天から届く愛のメッセージ・Love Messages from Father

伝統、宗教に中立で、生命の真実を知ることが出来ます。「はじめに」をご参照ください。

210. 人が生きることと宇宙進化との関係

2019-07-05 16:26:00 | 人間とは

 

こんにちは。今日もようこそお出でくださいました。ありがとうございます。

私たちの多くが、毎日の生活の中で、「自分の生きることと宇宙との関係」は・・・などとは考えないものです。あまりのスケールの違いで、自分が何らかの関わりを持っているとか、関わりたいと願っても可能だとも思われないかもしれません。

私もそういう一人です。でも、よく考えますと、今、宇宙のどこかにいる意識的存在とコミュニケーションが可能ですし、身体を持つ持たないに関係なく、通信することも出来ますし、天の創造主とも可能だと実際の体験から知るようになりました。

これは、ある意味、宇宙と関わっているとも言えるのかもしれません。目に見えたり、物理的身体がなければ生命が存在しないと考えるのは、この地上での先入観にすぎないのでしょうか。これからの進化の道の先には、こういうことが少しずつ視野に入ってくる風景が待っているのかもしれません。

人は、光の部分、光体と目に見える身体の二つの部分を持つと知りますと、この光の部分がまるでインターネットで繋がるための光のようにも思えます。端末が一人一人の光体であり、すべてが一つに繋がっているが故に、情報のやり取りも可能だと考えられます。

それでは、どうぞ、これまでの常識や刷り込みをちょっと手放していただき、この常に進化を続ける地球の一員として、俯瞰的にお読みいただけるとよろしいかと思います。

それでは、ごゆっくり、何度かお読みいただけますように。

ありがとうございます。

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今日は特別に最も大きな、大きな皆様の関心を引くことについて語ろう。

あなたと私、皆とそしてすべての人にとって、大きな関心の時、それは何か。

生きていくときに、最も心して向き合うべきことは何か、について語ろう。

 

つまり、人生とは、何のためにあるか、何のために生き、死に、そしてまた、生まれ、死を繰り返すのか、について、最も基本的なことを、もう一度おさらいしてみよう。

今、あなたの脳裏で「それは今まで何回も何回も愛を学ぶため、深めるためと教えて頂きましたよ」ということが、浮かんできている。

誠にその通りではあるが、しかしもう一つ大きな流れとしての意義があるのも伝えよう。

 

一人一人が生きる間に、いろいろ体験し、そして感じ、そして成長することで、人という種全体の質や、そのものの組成も少しずつ向上、質の変化が成し遂げられるのはお分かりいただけよう。

 

種としての向上、人という存在を一つとみた場合、その中に在る一人一人が変化することで全体が変化する・・・それは当然ではあるが、そればかりではなく、その人という種全体を懐に収め、場を提供しているこの地球も変化していくのであり、また、この地球を含むこの宇宙の一部もまた進化するのであり、また、その宇宙の一部を含有する宇宙全体からしても、進化を遂げるのである。

 

つまり、すべてに影響を与えるのである。

これは、今まで書いてきたものから当然とあなたは思われるだろう。

全てはそれを作る一つ一つの小さな要因から変化が起こり、それがやがて大きな流れとなって全体を変化していくのであり、それはすべてに共通する法、秩序でもある。

「今日の説明は何だか、分かり切ったことを説明されている」と、あなた方は思われるかも知れない。

確かにそのように、これは分かり切った法のように思われるだろう

あなたの、毎日為すお料理のようなものであろう。

中に在る塩加減で全体が変化するのと、何か似ているだろう。

 

さて、それでは次に移ろう。

 

その地球、いや宇宙全体を進化させるのは、地上に生まれ育ち、生活するあなた方一人一人の進化に依ることをお伝えした。

それでは、進化を続ける宇宙とはどういうものなのか。

進化した宇宙は、果たして、いかなる変化をし、そしてどういうものへと移り行くのか、を語ろう。

 

