every word is just a cliche

聴いた音とか観た映画についての雑文です。
全部決まりきった常套句。

ミュージックマシーン

2009-05-31 | 音楽NEWS
ナタリーを運営するナターシャ代表:大山さんのBLOGが面白い。
ナタリーの前身とも呼べるミュージック・マシーンについての記事だ。


そもそも送り手が受け手の欲しいものを把握するなんてことは不可能だし、もしそれができると思ってるならそれはやっぱり傲慢だと思う。

「君たちこういうの好きでしょ」とか「これをレコメンドするおれのセンスすごいでしょ」とか、そんな上から目線の自意識は20世紀に置いてくればいい。送り手の側は、自分が持てるすべてを提示して、そこから先の判断は読者に委ねてしまえばいい。結果としてそこにあるのは玉石混淆の雑多な情報かもしれないけど、読者はその中から自分にとっての宝をつかみ取ってくれるはず。それがウェブという無限の荒野における情報流通の正しい姿だし、たぶんそれが読者を信じるということなんだと思う。


目から鱗というか正に慧眼の一言。

ミュージック・マシーンはふたつのポリシーがあった。

1) 批評をしない
2) ぜんぶやる

のふたつだ。

書きたいことを書くんじゃなく、読んでる人が読みたいだろうことを書き自分の好みはどうでもいい。アイドルポップスもハードコアパンクも同じように扱って何を読むか/読まないかについての選択権、主導権を読者に委ねた。


無意識のうちにニュースに偏りが出たり、コメントに熱がこもってしまったり、そういう失敗(自分にとってそれは失敗だった)はあった
が、ミュージック・マシーンは音楽情報収集機として機能していたと思う。

しかし、そこに編集性が無かったわけではない。
仮にgoogleの検索ロボットの何百倍も高性能な検索エンジンがあったとして、機械的にWWW上にある音楽情報を集めたとしてもミュージック・マシーンのようにはならないだろう。

もうちょっと現実的な喩えだと、大山卓也でない他の誰かがミュージック・マシーンを引き継いだとしても、それは別のページになるだろう。

ぜんぶやるって言ったて、そのぜんぶぜんぶじゃない。
それは運営者の見えているぜんぶでしかない。
だから、人が変わればぜんぶも変わる。

そういうことを踏まえた上で、WWW上で情報を送る際の態度としてぜんぶやるというのは正しいと思う。

何故なら、

人には必要ない情報が必要なんだよね。仮に自分にとって必要十分な情報が過不足なく提供されたとしたら、人はそこに物足りなさを感じてしまうはず。「もっとなんかあるんじゃないか」って不安になる。あふれる情報の中から自分にとって不要なものを排除して、必要なものだけを自分の意志で選びとったときに、やっとぜんぶを手に入れたという満足感を得ることができる。ある程度の無駄があるからこそ、メディアとしての幅が広がるんだと思う。

から。

"これしかやんねぇ"っていうニッチな集積が芳醇にあるからこそ、成立する態度ではあるけれど。

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