every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

ヒップホップ・ファンタジー

2019-05-01 | HIP HOP

過日2月に新宿Disk Union Duesで催されたトーク・イベントに参加してきた。

“2018年の『ミュージック・マガジン』のラップ/ヒップホップ(国内)部門のベスト・アルバム(ベスト10)の合議の選者で、長年それぞれの立場、視点でこのジャンルを見続けてきた荏開津広、二宮慶介、二木信が選定の舞台裏の議論を皮切りに、様々な楽曲をかけつつ、いま激動するこの音楽文化についておおいに語り合う“というイベントだ。

詳細 → diskunion presents 「Talkin’ bout Hip Hop Music of Japan 2018 & 2019 feat. 荏開津広×二宮慶介×二木信」

 

イベント・レポートとかは省くけど(省くのかい!)、そこでつくづく思ったのはラップ/ヒップホップというアートフォームは今その時代に起きたことをラッパー自身の言葉で語るアートフォームだから産地直送で新鮮な内、つまりFresh! な内に味わないと真価を味わえないのだ。 というわけでパッケージ派の自分もサブスクリプション・モデルに手を伸ばした。 産地直送NI輸送って感じで手軽に聴けるのはいいけれど、音楽がストックではなくフロウになりそうなので改めて書き留めておこうと思った次第。

終わり前置き。
この半年たらずで気になったラップ/ヒップホップ・アクトは二組いる。
Dos MonosとMORROWだ。


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Dos Monosは運よくライヴも観れた。 少し暖かくなってきた春の渋谷109屋上でみた彼らは音源で聴く以上にフィジカルで汗と唾をとばしていた。 フリーキーなスタイルなようでオールド・スクール・マナーを弁えていて、フィジカル性にも富んでいるという意味ではCompany Flowを彷彿とさせるかも? あと、なんとなくTTCとかも思い出した。 昨年WARP RECORDSのプレイリストに入っていたと聴いた覚えがある。遅かれ早かれ海外でも評価されそうだし、国内でももっと話題になるでしょう。

 

MORROWはTwitterからふとしたきっかけで知った。 そのきっかけとなった投稿が何だったか忘れたけれど、ニート東京で話題になったりしていたらしい。


音雲に挙げられた曲を聴いてみた。

4月中頃のことだ。以来、繰り返し聴いている。Dos MonosはSPORTIFIで聴いているのだが、自分の環境的にはDLしてiPhone内ローカルで鳴らす方が取り回しがしやすい。 そういう音楽以外の理由もあるのかもしれないけれど、圧倒的に今年出た新譜ではリピート率が高い(因みに今年の新譜では同じくSPORTIFIで『Hochono House』と『Stay Flo』がヘビーローテーション)。


昨年12月にアップロードされたMIX TAPE『CHINO UZI』の2曲目「たまに欲しくなる薬物」が耳を引く。
たまに欲しくなる薬物
好きで嫌いな白いブツ

3月にあったピエール瀧の件を契機に薬物依存者に関するケアなどの話が話題になっていたのもあり、殊更この曲がペシミスティックに響く。いや、厭世・悲観というよりも快楽への逃避とそうしてしまう自分への忌避がないまぜになった単純ではない感情の響きだ。 リリックをただ文字で読んだとしたら、こういう解釈はしなかっただろうと思う。 単純な文字面だけを読み取ったスクウェアな読解だけでない新たな感情が言葉に付加されるからこそ音楽なのだと思うのだ。 トラックはトラップだし、フロウもKohh以降という風に感じる……と書くと「じゃ、いいや」と感じられてしまうかもしれないけれど、熱心なラップ・リスナーとはいえない今の自分の耳を惹きつけるのは彼が自分自身の言葉を放っているからだろう。 KEEP IT REALと金科玉条のごとく掲げられるのは、借り物でない己の言葉を放つというヒップホップの発生以前のスタート地点から来る基本姿勢だ。だから、コピー・キャット、スタイル泥棒は排除されるし、セルアウトしてクライアントの意向を代弁するラッパーは撲滅キャンペーンが貼られる。 3月の出来事も踏まえればMORROWのような人が周りの知人・友人にいたら引くとは思う。 だいたい『CHINO UZI 』で歌われていることが、どこまで本当にあったことか盛っている話なのか、全くの創作なのかは(今の自分には)分からない。 しかし聴き手としてはそんなのは関係ない。抽象的な話で恐縮だが、それが自分の言葉であるかどうかだけだ。創作だとしても、それをファンタジーとして楽しめるのがラップ・ヒップホップだと改めて思う。


・・・・だから、ヒップホップ・リスナー(Bボーイ)として大麻撲滅とかに逡巡なく賛同できないのだようなぁ。遵法意識ある日本国民としての意識とヒップホップ・リスナーの間で悩まないの? と話がズレだしたところでおしマイケル!


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