この間12月に入ったと思ったら、
あっという間に、もう月半ばで、もうすぐ年末。
どうして12月という月は全世界総出で忙しいのだろう?
12月限定バージョンの早回り時計台というのがロンドン辺りに
存在しているに違いないずら。
どこもかしこも、はいはいはいはいはいはいはい
忙しいんだから忙しくってよ、忙しすぎて何に忙しいのか
忙しすぎて忘れちゃったわ、あーこれでもかってな程忙しいのよ、
んもうっキィィーーーーーーーーーーーー!
ってなモードでキリキリモンモンすったもんだのすっとこどっこいであります。
しかしこの時期、忙しくしていないと、まるで世界から取り残されたような
気分になってしまうのは、おかしい。
自身の存在意義は周りの圧力によって左右されるべきものではない、
とソクラテスも蕎麦をすすりながら言っていたと思う。
私なんて、思わず、「年の瀬反対っ!世界に平和を火の用心!」
と叫びたくなってしまうのですだわ~。
んがしかぁし、それでもやはり忙しく動き回ってしまうのが現実の日々であり、
あ~んもうどうすりゃいいのだぁタコのふんどし~!!
それにしてもタコのふんどしとはよく言ったもんだわ、笑わせるわね、
んふふ、あは、あっははーっ、勝負あったり!
などとふざけている心の余裕は全くなく(←ないのかよ?)
半径3㎜周辺に黒い粉を吹きまくっている師走の私でごわす。
年の瀬ですのぉ~。
こんな時には心のホッカイロ、吉岡君。
ということでやっと夕べ、久しぶ~りに吉岡君の作品を観たであります。
会いたかったよ~ん、吉岡く~ん!はぁ~、心の安らぎだわ、吉岡くんったら、
アロマセラピーみたいやでぇ~、と、ふやけたはんぺんみたいになりながら
思ったことがあったのでありますが、
吉岡君という役者さんは、「語る人」ではないだろうか、と。
ストーリー全体を、演じる人物によって語ってくる役者さんだと。
いやこりは決して、饒舌な演技をしてまっせ、へへへ、ということではなく、
その存在自体から寡黙に話の核を語ることの出来る人、
なのだと思うわけであり、そこがこの人の凄味だと思うわけで。
以前にも書いたと思うのですが、吉岡君は、
出来事にくっついて人物描写をするのではなく、
人物描写によって、起こってくる出来事をストーリーに
映えさせることの出来る人なのだと思うでありますだ。
そりは時には地味な演技と呼ばれるものかもしりないであります。
しかし世の中に派手なアクションをするという人は、紅白歌合戦で
電飾を纏って歌っている人たちくらいなわけであって、
そんな人たちはごく稀であり、現実的ではないわけでして。
吉岡君の生み出す人物たちは、現実感があるわけで、
しかしそれは「現実味」ではなく、あくまでもシンプルに
「現実」という、視聴者に極々近い場所にいると思うわけで。
だからこそ、吉岡君が織りなす目線や呼吸などが、
自分の目線や呼吸となりえてストーリーに一緒に潜り込むことができ、
そこに流れている感情に触れることで更なる気持ちの感動を生むのでは
ないのだろうか、なんて思ったりしたわけでありますだ。
例えば、吉岡君が涙を流している姿にもらい泣きをするのではなく、
吉岡君の演じる人物が悲しいから涙を零している、その悲しみに触れて
こちらも悲しくなり泣いてしまうのだと思うわけであり。
それは吉岡君が私たちに語りかけてくる感情と融和する
自分自身の感情でもあるからなのだと。
観客の気持ちを引き出し、ストーリーに乗せ、そうすることで話自体に
深みを増すことの出来る彼は、間違いなく優れた語り部くんであり、
名優くんであると思うであります。
彼の後姿が「絵になる」とよく言われるのは、
もしかしたらそんな語りから生まれてくるものなのではないだろうか、
なんて思ったりもしたでありますだ。
気持ちという語りを、その姿全体から、寡黙に、真摯に語りかけてくる吉岡君。
優れた語り部。
カタリーベ・ヒデタカ。
洋菓子みたいな響きだわ、とにかく美味しいということには違いないずら。
ヒデちゃんったら、いつでも極上、うふっ♡
演ずるということは、相手の役者さんとのやりとりを通したり、
監督の指示で組み立てられていくのが基本の一つなのかもしれないけれど、
しかしそれはあくまでも外枠からの組み立てなのだと思うわけで、
詰めていくのはやはり役者さんの心ひとつに懸かっているのだと思うであります。
そりはとても孤独な作業なのでありまっしょい。
その孤独にどこまで対峙し、どこまで耐え、どこまで掘り出していけるのかが、
すなわち語りの深さに繋がっていくものだと思うでありますばい。
吉岡君は、外枠へと安易に逃げこんでしまう人ではないと思われ。
感情の溝をとことん掘り込んで掘り進めていくことの出来る無頼の人
なのかもしりない。
研ぎ澄まされた美的感覚、人としての美意識を持って生きている人
なのかもかもしりない。
でなければ「語る」という至難なことなど出来はしないずら。
いかすでよ~、吉岡く~ん。
師走の喧騒も黙らせるかっちょえさだわ。
惚れるでねぇか、たまらんぜよ。