今の宇宙を人間の目からしたら、大きな器、暗黒の、どこまでも広がるスペース、そして星々が無数に浮かび、独自の状況、独自の特質を備え、全体として常に何かしらの変化、活動が営まれていると、ご理解いただいていよう。

そればかりではなく、それ以上のことが行われているのをご存知だろうか。

あなた方、人の認識を超えたものが実は沢山あり、それらがまた、深み、人の能力では捉えられないクオリティを保有しているのを、少しご紹介しよう。

  

あなた方の認識力は、まずどこから来ているのか、から始めよう。

あなた方、人の感覚、そして脳の理解は、その人の物理的身体と、万物を共につなぐエネルギー体から成り、双方の認識範囲は全く異なるエリアに拡がっている。

脳については、右脳、左脳にその理解が担われて、別々の認識、そして理解されるようになっている。

人とは、その二つの存在、認識に依って、自らの存在を確かめ、生かし、そして変化を・・・自分と周囲との関係を実際の体験から感じ、理解し、そしてそれを日々少しずつ重ねることで確かめ、そして学び、体験し、変化していく。

そしてその一方で、その認識されたものをすべての基盤として、それはそこに存在し、成り立っているわけである。

 

しかし、これはこの宇宙の存在様式の一つであり、宇宙には数知れない多様な存在様式がある。

つまり、多くの宇宙で存在する、生きている、他の存在がいる、ということである

いわば、宇宙人ならぬ宇宙の住民、宇宙を生きる場としている存在が無数にあり、それはあなた方の「人間」とは全く異なった存在であり、その異なり方は、一つ一つ説明しようにも、あなたの脳のメモリーとしての語らい、そして理解系統に無いものであるが故に、なかなか表現し難いものがある。

 

しかし、それでも試みてみよう。

宇宙の、他の住民はどういうものなのか、を一つ、二つ、説明を試みよう。

 

まず、皆さまは、宇宙人、とこれまでの先入した観念から想像されるだろう。

火星人、頭が大きく、足が人と違って何本もあり、等々想像されるだろう。

しかし現実は、そのようなものとは全く異なり、存在そのものが、まず地球上での物理ものとは全く異なるのである。

 

まず、身体という形がない。

波動というか、鼓動というか、動き、鼓することで顕現する霧のようなもの、目というものでなく、身体全体から認識される。

つまり、身体全体に目がついているような、そして、触っても固いという感じがないものも多く存在する。

霧のような、膜のような、点の固まりのような、一定の形を持たない、いわば、身体もある、それらはいかに天体望遠鏡が発達しようと、それを通して見ることは不可能である。

また地上での電波や波動の機器によっても計られはしないのが、現実である。

つまり、人の能力にはないような存在形態なのである。

 

その存在には、また異なった認識様式、発達、進化の道があり、そう・・・愛という唯一の共通の価値を人間同様感じ、そして高め、広げる毎日を送り、全体として、この宇宙を押し上げ、変化させるようなことを行っているのであり、其れは既に話したように、そこでも地球同様、この宇宙全体を変化させるような個としての活動が日々なされているのであり、私も、ここ、あなたのところに伝えに現れるように、常に私はそこにも現われ、あなたにお伝えしているように、そこの存在の何人?かにも、愛を伝え説いているのである。

 

宇宙の個としての一人一人の人間の、少しの変化、向上が、この宇宙全体の進化につながるからであり、それを親の私は時には、育ち行くのを助け、時には見守り、時には手を貸し、成長を楽しむために、私は常にこの一人一人、地球のような場、一つ一つ、各々に、私は居るのであり、愛をもて、常に私は多種多様の子供達を育てているのである。

 

何という喜びであろう。

何という素晴らしいことであろう。

あなたに愛を注ぎ、そして育てる。

そして、それは、他にも、他以外のどこにも同様に行われ、私はその喜びを持っているのである。

 

それでは今日はこの位にしておこう。

この大きな視点から見た宇宙のお話を、またの機会に続けよう。

 

