ある音の調べが流れはじめたとき、
ある素晴らしい建築作品のきりひらく場の開けのなかに足を踏み入れたとき、
じぶんがいる、ここ そこの 辺り一面が、一斉に際立った臨場感をもって、その存在が引き立ち、起ち上がってくる。
そんな体験に襲われたことはないだろうか。
わたしは、ある映画のなかの一情景と、ある建築作品の写真にであったとき、この体験をした。
それは、
映画「戦場のピアニスト」(原タイトル"The Pianist")のなかで、人の住処でなくなった荒涼とした街の残骸のただなかで、主人公がChopinの曲を響かせるシーンを初めてみたときがであり、
また、
建築家・Frank Lloyd Wrightが大地のうえに打ち立てた(建立した)、いまは亡き旧帝国ホテル本館の内観を写真貼でみたときである。
前者のワン・シーンでは、
戦火のなか焼き捨てられ、打ち捨てられた廃墟と化した町のただなかで、
主人公がピアノに手をかけ、鍵盤を叩いて弦を震わせる。
その瞬間、起きたのは、
人気のない、水を打ったような音のない、広漠とした、寂寥感と虚脱感に充ちた 満たされることのない寒い空間のなかに、突如そこを突き破る、激しい魂の躍動の響き渡りであった。
この響き渡りが鳴り響くまで、その遺棄された空間を生きる者はおらず、ただ一人の人間によってさえ、その空間は生きられていなかった。
その存在は忘れられ、その空間の存在は、もはや誰かによっても意義づけられたり、解釈されることを止めていたである。
しかし、突如そこにひとつの音楽が鳴り響くことによって、この遺棄された空間に、ふたたび存在の照明があてられたのである。
その空間はふたたび存在し始めたものとなり、その存在の開けには、ふたたび意味が付与された。
音の旋律が、その場に、存在し始めるという動的な動きを引き起こしたのであり、そこに存在と、その次に意義と意味付けの場が開かれた。
Chopinの曲が流れはじめた この映画の一場面は、私に音楽とは、存在の場をきりひらく圧倒的な力を内に蔵したなにか、なのだということを思い知らしめさせた。畏怖の念、それも、人間わざを遥かに絶した、そのあまりの圧倒さに、恐怖感がよびおこされ、ひざが笑い始めるほどの激しい畏怖の感情に、私は襲われたのである。
では、Frank Lyoid Wrightの建築空間の場合はどうだろう。
ここで体感したこと。
それは、
心地の良いリズムが体の奥底からこみあげてきて、全身から体の外、さらにWrightの建築空間の全域にまで充満し、対流しているかのような体験であった。
音の形象化=音の彫塑 の実現(出現)とでもいうべき
それはまさに、本物の、真正な(authentic)クラシック楽曲の響き・旋律の調べが、この建築の壁や柱、そして天井・床のかたち・デザインの空間的連なりを目で追っていくことで、自然と流れはじめてくる感覚であり、それはまさに、心地いいリズムを形象(かたち)のなかに刻印・結晶され、留まらせることに成功した、存在リズムの彫塑・彫刻ともいうべき建築である。
真に驚嘆すべき安らぎの場の開設であり、どこか母胎の襞のなかに安らいでいるような、洞窟の内部の肌を感じさせるデザインと素材をもちいた建築であった。
(マヤ文明の形象から、Wrightはそのデザインの形象の着想を、得たのだという)
この感動は、どこからやって来るのだろう。
なぜ、どのようにして、わたしたちの体は、このような音の調べのイメージを聴き取ることができるのだろう。 そして、いったい、どこから、その音が聴こえてくるのだろうか。
わたしは、この音の旋律は、前回のエッセーで文にしたためてみた、あの存在の律動・拍動と、どこかかかわりがあるのではないかとみている。
そしてその拍動がもたらす美の感覚は、
空から存在の空間・場(時空間の広がり)へと、この世界が空からつきあげられ、存在の鏡域のうちへと設立されてくる、あの出現の過程がもたらすactuality(木村)としての情感・人が(感じる)覚える世界の根本気分をほうはいとかんじさせてあまりない、水墨画の(デザインの前にたったときの)感動や、
世界の厚さ・豊穣感・充実感を体感させる骨董の椀を両手にとってみたときの感動に、どこかで通底しあう経絡が流れているのだとおもう。
いまだ言葉にできぬ、かくされた地層の水脈のような経絡が、である。
Lloydは、次の言葉を後世に残しているようだ。
「デザインとは、
