カゴシマドライブ

鹿児島を中心に、史跡や風景撮った写真を、コメントと一緒に紹介しています。

予定外の山登り 岩屋観音@鹿児島市春山町

2017年01月29日 | 歴史~鹿児島市内

以前作成していた かごしまドライブ というホームページにも載せていた松元町(※現・鹿児島市春山町)の岩屋観音。

かごしまドライブはきれーいに消したつもりがネット上に残ってしまっている!






岩屋観音を訪れたのは2006年9月。ですので以下の駄文も当時のものです。




家族が、松元にある「グリーンプラザ川崎」で野菜の苗を買いに行く、ということでのこのこついていきました。

行ったついでに、前から気になっていた「岩屋観音」に行ってきました。




県道から町道らしき道に入り、「岩屋観音コース」という看板を頼りに進みます。


すると、コンクリの道が終わり、砂道に変わってきます。


「あれ…もしかして…」軽くドキドキしてきました。


今日の格好は、勝俣並みのハーフパンツにラグラン一枚。

これで森・林の中に入っては、史跡めぐりの天敵、蚊・蜘蛛に襲われてしまうではないか!!


それでも車でぐんぐん進んでいくと、やっぱりそうでした。


目に入ってきた看板は


「岩屋観音 登山道入り口」。




あかーーーん!!




「自分で行きたいと言っといてなんだが、もう引き返したい…」と思っていると、地元のおじさんに遭遇。
そのおじさんによると、「10分行けば観音がある」ということでした。



でも1人では絶対行きたくない。。。ということで父親を引き連れて登山開始。


ちなみに父の格好は、私よりも短い半ズボンにポロシャツ、足元はサンダル。





ちなみに、この岩屋観音の説明が駐車場の隅にあります。





頂上までは約550mとのこと。


近くに落ちていた長い枝を拾い、蜘蛛の巣を振り払いながらゴツゴツした山道を進みます。




すさまじい勢いで山を登る父の後ろを、必死で追いかける私。


サンダルなのになんでこんなに早いんだろう、と思いつつ、こんなことに巻き込んでしまってごめんね、と心の中で謝罪をば。


途中で道案内の看板も立ってます。







「轟の滝」もあるようです。

疲労のあまり私は行けなかったんですけれども・・・。


観音様付近になると、コケ岩が増えてきます。




私は軽くすべってコケそうになりました。行くかたは気を付けて。。。





韓国岳並みの山道を、親子汗ダクダクで登ること10分。


ようやく「岩屋観音」に着きました。








不動明王と観音様が祭神のようです。

お産・交通安全を祈願する方が多いとのこと。

大きな岩が20枚も積み重なっているようです。











境内です。キレイなお花がお供えされています。

こうやって管理する方がいらっしゃるから、私みたいなのが史跡めぐりをすることができるのです。

ありがたいこってす。




拝みましょ、拝みましょ。






お参りを済ませ、頂上まで130mの看板がありました。





鹿児島市内が眺望できると聞いていたので、せっかくだから登ることに。





5分ぐらい登ると…本当にすばらしい景色が。




ここらへんから見える景色は・・・、皇徳寺、星ヶ峯、桜ヶ丘、西陵・・・うーむ。どれでしょうか。
星ヶ峯・・・かなぁ?

その向こうには桜島が見える、はずだけど、この日は曇っていたためよく見えない(涙)

それでも、登ってよかったねぇ~~(涙・汗)といいながら、登頂記念に交代で写真を撮りました。




頂上からの景色は疲れも吹き飛んじゃいますね♪

しばしボーッとしちゃいました。




それから黙々と下山。

一応靴を履いていた私ですらコケの上で軽く滑ったのに、サンダルで下山する父は、一度も足を滑らせることはありませんでした。

いろんな意味で父親ってスゴイ、と思った岩屋観音訪問でした。


ちなみにお時間は往復30分で巡れました。




場所:鹿児島市春山町323

続・ワイポンの鐘

2017年01月03日 | 霧島ドライブ

先日のブログの続きですが、テキサスワイポンと牧園牧場の証となる「ワイポンの鐘」を撮りに霧島高原乗馬クラブに行ってきました。



今回は、裏の物産館からではなく、ちゃんと正面入り口から入りました(;^_^)





駐車場入り口には「馬に乗ってみよう!」とウェルカムなイラストの看板が♪








こちらがワイポンの鐘。



こうやってみるとオシャレな鐘ですね。





鐘の横にいるカメラが大好きなポニーたち(前回同様)





目がキラキラしてかわいい(^^)




そして、今日もウトウトしていた彼。(前回同様)









この日の鹿児島は肌がキーンとする寒さでしたが、日差しが当たるところは案外ぽかぽかしており、厩舎にいるお馬さんたちは顔を出して日向ぼっこをしている子もいれば、中で爆睡している子も。