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209. 死についてのもう一つの情報

2019-06-15 10:38:36 | 人間とは

 

こんにちは。今日もようこそ。ありがとうございます。

今回のメッセージは「死」について書かれてあります。

死は、私たちにとって最も大きな関心事であるにも拘わらず、日常語り合われることは私の周りにはほとんどありません。避けられる理由の一つは、どうなるか分からない、どこへ行くのか、何が起こるのか、本当に“無”になるのか知らないので語れないし、なんとなく怖い気持ちにもなるので積極的に話題にしたいとは思わないし、習慣的に話すのはあまり喜ばれないという共通の意識があるのかもしれません。

でも、避けて通れないものである限り、また、自分の番はまだにしても、周囲にもよくあることでもあり、本当のところをしっかり知ることは良いことでしょう。

ただ、情報がどこにあるのか、あっても真実なのか、正しいのかどうか、というのも判断しにくいこともありましょう。

人を創造された源からの説明を、今日はじっくりお読みいただけるとよろしいかと思います。しっかり生きることにもつながるかと思います。

ごゆっくり、何度か繰り返しお読みいただけますように願っております。

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それでは進ぜよう。

今日はあなたのお尋ねになりたいことのうちから、私の見解を述べよう。

あなた方の一番関心のある事柄、死についてのもう一つのこちらからの情報を与えよう。

 

死とは何か、死とは決して怖い事でもなく、悲しい事でもなく、喜ばしい事なのだとのこれまでの総まとめにプラスして、今回はその後に来る、こちらでの出来事、予定、あるいはこちらでの生活、暮らしぶりなどについても追々語っていこう。

それではまず、死は決して怖いものではないのをもう一度おさらいしておこう。

 

死とは移行すること、そちらからこちらへ、地から天に還ることであり、出張先から故郷の家族のもとに戻ることであり、それはそれは、安心する場所への帰還であり、そこではあなたを両手を広げて迎え入れ、そしてねぎらい、そして、大いに歓迎の意を表される機会であり、また、その後に来るご自分の人生の追体験、ご自分の人生をご自分で評価し、そしてどこがどうであったか、ご自分が予定したような人生となったのか、あるいは会得すべきがなされたか、等々を振り返る機会も与えられる。

そして、それがゆくゆくは次の人生を設計するときの判断材料となるのである。

 

それでは、その人生、次に来るべき人生はどのようにして設計、計画されるのか、についてこれから詳しくお伝えしていこう。

 

これまで、人生は何度も繰り返され、その目的、つまり、愛を深め、広げ、そして高めていく段階を、少しずつ一段一段上っていくのをお伝えしてきた。


その愛は何故それほどの価値があるのか、その段階を昇る意義は本当にあるのか、について少し言及しよう。

愛の力、愛することによってのみ可能なことがあるのは、あなたもこれまでの人生で様々ご体験済みではあろう。

子を愛するが故に、親は何でもできることを行い、そして子供もそれをしっかり感じながら育ち行き、今度は自分が親となり、同じように愛をもって慈しみながら、子供を育てる、という進み方をする・・・これも、愛を中心に、愛を基本として一本の道を少しずつ皆が進んでいく道であり、その道の周辺には、石ころ、そして滝、山、川など、足元をぐらつかせるような様々な障害物も点在する。 

その一つ一つのご苦労を、愛するが故に、あるいは愛を持って歩むが故に乗り越えられるのであり、愛なき所にはその道を進む動機、意図、意志なども少なくなっていくのである。

 

つまり、愛こそ、すべての苦難を乗り越えるのを可能にする大きな力となるのである。


それでは子供を持たない人たちはどうなのだろう。

愛を味わい、伸ばし、困難を乗り越える力はないのだろうか、ということにお答えしよう。


人の愛は、それよりも、もっともっと深く、命そのものでもあるのをご説明しよう。

あなたは、どうして、そもそもその地に降りたっておられるのかについて語る時、まず、子を持つ、持たないという親になる以前に、つまり「生が与え」られた時から、あなたに愛という内包された美しい、美しい魂であるのを伝えよう。

