神戸市須磨区緑台。
この季節特有のピンクが映えるコスモスの丘から見渡せる,その視界の果てには・・
明石海峡大橋の鉄塔が見渡せます。
その明石海峡大橋なんですが・・
実はこの週末,夜のライトアップが・・・。
ド・ピンクだったりします。
普段,ピンク色って,結構目立つ色だけに,
ピンク一色の服装してる女子は,逆に浮いてしまって近づきがたい印象を持ったりするもので。
こういう色はアクセントに使うか,同じピンクでも色彩を抑えたものを選ぶかしないと,センスを疑ったりします。
まーそれでも似合う人ならいいんですけど。
むしろ,何着ても構わない人は構わないんですけど。
(超主観)
ええと。
そんな中,このピンクに反射する海ってのは,滅多に目にかかれないだけに神秘的に見えたり。
実はこれ、ピンクリボンキャンペーンの一環なのだそうです。
こんな橋を見ながら,ピンクリボンに言及するわけではないけれど,
私の父親がこのたび胃を全摘出するに至った経緯には,いくつかの偶然が重なりました。
まず,差し歯がポロっと取れてしまったために,近所の歯医者に出向いたところ,
そこで検診をうけたときに,口内に腫瘍らしきものが見つかったこと。
その口内の腫瘍を取り除く手術をするために大学病院を紹介され,
そこで手術を受けた「ついで」に食道と胃腸を検査してもらったことから,
早期ながら進行系の癌が胃にあることが見つかったというもの。
大学病院の場合,医学生の研修の場であったり,研究機関として将来の医学の進歩のためのサンプルとして
患者にとっては余計な検査や医療時間を取られたりするというものですが,
逆にその慎重な検査が功を成して癌を治療することができました。
それでも,当の本人にすれば,胃の除去というのは手術直後の痛みへの恐怖と
胃を取った後の生活に対する絶望感は果てしなかったようです。
幼い頃からその日食べるのに苦労し,故郷から離れて就職して神戸にやってきて
全ては食べるため,そして家族を食べさせるために働いてきたというのに,
その食べることが苦痛になる生活を死ぬまで負うことになったというのは,
ひとつの生きがいを失ったようなものだったと思います。
絶望感からなのか,痛み止めのモルヒネのような幻覚作用なのか,
前日まで夜睡眠薬で眠っていても,戦場にいる夢を見て点滴の管で身動きできないのに
外に必死に逃げようと歩きまわっていたのを,同じ病室の方に抑えてもらったという話も聞いていただけに。
ある日,父親とその方とでゆっくりお話する機会がありました。
その方は,すでに癌の摘出手術も行ったもののそれでも癌が摘出できず,抗がん剤の治療も効かず,
結局,今は痛み止めの薬しか飲めないという状況だったそうです。
それでも,私の父親の悩みを受け止めてくれた上で,「悪い部分が取れて良かったですね。」って笑って声を掛けてくれて。
そんな話を聞いたうちの父は「僕は,今まで自分が本当に不幸だと思っていたのに」って言いながらぽろぽろ泣いていました。
次の日,私が病室にお見舞いに来た頃には,その方はすでに退院されていました。
でも,生きる希望を持った父親が,少し明るい表情になっていたのは,本当に驚いたというか。
人生七色ってこと?(これは21時の時報)
たぶん,ポジティブに考えると,うちの父親は運が良かったのかと。
胃がなくなり,これから死ぬまで大変な生活をするのは承知の上でも,手術をして癌がなくなり生き延びれるわけですから。
なので,せめてまだ癌が早期のうちまでに発見できるように検査をしといて欲しいっていうことでしょうね。
このピンクリボンの主旨は。
そして,また再びもとのピンクへ。
同じく癌を持っている,うちのナイトさんですが,彼が生き延びることが,うちの両親にとっての幸せだったりします。
毎日ただ無言で寝て食ってしかしてないナイトさんも,父親が帰ってきたそのときは,
目を丸くして珍しく「きゅーきゅー」って声をあげて,父親に寄り添っていました。
どっちが甘えてんねん?
イトメンのチャンポンメンじゃないけど,あ~しあわせだな~って?