鼻を撫でらせてくれました。



赤ちゃんのほっぺみたいにプニプニ~(^^)







あぁ。。。眠いのね(-_-)zzz


先日のブログで、この乗馬クラブの前身は牧園牧場だったと書きましたが、駐車場に牧園牧場の跡碑がありました。









牧園牧場のあゆみも書いてありましたよ。



    牧園牧場の創立は遠く明治29年に遡り、はじめ農商務省所轄九州種馬牧場と称し種馬の繁殖育成を行い、その後明治40年8月馬政局所轄鹿児島種馬所となり、陸軍省、農商務省等それぞれ所轄は変わったが、業務は、鹿児島、沖縄両県を管轄区域とする種馬業務であった。戦後昭和21年5月鹿児島種畜牧場と改名。従来の種馬業務の外に和牛、山羊、緬羊等を取入れ南九州の畜産指導の拠点となる。特に戦前・戦後を通じ本県馬産の基礎を確立した業績は大きく昭和10年には、天皇陛下の行幸を拝ぎ、往日の盛況が偲ばれる。しかしながら時代の変遷は昭和25年4月この牧場を廃場に追いこみ、牧園町は、由緒あるこの広大な牧場が荒廃に帰するのを憂え、桜の名所としても観光的にも知られるところであり、勇断をもって跡地の払い下げを行い、昭和25年7月1日をもって牧園牧場として発足し、多大の犠牲を払いながら経営を維持し軽種馬の育成牧場として内外にしられその間、公営牧場として和牛、緬山羊の飼育、酪農、養鶏、家畜人工受精業務などを行い町内は勿論、地域の畜産振興に貢献しかつては緬山羊の牧場としても知られ牧歌的風景は、霧島高原の風物詩として観光資源に役立ってきた。尚、昭和27年に牧園高等学校定時制畜産科設置で実習農場ともなり、又中央競馬会の抽せん馬預託を昭和28年から受け競走馬の育成業務をおこない、永い歴史の中で経営を変えて頂いたのは日本中央競馬会と個人預託の力添えによるところが大きく、競走馬育成を45年間で延べ1600頭を各競馬場等に送り出した功績は大であり町営牧場として45年、国営からして100年の永い歴史に平成8年3月末日で終止符を打ち牧場閉鎖となる。



  「牧園牧場のあゆみ」
    明治29年5月   九州種馬牧場(農商務省管轄)
    明治40年8月   鹿児島種馬所(馬政局管轄)
    昭和21年5月   農林省鹿児島種畜場(農林省管轄)
    昭和25年4月   農林省鹿児島種畜牧場廃止決定
         7月   牧園町営牧場として発足
    昭和26年10月  家畜人工受精所開設(牛)
         12月  牛乳殺菌処理施設設置
    昭和27年4月   牧園高等学校定時制畜産課設置され実習場になる
    昭和28年3月   農林省畜産局競馬部より育成馬15頭の預託を受け軽種馬の育成業務を開始
         3月   町営牧場羊毛加工場開設
    昭和30年3月   国営競馬場廃止に伴い預託馬は日本中央競馬会に名義変更される
    昭和32年11月  伝書鳩による牛の精液輸送を開始する(敷根種畜場より)
    昭和44年3月   牧園高校畜産科閉校並びに記念●除幕式(●は読めず)
    昭和47年5月   緬羊、種雄牛飼育業務廃止
    昭和54年4月   町営授産所廃止となる
    昭和59年5月   第35回全国種樹祭開催される

    平成8年3月 牧園町営牧場閉鎖 


    種雄牛・・・食肉用・乳用とそれぞれの目的にかなった優れた遺伝子を持つ雄牛。
          各地の種雄牛センターなどに登録され、人工授精などに使われる。種牛。




内容を読むとえっ!?と思うところも多々あり、「伝書鳩による牛の精液輸送を開始」なんかびっくり。

わたしは伝書鳩についてよく知りませんが、そんなことまでできたの!?と。

しかも敷根って垂水の敷根ですよね。伝書鳩のすごさを認識しました。


ちなみに、牧園高校畜産科閉校時の記念樹?記念碑?なんだろう… 文字がつぶれて読めませんでした。

         追記・・・牧園町郷土誌を読みました。すると・・・
   
          昭和44年2月 定時制畜産科並びに記念碑除幕式


          とありましたので、記念碑ということで間違いないのでしょう。
          郷土誌は2月、牧園牧場の跡碑には3月とあります。
          おそらく郷土史のほうが合っているのだろうと考えるところです。




畜産科学び舎の跡の碑。現物の写真を撮りに行きたいですね。



あっ…牧園町の郷土史が読みたくなってきた。。。