自然の要素を純粋に
幾何学的な
表現手段によって
抽象する ことである」
この「抽象」化のプロセス、妙技は、おそらく理屈によって到達されたのではなくて、Lloydという人の体のなかを<気>のように対流していた存在のリズムの拍動を、Lloydが余すことなく、聴き取ることのできた感性・直観によって、うみだされたものとおもわれてならない。
それこそが、龍安寺の石庭を描いてみせた、庭師(親子)が、まるで当人が世界の磁力の磁力線を感じ取る探芯棒(磁石)であるかのように辺りを杖でたたきながらあるきまわるなかで、石や砂利を あるべきところに 自然と 配置してみせた芸当を可能にしていた感性と、根本が同一であるとおもわれるのである。
リズム・・・この言葉を、存在論の文脈で、量子論の到達しつつあった知見にめくばせをしつつ、主題にすえて一冊の小論集を世にだしたのが、2、30年前の中村雄二郎氏である。
われわれは、クラーゲスや、ゲルノルト・ベーメ、といったドイツの人々の感性に耳をかたむけつつも、空や空気感をかんじとり、水墨画をうみだしてきた、そして、フランスの印象派に感じ入ることのできた繊細な存在感(世界の気配)聴覚力をもって、存在のリズムと、それを通常の数倍のスケールで倍加して感得させてくれるような、世界との関わりあい・間合いの取り方に強みをきかせてくれる、楽曲の音の調べや、ある線以上の秀でた建築空間に共通する契機がなんであるのかを、よくよく検討し、探り当ててみることが肝要なのであると考えている。
なぜならば、その共通する契機を洗い出し、そこに通底する本質を洞察し得たときにはじめて、空間の場の広がりと、ときの流れ、という、この存在の境域における、世界という場、いあわせた物(「集摂体」・本来的な「物」(das Ding))と隣人(たがいにとっての世界の「開け」・「空域」を重ね合わせる同伴者・邂逅者)とのもっとも豊穣で味わい深い間合い・距離感のなかで、この世界の存在の・そして、出現の旋律に、よりよく耳をかたむけ、より豊かに、際立って、自覚的に、みずからがそのような世界の場の立ち上がり・創建・創設の開けのなかに、同伴者として立会い、存在している事実を、豊に体得できる生活を送れるようになれるヒントが潜んでいるからである。
プラトン、アリストテレスが問うた、汝、より善く生きるとは? という問いに実践をもって答えることのできる日は、このヒントを手にして糸口にすることで、わたしたちにとって真に、縁のある、現実的な将来目標スケジュールの視野に、やがておさまるようになるのでありましょう。
日々、仕事のなかで、職場と自宅との行き帰りの通勤移動のなかで、この問いはすこしつづ、解かれていかれるのでなくてはならない。
いかにより善く生活し得るかという問いに答える思索の時間とは、生活者の生活している日々の 平生の生活活動と生活労働のなかから、おのずから、生きて生じてくるものであるはずではないだろうか。
1/23 02:38AM 自宅1階にて
ある素晴らしい建築作品のきりひらく場の開けのなかに足を踏み入れたとき、
じぶんがいる、ここ そこの 辺り一面が、一斉に際立った臨場感をもって、その存在が引き立ち、起ち上がってくる。
そんな体験に襲われたことはないだろうか。
わたしは、ある映画のなかの一情景と、ある建築作品の写真にであったとき、この体験をした。
それは、
映画「戦場のピアニスト」(原タイトル"The Pianist")のなかで、人の住処でなくなった荒涼とした街の残骸のただなかで、主人公がChopinの曲を響かせるシーンを初めてみたときがであり、
また、
建築家・Frank Lloyd Wrightが大地のうえに打ち立てた(建立した)、いまは亡き旧帝国ホテル本館の内観を写真貼でみたときである。
前者のワン・シーンでは、
戦火のなか焼き捨てられ、打ち捨てられた廃墟と化した町のただなかで、
主人公がピアノに手をかけ、鍵盤を叩いて弦を震わせる。
その瞬間、起きたのは、
人気のない、水を打ったような音のない、広漠とした、寂寥感と虚脱感に充ちた 満たされることのない寒い空間のなかに、突如そこを突き破る、激しい魂の躍動の響き渡りであった。
この響き渡りが鳴り響くまで、その遺棄された空間を生きる者はおらず、ただ一人の人間によってさえ、その空間は生きられていなかった。
