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カゴシマドライブ

鹿児島を中心に、史跡や風景撮った写真を、コメントと一緒に紹介しています。

薩摩藩馬牧跡&薩摩藩牧場跡展望所 お馬追ヶ丘」の入口 @霧島市

2018年12月05日 | 日記

牧之原に来た時に必ず立ち寄る「福山ふくふくふれあい館」。

 

わたしの「鹿児島県の好きな物産館ランキング」で上位に入るお店。

販売しているものがなんかおいしそうに見えるし、広さもちょうどいい(笑)

果物も野菜もおいしそうだし、秋に入ると他の物産館よりも栗の販売が早いので重宝します。

 

 

そしてここの駐車場にある史跡案内文。

 

「薩摩藩馬牧跡」です。

 

天正8年(1580)島津家17代島津義久は、この地に「福山牧」を開設しました。
「福山牧」は、隣村の敷根・末吉・恒吉・牛根にまたがる周囲40キロ以上に及ぶ九州一の規模を誇りました。最盛期には、2500頭以上の馬が飼われ、多くの名馬を産出しました。18代島津義弘が「関ヶ原の戦」で騎乗した名馬「小紫」や後の世に明治天皇が乗られた白馬もこの福山牧の産です。
安永8年(1779)に桜島が大爆発し、大量の火山灰や噴石で牧草は枯れ、水も出なくなり千頭以上の馬を失いました。
その後、福山牧は復興され文久3年(1863)まで続きました。毎年8月には、「馬追い」の行事が開催され、近隣の20の郷から一万人以上の人が集まりました。「馬追い」は、二才馬を武者や勢子が追いかけ、苙(おろ)といわれる窪地に追い込み捕らえる行事です。
この日は、藩主や役人たちも観覧に訪れ、勇壮な武者絵巻に堪能したと言われます。
現在、この付近を牧之原と言いますが、昔の福山牧の存在から生まれた地名です。
霧島市教育委員会 平成21年9月建立

 

そんでもって、県道478号線沿いにある「薩摩藩牧場跡展望所 お馬追ヶ丘」の入口です。


手書きで、


味のある案内柱。


この展望所から当時の福山牧が一望できるようです・・・。

ようです・・・。

そうです、ここまで来といて行きませんでした、むしろ、行けませんでした(-_-;)

行こうと思えば行けたんだけど、曇ってたし怖かったしイノシシでそうだったので(イイワケ)。

 

ここから280mくらい歩けばきれいな展望所があるはず。

 

 

Googleで見るとこんな感じ。行けば分かると思うんですが・・・一応自分のためのメモ。

 

晴れた日に出直すぞ。

バイク乗りの人はチャッチャと行けるからいいな~。

 

「薩摩藩馬牧跡」福山ふくふくふれあい館駐車場に案内板あり

「薩摩藩牧場跡展望所 お馬追ヶ丘入口」鹿児島県霧島市国分上之段

 


聖神社 @鹿児島市四元町

2018年11月25日 | 神社

この3連休、ようやく購入したFire TV Stickで「Nのために」を見終わったので、

録り溜めていたドラマ「中学聖日記」を一気見しました。(7話目までだけど)

 

主人公の有村架純さんが演じる役名「末永聖(ひじり)」。

登場人物が「ひじり」「ひじり」と呼ぶたびに、私はこの神社を思い出します。

 

 

「聖(ひじり)神社」。

そのまんま。

 

 

別角度から。

この近くに、以前飼っていたワンコのお墓があり、お墓参りに行くたびに気になっていた神社でした。

 

 

鋼材の鳥居。比較的新しいような気もします。

 

木の根がはびこる階段。

 

木の根を避けながら階段を登ろうとするけど、これがなかなかムズイ。

石段の幅も狭いので、よろけながら登りました。

 

 

 


階段を登り切ると拓けた場所が。

神社の由来があります。見ましょ見ましょ。



聖神社

祭神 素戔嗚尊
御神体 鏡と木像
創建年 天文4年(1534年)

この神社は、平谷へ通ずる道路より下にあったものを、現在の位置に遷座されたもので、今日では四元地域の氏神として管理されている夏の例祭時(6月)には、6月橙があり、神前に備えた御幣を四元地域への入口三ケ所に立てて、悪疫の侵入を防ぐ習慣は古くから引き継がれており、町内ではここだけに伝わる特殊な習慣である。また、秋の例祭時(10月)には、祭りをしています。

(指定外・記念物)
平成13年12月1日
鹿児島市教育委員会

 

あのですよ。

地域への入口3か所に御幣を立てるとか、悪疫の侵入を防ぐとか、なんかワクワクしません?

