引き続き、佐野川用水を紹介します。
新幡郷発電所を過ぎると、断崖絶壁が続きます。そこに水路を開きました。
難工事だったことが想像されます。
弁財天岩隧道の開削は、越敷山(こしきさん)系の硬い岩盤(玄武岩)を掘り抜く難工事で、石工1人1日石屑3升とも伝えられている。
樋方治三郎は、出羽の国羽黒山に参りご神体の分霊を受け、隧道入口に小さな祠を建立し、護摩祈祷を行い、石工を督励したと伝える。
正面に橋本村房蔵を初め5名の石工、石碑の裏面に「山田治三郎尚真建立」、右面に「文久元年辛酉四月吉日」とある。
(伯耆町教育委員会発行「伯耆町の文化財」から抜粋)
TOP画像と2枚目は、羽黒神社の石碑です。
完成成就を羽黒神社に祈り、石工連中が奉納したものです。
石灯籠は、昭和34年(1959)に水路改修を記念して奉納されました。
山中を佐野川が流れていきます。道の下は、崖になっています。
前回紹介しましたが、この上流に小野地区と小町地区があります。(小野小町の墓も近くにあります。)
かつては小野に幡郷(はたさと)小学校小野分校があり、小野、小町地区の児童は4年生まで分校で、5年生からはこの道を4キロ歩いて幡郷小学校本校まで通っていたそうです。
私の同級生あたりになると定期バス通学でしたが、毎日バスに乗って通学とはうらやましく思っていました(笑)
(幡郷小学校、小野分校とも昭和40年に、旧大幡小学校と合併により岸本小学校となりました。)
↓前回の記事冒頭に紹介した、硬い岩盤を掘り抜いた隧道が見えてきました。
手彫りの跡がそのまま残っていますね。
当時の石工の槌音が聞こえてきそうです。
↓隧道から約1キロほど下ると、森を抜け、伯耆町坂長付近に着きます。
昭和62年(1987)に佐野川改修工事が行われた記念碑が建立されています。(右上)
私が小学生のころは、このあたりは一面田んぼでしたが、今は団地ができています。(左上下)
今はコンクリ護岸になっていますが、その当時はコンクリ護岸ではありませんでした。
水もゆったりと流れ、魚も棲んでいました。
坂長に同級生がいて、夏には水浴びして遊びました。
右下の画像付近に、かつて幡郷小学校がありました。
校歌にも
流れも清い日野川と 佐野の恵みに育まれ 明るい希望に 燃えながら 真心込めて働こう
と、2番目の歌詞に佐野川が歌われていました。
また、何年生のときか忘れましたが、幡郷小学校創立45周年記念事業があり、そのときに、当時小野分校で教鞭を執っておられたI先生の作詞による記念の歌がつくられました。
丘を巡ってゆく水に 影を映して 明るい我ら・・・
メロディは覚えていても、歌詞は断片的にしか覚えていませんが、「丘を巡ってゆく水」が、佐野川のことを言っています。
↓坂長を抜けると、いよいよ最後の流れの長者原です。
佐野川がなかったら、この高台もこのような光景は見ることができないでしょう。
旧幡郷小学校には佐野川記念日が設けられ、体育館に集まって先生から紙芝居で佐野川の話を聞いたり、遠足にも行きました。
私の子どもが小学校の学習発表会では、この演劇をしているのを見ました。
今でも、岸本小学校では、先人の偉業を絶えることなく後世に伝えているそうです。
吉持家代々の功労を顕彰するため、明治34年(1901)、記念碑が建立されました。
正面に「長者原開拓元祖吉持吉十郎紀念碑」と刻され、碑文の終わりに「慈ニ其徳ヲ景慕シ此碑ヲ建テゝ記念トス」とあります。
工事の監督に当たった吉持家11代吉十郎は、このまま長者原に永住したそうです。
この記念碑は、子孫が今も暮らしておられる長者原の家の近くに建っています。
佐野川は、指揮監督に当たった佐野増蔵が由来のようです。
↓この記事の終わりに、標識を頼りに、南部町田住にある吉持家の本家まで行ってみました。
母屋は、県の保護文化財に指定されているそうです。
以上で佐野川探索記は終わります。
長文で失礼しました。
佐野川の上流がこんなことになっていたとは。
こういった経緯を知ってると、自転車で走ってても
楽しいかもと思いました。
実は、今日この辺りを走りました(笑)
小野小町の墓にも行こうかと思ったのですが、
坂が急だと言うことで、行きませんでした(爆)
バックボーンの話を聞いた後では
本当に音が聞こえてきそうです
佐野川記念日というのもあったのですね
小学校でこういう話をきちっと伝えていくのは良い事ですね
写真でなく、先人の労苦に感動してくれてありがとうです(爆)
ありゃ、今日はこの辺うろついてたのか!!
私は、ネットに伝っていたアサガオも枯れたので、取り除いてましたよ。
何せ、木造40階建に梯子を登って取り除いたから、一日仕事だったよ(爆)
せっかく梯子を登ったのに、うろついてるのが見えなかったよ(爆・爆)
長者原方面を走ったのなら、小野小町の墓まではそんなに起伏はないのだが。。。
小中学校の同級生で小野や小町から通っていた女の子がいたが、
そのころみんな可愛くて、今はきっと美人のお母さんになっているだろうなぁ(笑)
子どものころに祖母に連れられて、このあたりの山にキノコ狩りや、芝刈り(笑)に行きました。
このトンネル入口は、そのころと同じですね。
コウモリがいると言われていて、近づくと怖かった記憶があります。
小学校のときに先生から佐野川の話を聞いたときは、そんなに感動はしなかったですが、
大人になって改めて訪ねてみると、先人の偉業に思いを馳せましたね。
コンクリートで直線的な用水より素敵です。
コラージュになってる画像の場所は、
こしきが丘の下付近でしょうか。
隧道の画がよいですね~~
ホント、これを作った昔の人たちの意気込みが感じられます!
この下流にも隧道があるのですが、以前の改修のときにコンクリにされたようです。
こうして当時を偲ぶよすがが残されているのは、すばらしいことだと思います。
はい、そうです。このあたりも出没されますね(笑)
>コラージュになってる画像の場所は、
>こしきが丘の下付近でしょうか。
は・は・はい。
難しい英語使われると戸惑いますが、多分4枚セットの画像のことですね^^;
左上画像の、左側に見える団地は、こしき団地から一段下がったナントカ団地です(笑)
この隧道は、未来永劫に残ってほしいですね。
面と向かうと、思わず手を合わせたくなりました。