すべての魂は、大きな、大きな愛の塊である。私からの一片がしっかり包まれ、そして、中心になり、命が展開していく。

あなたの心の中で、「いえ、悪人として世間に迷惑をかける存在もかなりいますが・・・。」という疑問が生じたのを、私は承知している。

そのような、いわゆる悪事を為し、世間に迷惑をかける人間となる魂も少なからずいるのは何故か、彼らは、愛を与えるどころか迷惑を与えるのは何故かについても、追々ご説明していこう。

 

それではまず、人の愛に戻ろう。

あなたも、そのご友人も、ご家族も、私の子供、大切な私の愛する子供達であるのは、もうご承知であろう。

すべての子供たちは、私の愛をしっかり与えられている。

親である私によく似ており、親の私が愛そのものであるように、彼らも本来は美しい愛をしっかり内包して、そちらに降りていく。

 

そして、そこでの独特な環境の中で様々なトレーニングを与えられながら、徐々にゆっくりと育つのである。

その愛は、その地独自の出来事の中で、つまり、子は地球上の独特のトレーニングの展開の中で、天では受けられないようなトレーニングを積むチャンスを与えられているのである。

 

しかし、そのトレーニングの最中では、ご自分がその貴重な機会を与えられたことも、そのトレーニングのそもそもの目的もすっかり忘れ去られ、あなたは、その場での様々な移り変わり、変化の中で足を取られ転び、そして痛みを得る中で、徐々にその地でのトレーニングの目的をすっかり忘れ去り、その痛みを嘆くようになっていく。

そして、やがて、トレーニングの最終プログラムが終わり、さて、では家に戻ろうとなった時、初めてその地に来た目的を思い出すのである。

その様々なトレーニングの中で得たものは何か、どの程度目した成長はなされたか、等々を、その帰還後、つまりこちらに戻られた時に振り返るのである。

トレーニングの成果を検証することになるのである。

 

さて、ここからが今日の本題である。


その評価につて、ご説明しよう。

その愛を深め、広げる作業の目的とその成果はどうなされるのか、である。


あなたは、ご自分が主人公の映画をしっかり観覧され、すべての人生での出来事を振り返る。

あの時は、私はこのように行動したが、周囲の人達への配慮はどうだったか、私自身へのいたわり、そして周りの人達へはどう愛を為したか、等々がまるでご自分も相手の人達と同様にその時味わったであろう気持ちも、ご自分のものとして追体験をする。

そして、ご自分の行動が周囲に及ぼした結果をも、しっかり検証していくことになる。

一つ一つのご自分の振る舞いや言動によって、どういう影響が与えられたのかを俯瞰的に平らかに、第三者的に、すべてをもう一度振り返ることで、ご自分がどのようにトレーニングをこなし、どのような成長、過程を通り、どのような所に到達したのかを、細部に渡って、しっかり見返していくことで、あなたの今回の人生、愛の訓練、成果を大きく、把握できるのである。

あなたは、そこでしっかりご自分のこれまで為したこと、その行動となった心の動きの一つ一つ、そして、その時のご自分の評価、第三者的に一つ一つを見ていくのであり、それがこの地上での体験の総まとめの最終行事となるのである。

 

あなたは思うだろう。

あちこちの場面で、「しまった、あの時、あの人をこんなに傷つけていたのは、全く思いもしなかった・・・」とか、

「よかった~あの時、私はしっかり愛を中心にして行動していられた・・・」

等も、思うだろう。

それで良いのである。

トレーニングである。

できないことがある故のトレーニングであり、そのため愛を、より可能にするための苦しみ、痛みなのである。


あなたは立派にそのトレーニングを終え、戻り、回顧し、そして、しばらくここ天で休憩を取られるのである。

ここでの毎日はとても快適であり、あなたのご家族、友人達、加えて、私のような先輩達があなたを歓迎し、そして慰め、愛を与え、高く評価し、あなたはごゆっくり楽しく、愛に囲まれて、しばらくゆっくりなさるが良い。

