それでは始めよう、ありがとう。あなたのご協力が、私のこれから伝えるべきことをしっかり世にお伝えできる根本的チャンスを可能にしてくれる。
それでは始めよう。
これから私のお伝えすることは、すべて実際に起こったことであり、あなたの妄想では決してないことを、まず、しっかり知っていただこう。
あなたと私の間柄も決して作り話ではないことも、明言したいところである。
これは、今となると歴史の中の一コマとも言えようが、実際には、今もこれからも、しっかり世の中に影響を与える力を持ち、それ故しっかり正確にお伝えするべきなのであり、私はあなたを通してこれが可能になるのをとても有難く、何にも代えざる素晴らしい出来事だと大変有難く、感謝の念にたえない。
それでは、今日の伝達を始めよう。
あれは・・・今から随分昔となることではあるが、人の基本的で大切な学び、会得すべきものを教えてくれた出来事であった。
ある日の午後であった。
私は、いつものように街中をゆっくり歩いていた時だった。
向かい側から、一人の男がダダダダというような感じで急いでこちらの方に走ってくるのが目に入った。中年の黒っぽい厚手のコートのようなものを羽織った男であった。
私を見つけて、まずこう言った。
「いいところで出会った・・・私を助けてくれ!」
との一言を言いながら、私の左腕をしっかりとつかんだまま彼は続けて言った。
「私は今、大変なトラブルに巻き込まれている・・・殺されるかもしれない。助けて欲しい!」
また、彼に腕を強くつかまれながれら私は言った。
「大丈夫だ、出来ることをする。詳しく教えてくれ、何が起こっているのか。」
彼は言った。
男が私の命を狙っている。私が彼の家の中をメチャメチャにしたと言って怒っているのだ。私はメチャメチャにした覚えはなく、ただ世話をやきたかっただけなのだ。」
「なるほど・・・どんなお世話をしたかったのか?」
私が尋ねると、次のようなことを話し始めたのだった。
その男は中年の独り者であり、その相手の家の一人娘・・・まだ若く、美しい娘さんが好きになり、何かと理由をつけてはその家に立ち寄って、彼女と会って話をしたかったのだ。
そのうち、家の者、主に母親がこのことについて心配し始めた。
年も大きく違った、この決して若いとは言えないどこの誰かもわからない男が大切な娘を狙っていると考え、警戒し始めたのだ。そして、ある日、彼女は意を決してその男に向かって次のような言葉を口に出した。
「うちの娘はまだ若い、あなたの子供のような年ですよ。触らないでください」と。彼はそう言われても、諦めきれなかったのであろう。相変わらず、娘さんの顔見たさにまた立ち寄ったのである。
今度は父親が家の中から顔を見せて、怒鳴るように伝えた言葉はこうだった。
「もう二度と顔を見せるな!うちの娘は、若くて美しい。お前なんかの相手じゃない!」
確かにその通りであり、彼も重々承知はしながらも諦めきれず、それからも何度か彼女の顔を見たさに家の近くをうろうろしていた時、とうとうその父親に怒鳴られ、手を上げられ、終いには「殺すぞ!」と言われて襟をつかまれたそうなのである。
彼が私にその話をする目には涙が浮かび、体は震えているようだったが、少しずつ落ち着き始めたようだったので、私は彼に言った。
「そうだろうネエ・・・あなたにはお似合いの年ではないだろう。あなたの子供のような年齢だ。親としたらそう追い返したい気持ちになるのも分かるだろう?」
彼は頷きながら、片腕を目を覆うようにあげて、「分かってる、分かってる・・・それはよく分かってる。でも、仕方ないんだよ」と、彼は言いながらも少しずつ落ち着いていくようだった。第三者の私にも言われ、彼は少しずつ諦める必要を実感したようだった。彼は泣くような表情でしっかりこう言った。
「わかった・・・わかりました。始めから無理だとは知っていたけど、やだけやってみようと思ったが、やっぱり無理なのがわかった。仕方ない、ありがとう。諦めよう、忘れるように努めよう。ごめん、迷惑をかけたナ。」
彼はこう言いながら、私に申し訳なさそうな表情を見せて、ヨロつきながら立ち去っていったのだ。
あなた、マリアは、今、思われている。「今朝はこんなお話し?くだらなくないかしら?」と。あまり乗り気ではないようであるが、もう少しお続け願いたい。
実は、これには続きがあるのである。
それからしばらくして、すっかりそのことは忘れた頃であった。
彼がサッパリした身なりをして、一人の女性と連れ立って歩いているのに出会ったのだ。
彼は、別人のように落ちついた様子で私にこう声をかけてきた。
「こんにちは。しばらくぶりです。あの時は、大変ご迷惑をかけましたネ。申し訳ない。でも有難いことに、今はとても幸せですよ。ホラ、ここにいてくれるのがその時の彼女なんです。
私はしばらく前の彼の様子を思い出しながら、隣にいる女性に目を移すと、そこには、若くして素直そうな小柄な女性がはにかむような表情をしながら、私に軽く微笑むように挨拶の言葉を口にしたのである。
私は多少の驚きと共に二人を見ながら「それは、おめでとう・・・よかったネエ。お幸せになってください。」と私は口にしながら二人を祝福したのであった。
このように年齢の違うカップルは、私もあまり出会ったことはなかったが、二人は仲睦まじそうにその場を離れていったのを、私は今でもはっきりと思い出すことができる。
愛とはある意味、不思議な面を時折見せるものである。こういうめぐり合わせをどう考えるべきか。自分の身近なところに同様なことが起こった場合、喜ぶべきか否かを考えた時、あなたはどうお考えになるだろうか。
私はこう考える。
愛は年月、時の流れを超えることもあるということであろう。
人それぞれの運命や異性との出会いは、時には予想やしきたり、常識をも超えたものになり得るのだ。
その意味や、意図、その後の運命等は天のみぞ知るであろう。
しかし、私は考える。愛が真実の愛ならば、年齢差はそれを阻止するほどの力は持ち得ないということを、これまでの例や他の実例から言えることであろう。
そもそも、時空とは私達の居場所の条件の一つのようなもの・・・統制を取るための一つの工夫ごと、ルールである。皆の生きる空間の一つのルールとしての時の流れを作り出し、ある決まりの中で人が生き、去っていくという、一つの規制のようなものではあるが、全てのルールに例外や特例があるように、その習慣に沿わないケースがあるのもよくあることで、決してまれなことでもなく、慣習を破ることで罰せられるべきでも決してない。
愛に伴うことについては、特にそう言える。
愛には全てをしのぐ力があるのであり、愛の強さ、力は、人の定めたものやしきたりという枠が愛の行く手を阻むことはできないのである。
愛の力は、すべての壁を突き抜ける力を持っているとも言える。
愛は純粋で、他の何の力も及ばない。
愛は自由であり、しきたりや、人の作ったルールや、制限を超えて、純粋に幸せを持ってくるのが、例えそれが一時であり、後ほど変化が起こっても、その力は発揮されざるを得ないのである。
その愛にはしっかりと意味があり、その奥には、愛によってのみ可能な喜びと学びの可能性も含んでいるだろう。
しかし、それだからこそ愛には、深い、多くの素晴らしい可能性を私達に与えてくれるのである。
純粋な愛のみが、持ち得る力である。
今朝は、この愛の一面について私の体験の一つをご披露した。
人によって考え方は異なろうが、今も昔も、そして、世界のどこにでもある・・・生じる、愛の顕現をご紹介させていただいた。
あなたにとって・・・マリアにとって・・・あまり承服できそうな内容ではなかったようだが、お許しいただきたくお伝えした。
ありがとう。