SAMURAI・コーチング!

戦国武将は、なぜ茶の湯に魅せられたのか?茶室で男は、日本男児になる!
喧騒から静寂へ…~SAMURAIたちの世界~

SAMURAI・コーチング!  茶と禅~

2021年02月24日 | 茶と禅

 茶禅一味

まず最初のご紹介は、茶禅一味 です。


お茶の心は禅の精神に一致するもので、

何者にもとらわれず、自分自身である、(Beingという状態)という

禅の精神はそのまま茶道が目指すところです。

茶道は禅という精神的なよりどころによってより深まり、

高められてゆきました。            


また禅もその高邁な精神を茶道という文化と合流したことで

日常的に体験できる場、茶の湯の振る舞い、所作をとおした実践の場

提供することができたのです。

       
               円相 
              (えんそう)は、禅における書画のひとつで、
              (いちえんそう)」「円相図(えんそうず)」
               などとも呼ばれる。 
               悟りや真理、仏性、宇宙全体などを円形で
               象徴的に表現したものとされる ... 


茶と禅は本来は別物ですが、その求めるところ目指すところは、

人間形成、

悟りの境地、
三昧といわれる状態です。


一味とは、仏教用語で如来の教えは、
時形は様々であってもその本旨はただ一つであるという意味です。


侘び茶の開祖、村田珠光は、大徳寺の一休宗純に参禅しその修養をとおして、

悟りの境地に達し、圜悟克勤の墨蹟を賜ります。

以来、茶席には墨蹟をかけるようになりました。



珠光は、将軍義政から「茶の心とは何か」と問われたとき、

「茶とは遊に非ず芸に非ず、ただ禅悦の境地にあり」と答えたといいます。

一休のもとで参禅を重ね、禅の教えは経典や説教の中だけにあるのではなく、

茶の湯(日常生活)の中にこそ見出すことができるという


茶禅一味 ちゃぜんいちみの中に真理を得たのです。



 圜悟克勤[1063~1135]中国、宋代の臨済宗の僧。
 現存する墨跡、(禅宗の僧の書)の中で最古の作。
最高位の圜悟克勤の書であり、古くから墨跡の第一とされてきました。
   
墨跡とは筆で書かれた書跡を言います。

狭義には、宋元時代の禅宗僧侶の書跡と、鎌倉時代から
江戸時代にかけての禅宗僧侶の書跡。
わび茶の世界では、茶室の床飾りに墨跡を第一と位置づけ、
筆者の人間性をも含めて鑑賞しました。
厳しい修道を克服した高僧の書には、一種独特の妙味があり、
そこに筆者の人となりや禅機のあふれるさまを感じたのです。



哲学者の西田幾多郎氏は、


純粋経験とは、客未分(しゅきゃくみぶん)の状態における

直接的な経験」という言い方をしていますが、

主客未分というのは、主観と客観、この2つが分かれる前の状態ということ。

言い換えれば主体と客体、つまり自他の区別がない状態。

 
文章にすると何だかややこしいんですが、

自分がこれをやっているとか、そういう感覚じゃなくて

ただただ無心に何かに没頭して、それこそ時間のたつのも忘れてごはんも忘れ

て集中して何かをやっているとき、


(例えば、一心不乱に練習に打ち込んでいて、はっと我に帰ると

あっという間に、日が暮れていた。とか)

そういうのを主客未分の経験=純粋経験、というんだそうです。


 

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« SAMURAI・コーチング!   ... | トップ | SAMURAI・コーチング!   ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (draranmac)
2021-03-20 10:26:09
初めまして
フォローして頂きどうもありがとうございます。
これからも よろしくお願いします。
返信する
Unknown (waviva)
2021-03-21 01:02:45
ありがとうございます。こちらこそです~
返信する

コメントを投稿

茶と禅」カテゴリの最新記事