いや,まだまだこれで満足しちゃいけないんだよ。
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お時間とお気持ちに余裕がありましたら・・。
この季節特有のピンクが映えるコスモスの丘から見渡せる,その視界の果てには・・
明石海峡大橋の鉄塔が見渡せます。
その明石海峡大橋なんですが・・
実はこの週末,夜のライトアップが・・・。
ド・ピンクだったりします。
普段,ピンク色って,結構目立つ色だけに,
ピンク一色の服装してる女子は,逆に浮いてしまって近づきがたい印象を持ったりするもので。
こういう色はアクセントに使うか,同じピンクでも色彩を抑えたものを選ぶかしないと,センスを疑ったりします。
まーそれでも似合う人ならいいんですけど。
むしろ,何着ても構わない人は構わないんですけど。
(超主観)
ええと。
そんな中,このピンクに反射する海ってのは,滅多に目にかかれないだけに神秘的に見えたり。
実はこれ、ピンクリボンキャンペーンの一環なのだそうです。
こんな橋を見ながら,ピンクリボンに言及するわけではないけれど,
私の父親がこのたび胃を全摘出するに至った経緯には,いくつかの偶然が重なりました。
まず,差し歯がポロっと取れてしまったために,近所の歯医者に出向いたところ,
そこで検診をうけたときに,口内に腫瘍らしきものが見つかったこと。
その口内の腫瘍を取り除く手術をするために大学病院を紹介され,
そこで手術を受けた「ついで」に食道と胃腸を検査してもらったことから,
早期ながら進行系の癌が胃にあることが見つかったというもの。
大学病院の場合,医学生の研修の場であったり,研究機関として将来の医学の進歩のためのサンプルとして
患者にとっては余計な検査や医療時間を取られたりするというものですが,
逆にその慎重な検査が功を成して癌を治療することができました。
それでも,当の本人にすれば,胃の除去というのは手術直後の痛みへの恐怖と
胃を取った後の生活に対する絶望感は果てしなかったようです。
幼い頃からその日食べるのに苦労し,故郷から離れて就職して神戸にやってきて
全ては食べるため,そして家族を食べさせるために働いてきたというのに,
その食べることが苦痛になる生活を死ぬまで負うことになったというのは,
ひとつの生きがいを失ったようなものだったと思います。
絶望感からなのか,痛み止めのモルヒネのような幻覚作用なのか,
前日まで夜睡眠薬で眠っていても,戦場にいる夢を見て点滴の管で身動きできないのに
外に必死に逃げようと歩きまわっていたのを,同じ病室の方に抑えてもらったという話も聞いていただけに。
ある日,父親とその方とでゆっくりお話する機会がありました。
その方は,すでに癌の摘出手術も行ったもののそれでも癌が摘出できず,抗がん剤の治療も効かず,
結局,今は痛み止めの薬しか飲めないという状況だったそうです。
それでも,私の父親の悩みを受け止めてくれた上で,「悪い部分が取れて良かったですね。」って笑って声を掛けてくれて。
そんな話を聞いたうちの父は「僕は,今まで自分が本当に不幸だと思っていたのに」って言いながらぽろぽろ泣いていました。
次の日,私が病室にお見舞いに来た頃には,その方はすでに退院されていました。
でも,生きる希望を持った父親が,少し明るい表情になっていたのは,本当に驚いたというか。
人生七色ってこと?(これは21時の時報)
たぶん,ポジティブに考えると,うちの父親は運が良かったのかと。
胃がなくなり,これから死ぬまで大変な生活をするのは承知の上でも,手術をして癌がなくなり生き延びれるわけですから。
なので,せめてまだ癌が早期のうちまでに発見できるように検査をしといて欲しいっていうことでしょうね。
このピンクリボンの主旨は。
そして,また再びもとのピンクへ。
同じく癌を持っている,うちのナイトさんですが,彼が生き延びることが,うちの両親にとっての幸せだったりします。
毎日ただ無言で寝て食ってしかしてないナイトさんも,父親が帰ってきたそのときは,
目を丸くして珍しく「きゅーきゅー」って声をあげて,父親に寄り添っていました。
どっちが甘えてんねん?
イトメンのチャンポンメンじゃないけど,あ~しあわせだな~って?
いや,まだまだこれで満足しちゃいけないんだよ。
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