なんだかミステリーっぽい!金田一耕助っぽい!(わたしの考えが悪疫ですねすみません)


ちなみに、もともとこの神社は「平谷へ通ずる道路より下にあった」とあります。

現在の「四元水の手の田の神」の場所を説明するときに「聖神社から平谷に通ずる道路の左下にある」と言います。

ということは、その田の神さあがいる場所にもともとの聖神社があったということなのでしょうか。

「四元水の手の田の神」から現在の聖神社までは約500m。ほぼ道路沿いに田の神があります。

 

 

別角度から。

枝を落とした杉の木が、神社の結界みたいじゃないですか。


ほら。


一緒に行った母が先にお参り。

最初に見た鳥居と違って本殿は年季が入ってますね。塗料がとれかけている。

 

別角度から。

 

石灯籠と手水鉢です。

 

郷土史を見てみます。

※神社創建は1534年

室町時代1535年(天文4年) 第14代島津家当主・島津勝久  
四元山ノ神宮石燈篭及聖神社石灯篭奉納

安土・桃山時代1565年(永録8年) 第15代島津家当主・島津貴久
直木村四元 聖神社拝殿造営

江戸時代1667年(寛文7年) 第18代島津家当主・島津家久
奥門名頭石塚伝右衛門、四元の聖神社再興

 

貴久の時代に拝殿造営し、家久の時代に神社再興される。

父子の関係や四兄弟に想いを馳せながら、神社を後にします。

 

階段の途中にあった案内柱。階段を下るときに気づいた。

 

永禄8年に拝殿造営の棟札と寛文7年に再興した棟札があり、又天文4年に奉納の石灯籠
から推計しすでに460年以上経過している古い社である。祭神素戔之雄命

鹿児島市教育委員会

 

先ほどの鳥居。

 

 

皇紀2672建 ですので、西暦2012年に寄進建立された鳥居だったのですね、どうりで!

2012年以前の鳥居を見てみたいですね。

そもそも鳥居があったのかな?

 

聖神社(ひじりじんじゃ)
鹿児島市直木町908
駐車場なし 

 

2017年3月撮影


寿司ダイニング洲崎@ドルフィンポート

2018年11月04日 | グルメ

母とランチ。

前から行きたかった、ドルフィンポート内にある

寿司ダイニング・洲崎(すざき)さん。

 

パンプキンスープ。

 

前菜。

 

手まり寿司のようなミニサイズ。

女性にはじゅうぶん。お魚が非常においしい。

 

赤だしと茶碗蒸し。

 

杏仁豆腐マンゴーソースがけ、と黒糖ふくれがし。

 

えー、お店はと言いますと、女性率が非常に高いです。

というかむしろ男性には少し物足りないのでは?という量だった気も。ランチに限ってはですが。

ディナーコースもあるそうなので、こちらもぜひ食べてみたいです。

 

 

せごどん、どーーーーーーーん!

せごどんのお顔がひとまわり大きいどーーーーーーん。

 

明治維新150周年記念のパネルですね。

一番左は小松帯刀さん、でしょうか。

お顔が凛々しいので小松帯刀だと思います。キッパリ。


 

2017年7月撮影


二本松橋 @南さつま市金峰町

2018年09月05日 | 南薩ドライブ

本日は、江口浜の蓬莱館でお昼を食べたあと、南のほうにドライブ。

 

2年ほど前に、GoogleMapに「行ってみたい場所」登録をしていたところへようやく行ってみました。

場所は南さつま市金峰町。

 

金峰山が見えます。

いやぁ、天気もいいし空気もおいしい。

日中は暑いですが、どことなく秋の気配がする景色です。

 

 

 

そして、こちらが「行きたかった場所」に登録されていた 「二本松橋」 です。

 

橋です。

 

 

いたって普通の。

 

 

どこから見ても。

 

二本松橋記念碑。

 

 

下を流れているのは川は、堀川。

蛍が見れるきれいな川です。

橋名 二本松橋
橋長 34米
幅員 4米
等級 二等橋
型式 Freyssinet ポストテンション工法
設計 南田恵三
施工 南日本高圧コンクリート株式会社
事業主体 金峰町 町長宝楽稔
土木課長鮫島和夫 〇長神野栄 ※〇字は不明
着工 昭和42年12月
完成 昭和43年 6月

 

2013年撮影のストリートビューを見ますと、橋の袂に2本の松が植えられています。(↓)

 

この時点で右側の松が枯れているので、松くい虫にやられたのでしょうか。

素敵な写真スポットだったのに残念っ!