私もあなたあの側に居て、必要なら、あなたを更に勇気づけ、そして愛もて接していくだろう。

 

地でのトレーニングの最中であるあなたと、あなたのお仲間たちに告げよう。

あなたの目的は、愛を広げ、そして味わい、その地独特の環境でこそ可能な様々な体験を味わい、そして成長して、いつかこちらに戻られて・・・というのを、どこかでしっかり腹に置いておきましょう。

 

愛する子供達、その時を、私は楽しみに待っていよう。

愛する子供達、愛もてすべてに対応できるよう大きくなって戻ってきなさい。

美しい子供達、・・・

愛もて、私はしっかり見守っているのを、知りなさい。

 

 

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206. あなた方は波乗りを興じているようなもの

2019-05-24 09:55:52 | 人間とは

 

こんにちは。今日のようこそお出でくださいました。ありがとうございます。

今回のメッセージ読んでいただくと、貴方様はきっとホッとされるかもしれません。

しっかりお読みいただくことで、私は次のような安心した気持ちになれました。

「ああ、そうなのですね…忘れておりましたが、そういうことでしたら、もう少し気を楽に持って生きて行かれそうです…。」というような感じでしょうか。

どうぞ、今回もごゆっくり、お時間をかけてお読みいただけますように。

 

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この美しき朝へ、あなたへの素晴らしい言葉、素晴らしいメッセージを与えよう。

今朝は、これまでのものと多少異なり、皆への賛歌を与えよう。


あなた方は私の子供達であり、私の大切な生き甲斐でもある。

「生き甲斐?…」 とあなたは思われる。

「神様も生きておられる?…死ぬことがないお方なら、生きているとも言わないのではないか?」

それが今あなたの疑問となって生じたのである。

これに対しては、こうお答えしよう。

 

私は皆と共に生きており、確かに死ぬことはない。

そういう意味では、生き方は異なろうが、あなた方も本来死ぬことはない…態形が変わるのみで、本来、あなたも死ぬ、無くなる、無になることはないのである。

 

それでは、私は何故、あなたと共に生き、死にするのか、に移ろう。


私はすべての子供達と共に常に在り、私は常に子供の側を離れず、見守り、そして愛を送っている。

その愛は、子供達に感じられようと感じられまいと常にあなたに注がれている。

そのようにあなた方も出来ている。

あなたが子の親になった時、あなたは常に子を想い、子に愛情の念を抱いている。

これと全く同様である。

 


それでは、私が常にあなたを守っている、常に愛しているとのことと、具体的にそこ、地球上で生きていくこととどう関わるのかを話そう。

 

元来、あなたがそこに行って生きてみたい!と希望されたことから、このストーリーが始まったのである。

子は親元をいつか離れて自立することで成長し、やがて自分自身、親となるのである。

それが、あなたが私の元を離れて、そちらに出かけられたということであり、あなたはそこで、今、一生懸命生き、様々な体験をしながら大きくなっていくのである。

そうご説明すると、私の、子に対する気持ちをより理解可能になっていただけるだろう。

 

さて、次に移ろう。


私はあなたを見守り、そして、さまざまな場面であなたを守り、そして必要な援助、必要な庇護を与えている、というのを具体的にご説明しよう。


あなた方は、私が側に居て、時々手を添えているのをご存知もなく、また、時折吹いてくる風よけになり、また、大きく打ちつける波を静めているのもご存知ない。

 

そして、あなた方は大声を時にはあげ、キャ~キャ~と喜びと驚きの混じった奇声もたまにはあげながらそこで遊びに興じておられるのも同様に、親の私には思われる。

実際、そうなのである。


ご本人にとって、その体験は、時には大波に流されそうになったり、時には海水を飲み込んで大きくむせたりと、苦しかったり、または、大切な友人、時には家族までもが急に波に見えなくなって、大声で嘆き悲しんだり、捜しまわったりして、悲喜こもごもの遊びの中におられる。

