関係が・・・。

それはともかく、この声の持ち主、イエス・キリストが「父」と呼んだ存在が伝えてきたメッセージの一部が、あなたが今、目にしてくださっているブログの中身です。

それから、もう一つの問い、「この現象は一体何なのか?」ですが、これは今のところ、自分で推察するだけですが、イエスの父からのメッセージの中でも伝えられているように、実は、人には次元を超えて、コミュニケーションをする能力が潜在的に備わっているのだということだと思います。実際、物理的身体があるかないかにかかわらず、意識的存在、あるいは地球上に居ようと居まいと、宇宙のどこに存在しようと、コミュニケーション可能なのを私自身ひょんなことから体験し、実際にその情報の正確さと実在に本当に驚いたものです。如何に狭い考えで人は地球上に生きているのかを知ったのはこの時が最初でした。

もう一つ、ジル ボルトテイラー博士が著書「奇跡の脳」でご自身の体験を書かれておられるのを読みまして、少し理解できたことがあります。
それは、彼女がある日、突然、脳内出血で倒れた経験を読ませていただいたからです。左脳が出血で機能せず、右脳だけで捉えられたこの世について説明されているところがありまして、右脳だけの時は、周りは光の海、光で満ちた世界であり、暖かい愛ですべてがつながっているということでした。何かの拍子に左脳の機能が戻ると、光で繋がる一つの世界であるという認識は失せ、自分と他のものが分離して、自他という区別が出てくる、そして同時に、時間と空間が生じて、過去、現在、未来という縦のラインが意識され、地球独特の二元性も生じてくる…という説明でした。

これから考えられますのは、右脳で認められるように、すべてが一つに愛で繋がった世界の側面が、この物理的身体があるかないかにかかわらず、意識的存在、あるいは地球上に居ようと居まいと、宇宙のどこに存在しようと、コミュニケーション可能にするのかもしれません。

人間を肉体と心の二つの領域を持つという考え方では、その心は人体の周囲にある光の身体、エネルギー体がこの大きな光の世界の一部としての役割をしていると理解できます。その光であるエネルギー体には波動領域に沿った光通信のようなことが機能として備わっているとのでしょうか。それが、私の場合、たまたま活性化して可能になったのではないかと思われます。これについては、このブログをお読みいただくうちにご理解できるかもしれません。


さて、これまでに実際に受け取ったメッセージは、ここに載せていただいたより多くの数にのぼります。

すべてのメッセージに貫かれる深い愛には、驚きと共に安らぎさえ覚えます。読む者一人一人を暖かい目で包み、しくしく泣きだしそうな私たちを我が子のように優しく抱いてくれるようです。

様々な文化、宗教、伝統などから中立になり、生命の裏にある真実を知りたいと思われるすべての同胞のために、このお役目を頂けた事はなんという幸運でしょう。

これらを皆様にお伝えできる光栄を心から感謝し、訪れて下さった方のお幸せをお祈り申し上げます。

そうぞ、ごゆっくり、お時間をかけてお読みいただけますように。

ありがとうございます。

 

*「父」のメッセージの中で「私達」と称される時、父ご自身を指すと考えられる場合と、父ご自身を含めた私達、人間を指すと考えられる場合があり、父ご自身と私達を区別、乖離させていないようです。

* メッセージの終わりに、常に筆者への深い、暖かい労いの言葉を頂きますが、それは省略させて頂きました。










 

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