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月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

配達人の苦悩

2009年08月21日 | その他のドラマ



難しい役だったと思います。


やっと観ることが出来た、
「最後の赤紙配達人」。

そこで吉岡君が演じた
西邑仁平さん。

いや、いつも実直に悩んで悩んで悩み通して、
誠実に真っ向から役に取り組む吉岡くんだから、
彼にとってはどれもがみな、
難しい役なのだとは思うのですが、

でもこの役は、今までとはちょっと
毛色の違う難しさがあったとですよね。


ドキュメンタリーとドラマが
交互に入り込むという構成になっているから、
観ている方としてはどうしても無意識のうちに、
その二つの間に、
気持ちの空白が出来てしまうのだと思うです。

ドラマは作り物、という概念の枠は
どうしても外せない。
だからそこからどう真実を伝えていくのか、
というところに、
実在の人物を演じるという重みと難しさが、
深い溝のように介在していたと思うです。


駆け足で描かれていく
仁平さんの軌跡でありますが、
演じる吉岡君はしかし、
決して急いでいなかったと思うです。

戦地へと、黄泉へと命を見送るたびに、
仁平さんの気持ちの花びらが、
ひとつ、
またひとつと、
世情という湖水にはらりと落ちて、
ゆっくりと、
悲しみの円心を広げながら
心の湖底へと沈んでいく感じ。

心に内包したドラマ=葛藤を
押し包むように抱え込みながらも、
しかし押さえきれずに
外へと湧き出されてしまう、
気持ちの揺れ。

そこから伝わってくるものは
技法でも作為でもなくて、
とても繊細に流れていく、
あるがままの、
仁平さんの心の在り方。

息を吹き込んだ人物を、その場所に
「いさせてあげる」
ことができる吉岡くんだからこそ
できたことなのだと思うです。


吉岡君は、感情を画面に
押し付けてこないでありますばい。
気持ちの押し売りなんてふざけたことは
絶対にしない。

悲しかったり、嬉しかったりする気持ちを
演じるというのではなくて、

悲しかったり、嬉しかったりする気持ちの中に
身を置いている。

だからこそ、
言葉だけではなく、表情だけではなく、
体全体で呼吸された感情が粒子となって
こちらに深く浸透してくるのだと思うです。


脚本に書かれた動作、言葉の柵を
その人物からふわっと取り払ってあげて、
無限に息づかせて広げてあげられるやさしさが
吉岡くんにはあって、

ただ人物の感情を台詞や表情で
トレースしていくのではなく、
その人物としてその出来事をその場にいて
白紙から経験して感じていくことが
出来る人なのかもしれないですだ。

それは感受性の豊かさと、
許容性の大きさ、
その二つの力があってこその
優れた表現力なのだと思うです。


ドラマや映画を観ていて時々思うのですが、
役者さんには誰にでも、
演じる役に対しての
相性というものがあると思うとです。

とても上手に演じているのに、
見ていてなんとなくしっくりこないというか、
服を上手く着こなしているのに、
サイズがちょっと合わなくて
体との間に隙間が空いてしまっている、
そんな感覚に出くわしてしまう時があるとですねぃ。

吉岡くんと仁平さんの二人は、

時勢という大きな一つの船に乗せられて、皆
流されていくしかなかった時代の中にあって、
しかし自分の心の中にある棹は決して手放さなかった
確固とした信念を持った仁平さんの人間性と、

あらかじめお膳立てされている状況設定に寄りかからず、
仁平さんが直面してきた事柄から逃げずに
真正面から向かい合って演じたであろう
吉岡君のその切実なまでの一途な思いと実践力が、
ぴたっと表裏なくかみ合わさって一体となり、
その調べは画面上に自然に反映されていたと思うです。


ドラマは作り物だから、
と線引きをしてしまうことは
とても容易いことだと思うです。

でも、
心に残していく、
ということに、
そんな線引きはないわけで。

観た人それぞれの心に沁み入って
そこに様々な色を生み出したであろう
吉岡君が演じきった仁平さんの存在は、
それは確かな一つの真実であり、
事実であるのだと思いますです。



「あんな・・・・、利美兄ちゃん、おるか?」

深く暗い井戸の底水に、
ぽとん、
と気持ちごと落としてしまったような
その言葉の響きが、
心の中でずっと木霊していて
離れないままでありますです。


お見事やった、吉岡くん。


コメント (2)
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