と、こういうのが、今、あなたがそこにおられて、体験をかさねている状況とそっくりである。

 

私は、ここでしっかり申そう。

あなたのその水遊びのような時に何があろうと、私は常にあなたから目をそらさない。

そして、波に呑まれそうになることがあれば、私は直ちに時を逃さず、あなたに手を差し伸べ、即座に助けるのである。

 

何があろう・・・と、である。

 

そして、その波乗りや水遊びにもう充分だと思う時が来ると、あなたは自ら予め予定した時刻にそこを引き上げることになる。

そして、私の方に向かって戻ってくるのである。

 

お分かりでしょう。

これが、あなたと私の関係なのである。

すべてのあなた方、お一人お一人との関係なのであり、何一つ怖れることはないのである。

 

存分に楽しんで来なさい。

波乗りを少しずつ上手になり、そして、波の大小もすぐ感じられるようになってくるでしょう。

あなた方は、すっかり忘れて波乗りに興じる余り、私のことも、やがて戻ってくることもすっかり忘れておられる故、今朝は安心されて、私の子として存分に波乗りを楽しまれんことをお伝えした。

 

いつか戻ってきなさい。

ああ おもしろかった・・・と。

そして、いろいろ体験したことを私にお話しされるのを、私は楽しみにしていよう。

 

それでは、今朝はこれまでとしよう。

 

 

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197. 「光と脳」 (2)

2019-03-20 21:06:25 | 人間とは

 

 

こんにちは。ようこそお出でくださいました。

今回は前回の「脳と光」の続きであります。じっくりお読みになりますと、理解しにくいところも徐々にご理解いただけると思います。

普段の生活では、改めて考えることも少ない話題かもしれませんが、なるほど…ともお思いになられるかもしれません。

どうぞ、今日もごゆっくり、何回かお読みいただけますように。

ありがとうございます。

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「光と脳」その2

 

脳がどう光を感知するのか、そして、そもそも光とは何か、を続けよう。

前回の説明の中で、光は、言わば大海のように、あなたや全ての存在を包み、そして生かし、そして、愛や創造、活動のすべての源、大源があるのをご説明した。

そして、この次に、この愛とは全ての根源であると同時に、すべての創造と愛とすべての宇宙の動きや運行を司るものでもあり、それなしでは何も存在しえないのである。

そして、加え、このエネルギーこそ、愛は光であり、私、すべての創造元である神でもあるのをお伝えした。

今日はこれに加えて、人の認識、認知、知覚と光とはどのような関係なのかについて語ろう。



光を感じる、とはどういうことなのか?


あなたが外からの明るい光に反応し、「まぶしい!」と感じるのはどうしてなのか、あるいは光は、加えて、暖かさやその他の多くのものを運ぶとはどういうことなのかである。

 

光をあなたが感じるというのは、あなたの目や皮膚、そして全体がこのすべてに偏在するものを感じる時、それは、脳が光であるのを感知、理解しているのではある。

しかし、ここで忘れてはならないのは、脳は身体の一部であり、あなたの根源的存在は、エネルギー全てに偏在する光の一部のエネルギーである。

これは、普段あなたの意識にのぼらない。


しかし、ここで常に意識されたいのは、光とは全ての存在、宇宙、言うまでもなく地球のすべての創造元でありながら、それらが生存を続けていくためのエネルギー源であり、すべての存在を顕現させている、と知る知覚をも可能にするという、すべてであることから、この、あなたご自身がこのエネルギーで出来ているのも、ご理解いただけよう。

 


さて、この体が如何にしてこの光を認識し、そして取り込み、自動的に、自然に、そこから、すべての欠くべからざる要素を取り込むのか、に移ろう。

 