 

 

と思っていると、

 

 

よくよく見たら、

右も左も新しく松が植えられていましたヽ(^o^)丿やたー

 

 

松が植えられた由来が記念碑の裏に彫られているんですが、草でよく見えないです。

草を掻き分ければよかった。

あの時の自分めっ!

 

 

困ったときの郷土史を県図書館で見てみるか…。

 

ところで、なぜここを「行ってみたい場所」に登録していたのか…本当に覚えていませんが、

おそらく当時のマイブームだった、鹿児島のそれぞれの地方の昭和写真集に掲載されていたからではないかと思います。

 

植えられた理由が分かったらまたこのページを更新したいと思います!

 

2018年9月撮影


高龗(タカオカミ)神社 @出水市今釜町

2018年05月03日 | 出水ドライブ

 

今日は朝から、出水市緑町のコンテナハウスのお菓子屋さん Tant Pour Tant(タンプルタン)さんに向かったんです。

お昼ご飯を、阿久根市の海の見えるレストラン「望海(のぞみ)」さんで焼き魚定食などを食べている間に、

 

 Tant Pour Tantさんの場所を調べておこうとGoogleさんに聞いたら、

 

本日は定休日です、と。

 

 

うっそおおーーーー( ゚д゚)ーーーん

 

 

というわけで、

久しぶりの神社巡りにレッツゴー。

まずは、出水市の高龗神社(タカオカミジンジャ)。

 

あまり聞いたことのない「まむし除け」の神社、です。

 

 

 

 

高龗神社(タカオカミジンジャ)

所在地 出水市今釜町344番地

御祭神 天水分命(アメノミクマリノミコト)
御祭日 旧12月15日(現在は新暦で行う。)

由緒
天禄年間(1703年)、この地方は、干拓され美田となり、水田豊穣の神として奉祀された。
古より「まむし」除けの神として広く知られ、この地方には、まむしを見ることはなく、御祭神を仰ぐために遠くからの参拝者も多かった。
「まむし」除けに神殿床下の砂を持ち帰り散布し、神礼を受ける習わしがあった。
「八王竜王」(縦2尺横1尺)の扇額があり、延享元年12月吉日(1744年)溝口利兵衛成就寄進とある。

 

「八王竜王」の扇額

 

天水分命(アメノミクマリノミコト)は農業用水を分配する分水嶺(ぶんすいれい)の神です。神社の周りは人家もありますが、ほぼ田んぼですので、神様のお力添えもあっておいしい農作物ができるのかなぁと思うところです。

 

お参りを済ませて…

まずは、先ほどの神殿床下の砂って持ち帰るために、何か特別な扉などあるのだろうかと側面から見てみます。

 

 

他の神社と変わりなさそうですね。

この地方には今はまむしを見ることがないということなので、もう砂を持ち帰ることはないのかな。

 

 

社殿を眺めていると、梁のところに「丸に十の字」。

 

説明文には島津家のことは明記されていないけれど、出水は島津のお膝元だから何か縁があるんですかね?

出水の郷土史に書いてるかな。

 

鳥居建立記念碑、日露戦役記念碑、高龗神社建立碑などが並ぶ中、硫黄島戦没者顕彰慰霊碑の前に立った途端、

 

どこからともなく、

~♪わたしの~お墓の~ま~えで~泣かないでください~♪~

と千の風になっての曲が流れてきました。

慰霊碑の前に立つと、真後ろにあるスピーカー(写真右)の人感センサーが反応して曲が流れる仕組み。

まさかこの神社でこんな立派な設備に出会うとはっ。

 

そして、境内にある目を引く大樹。

 

 

クスドイゲ
西暦1877年(明治10年3月)西南の役で官軍が名古に上陸後、名古(現在は名護と表記)、今釜は神社をはじめ民家は焼き打ちされた。
その中で焼失を免れた一本の木が「クスドイゲの木」である。以来、131年の歳月にわたり「西南の役」を語り続けながらの生き字引となっている。平成20年9月25日

 

根っこ。

 

以前このブログで、えびの市の荒神堂のタブ大樹をご紹介しましたね。

そのタブ大樹も西南の役の兵火に遭いましたが、現在も外皮だけで繁茂しています。

このクスドイゲの木も焼失は免れたということですが、強い生命力で130年以上もの間この地域を見守り続けたんでしょうね。

 

次のブログは、菅原道真公を祀っている米ノ津天満宮をご紹介します(^^)/