このエネルギーは、あなた方の言う燃料では決してないのはもうご理解いただいたことだろうが、しかし、このエネルギーを感じるものは、身体とこの周囲のエネルギーである。

ならば、果たしてこの双方の担当、あるいは分担はどうなっているのか、である。


身体はこれまでも述べてきたように、あなたというエネルギー体、私の一部、魂を顕現させ、この地上で活動するための乗り物、衣服であり、その中に外部からの刺激を認知、理解するための脳があり、この脳がすべての理解と身体のコントロールを司っている。

これは既にご存知のところであろう。


この脳と光との関係も同様である。

目から、皮膚から、あなたは光を「ああ光だ、明るい」と感じる時、それは脳の反応であるのだ。

 

しかし、この脳とて身体の一部であり、これが正常に働くことが、まず、前提条件である。

 


さて、では脳とは、元来どのように作られているのか、その基本的構造を、私の創った者からの意図をご説明しよう。


脳とは、サーチライトのようなものであり、一人一人がそのサーチライトに写ったもの、照らされたものを区別し、そして理解し、身体中の神経や感覚器官に送り、行動の基本となすためのものである。

その脳の構造や材質、何で出来ているかは、これまでのいわば生物学、化学などで明らかにされてきた。

その中で、大きな進歩を可能にしたのは、その構造と機能を明らかにしたことも大きい。

つまり、左脳、右脳、そして中をつなぐ間脳、そしてその中を構成する細部の神経細胞や、認識可能にさせるすべての構造システムである。

 

それではまず、左脳と右脳について明らかにしよう。

ご存知のように、左脳は、認識をこの地上での生活に沿ったものにする機能であり、右脳は、このすべての存在をつなぐ大海の認識と理解、とに連携を可能にするためのものである。

 

つまり、この左と右を分けているのは、人間という形体への連なりと、大きな、もっと大きな命の根源であるものという、二つの別なるものを理解し、それに沿うためのものであり、間脳は二つの側面をつなぎ、連携させるためのものである。

この三つの部分がしっかりと機能して、人としてのこの地上での意味が理解可能である。

しかしご存知のように現段階では、主に左脳のご理解が発達途上で様々なことが明らかにされているが、右脳については、まだまだご理解が始まったばかりの段階である。


この左脳と右脳は、創った私からの説明は、こうである。


あなたは、大いなるものの一部であり、そこからのすべては右脳で受け取り理解する。

そして個々に分かれて、この地上で経験を積んでいく上での認識は左脳担当であり、この二つをスムーズに連携させるのが間脳ということになる。

しかし、この他にも全く今の段階では未知のものが多い、との事実もここで加えておこう。

 

いまだ発達途上であり、これからも様々な発見がなされ、人とはもっと素晴らしいつながりと区別による認識や活動が可能なのが、徐々に分かっていくだろう。またそれが、人間のこの地上の進化となるのである。

 

さてこれから、この左と右の脳の、もっと素晴らしい内在する認知能力と、それからの行動や理解、発展を可能にする、私が伝えたいものを話そう。

 

次回を楽しみに、今日の私からのメッセージはこの位にしておこう。

 

 

 

 

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196. 「光と脳」(1)

2019-03-08 10:53:28 | 人間とは

 

 

こんにちは。ようこそお出でくださいました。

前回は私たちが皆、天から地に降りた意識的存在であるとの説明をいただきました。きっと100%とまではいかずとも、ご理解いただけたところであろうと思います。そこが分かったところで、それでは、人として降りた私たちが、いろいろな経験をするため、身体といういわば多次元ディスプレイのようなものを身にまとっているけれど、その中の一番の中枢である脳とはどういうものか、光との関係はどういうことなのか、をお尋ねしてみました。

また、別のことで、個人的なお話になりますが、ごく最近、従兄の奥様が突然死されました。お葬式に参列し、娘さんがお棺にとりすがってお母様のお顔を見て涙を流されるのを見て、もらい泣きを致しました。そして、その後、荼毘に付す時も同じようになかなかお別れが出来ないご様子でした。その娘さんは個人的にもお付き合いがあるものですから、待合室で一人涙しておられる時に、傍に行き、彼女の携帯を出していただき、初めてこのブログを紹介し、ゆっくりと少しだけ、死についてのメッセージについてお話させていただきました。すると彼女の表情に変化が現れ、「私はこういうものが欲しかった…」とほっとされたようでした。ナンバー177~179 の、特に初めの「死は別れでなく、出会いであり、悲しみでなく、喜びである」というようなことを後ほど読んでいただくようお勧めしました。そして、後日、それが大変救いになったことを知らせていただきました。

それがあって、このメッセージはこういう折にもとても有難いものなのだと実感いたしました。どうぞ、お別れしなければならないようなとき、是非、この項目をお読みいただければ、あるいはご紹介いただき、お役に立てていただけますように。そうしてこそ、このブログの目的もかなえられるかと思います。どうそ、よろしくお願いいたします。

 

それでは、今日の「光と脳との関係」…ごゆっくりお読みいただけますように。

ありがとうございます。

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「光と脳」そのⅠ

 

光と脳の認識について、あなたが興味を持たれて、私に尋ねてこられたのは、私にとっても、とても嬉しいことであり、それを知ることで、また多くの人達に良い影響、より良い理解、そしてより多くの興味をもたらすだろう。

 

さて、光とは何か、についてまず言及を始めよう。

光とは、正しく私であり、愛そのものであり、そして生命の源であるのを、まずご理解いただくことから始めよう。

 

光、それは、全ての根源、光こそこの世のすべて、そしてこの宇宙のすべてを創り、繋げ、そして起因、結終までを生じさせるすべてであり、命そのものの根源のエネルギーである。

 

光の中には、全ての源、全ての因、すべて・・・総ての現象を生じさせるエネルギーが入っている。

そう、あなたには少しご理解しにくいかもしれませんが、徐々に説明を深めるに従ってご理解可能になっていくだろう。

 

 

さて、この光は、どうして光として認識されるのか、から始めよう。

 

美しい光は、私でもある、とはいかなることか?

 

光とは、右脳で認識しているのを、まずご説明しよう。

光は、粒であり、波であり、粉のように細かく動く波であり、そして紐のように結びつき、伸び縮み、そして拡大し、そして収縮し、そして希薄にも、濃縮されたものにも自由自在と変化(へんげ)可能であり、その内には莫大なエネルギーが内在しており、適切なきっかけ、適切な刺激のようなことに反応して、様々な方向へ形状、そして内質、外質、等々を創造、形造することになる。

 

つまり、光はこの宇宙のすべてを創るエネルギー、力であるのだ。

従って、光は神、すべての創造元と言える。

 

しかし、大切なのはそればかりではない。

その中に、愛という最高の性質、特質であり、それがもう一つの大切、決定的な特質である。

 

愛とは、人にとっても多くの恵み、歓びをもたらすように、他の形態の創造にとっても決定的なものを与えている。

愛こそ命そのもの、愛こそすべての根源であり、すべてが創造され、そして進化し、帰結するという道を巡る由縁をつくっている。

 

???と、今、あなたがご理解できなくても、それは当たり前であり、そのまま書き続けていただきたい。

 

では、続けよう。

 

その光の特質や存在を、そこから生じた、創造されたものが、如何に認識するかは、各々、それぞれの数だけの方式、方法があり、特に形としてや、質、量として認識するものから、霧のように感じるものまで、数知れぬほどの種類がある。

 

つまり、光を、「ああ光が照っている・・・」と感じる人間があなたであり、他の人々であるが、場所、他の宇宙の星々では、光の感じ方が異なるということである。

 

さて、この光こそ、愛であることを二つ目の特徴として挙げた。

 

三つ目の光の説明にいこう。

 

三つ目の光の特徴は、その生産性、創造性の多様性であり、そこからすべての多様性が発生可能なところである。

 

これは「光こそ、すべての発生源」との説明でお分かりのように、細かいものから巨大すぎて見えない、分らない、認識不可能なものまでの創造にわたっている。

 

今朝はここまでにしよう。

次回この続きをお伝えしよう。

 

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