その存在は忘れられ、その空間の存在は、もはや誰かによっても意義づけられたり、解釈されることを止めていたである。
しかし、突如そこにひとつの音楽が鳴り響くことによって、この遺棄された空間に、ふたたび存在の照明があてられたのである。
その空間はふたたび存在し始めたものとなり、その存在の開けには、ふたたび意味が付与された。
音の旋律が、その場に、存在し始めるという動的な動きを引き起こしたのであり、そこに存在と、その次に意義と意味付けの場が開かれた。
Chopinの曲が流れはじめた この映画の一場面は、私に音楽とは、存在の場をきりひらく圧倒的な力を内に蔵したなにか、なのだということを思い知らしめさせた。畏怖の念、それも、人間わざを遥かに絶した、そのあまりの圧倒さに、恐怖感がよびおこされ、ひざが笑い始めるほどの激しい畏怖の感情に、私は襲われたのである。
では、Frank Lyoid Wrightの建築空間の場合はどうだろう。
ここで体感したこと。
それは、
心地の良いリズムが体の奥底からこみあげてきて、全身から体の外、さらにWrightの建築空間の全域にまで充満し、対流しているかのような体験であった。
音の形象化=音の彫塑 の実現(出現)とでもいうべき
それはまさに、本物の、真正な(authentic)クラシック楽曲の響き・旋律の調べが、この建築の壁や柱、そして天井・床のかたち・デザインの空間的連なりを目で追っていくことで、自然と流れはじめてくる感覚であり、それはまさに、心地いいリズムを形象(かたち)のなかに刻印・結晶され、留まらせることに成功した、存在リズムの彫塑・彫刻ともいうべき建築である。
真に驚嘆すべき安らぎの場の開設であり、どこか母胎の襞のなかに安らいでいるような、洞窟の内部の肌を感じさせるデザインと素材をもちいた建築であった。
(マヤ文明の形象から、Wrightはそのデザインの形象の着想を、得たのだという)
この感動は、どこからやって来るのだろう。
なぜ、どのようにして、わたしたちの体は、このような音の調べのイメージを聴き取ることができるのだろう。 そして、いったい、どこから、その音が聴こえてくるのだろうか。
わたしは、この音の旋律は、前回のエッセーで文にしたためてみた、あの存在の律動・拍動と、どこかかかわりがあるのではないかとみている。
そしてその拍動がもたらす美の感覚は、
空から存在の空間・場(時空間の広がり)へと、この世界が空からつきあげられ、存在の鏡域のうちへと設立されてくる、あの出現の過程がもたらすactuality(木村)としての情感・人が(感じる)覚える世界の根本気分をほうはいとかんじさせてあまりない、水墨画の(デザインの前にたったときの)感動や、
世界の厚さ・豊穣感・充実感を体感させる骨董の椀を両手にとってみたときの感動に、どこかで通底しあう経絡が流れているのだとおもう。
いまだ言葉にできぬ、かくされた地層の水脈のような経絡が、である。
Lloydは、次の言葉を後世に残しているようだ。
「デザインとは、
自然の要素を純粋に
幾何学的な
表現手段によって
抽象する ことである」
この「抽象」化のプロセス、妙技は、おそらく理屈によって到達されたのではなくて、Lloydという人の体のなかを<気>のように対流していた存在のリズムの拍動を、Lloydが余すことなく、聴き取ることのできた感性・直観によって、うみだされたものとおもわれてならない。
それこそが、龍安寺の石庭を描いてみせた、庭師(親子)が、まるで当人が世界の磁力の磁力線を感じ取る探芯棒(磁石)であるかのように辺りを杖でたたきながらあるきまわるなかで、石や砂利を あるべきところに 自然と 配置してみせた芸当を可能にしていた感性と、根本が同一であるとおもわれるのである。
リズム・・・この言葉を、存在論の文脈で、量子論の到達しつつあった知見にめくばせをしつつ、主題にすえて一冊の小論集を世にだしたのが、2、30年前の中村雄二郎氏である。
われわれは、クラーゲスや、ゲルノルト・ベーメ、といったドイツの人々の感性に耳をかたむけつつも、空や空気感をかんじとり、水墨画をうみだしてきた、そして、フランスの印象派に感じ入ることのできた繊細な存在感(世界の気配)聴覚力をもって、存在のリズムと、それを通常の数倍のスケールで倍加して感得させてくれるような、世界との関わりあい・間合いの取り方に強みをきかせてくれる、楽曲の音の調べや、ある線以上の秀でた建築空間に共通する契機がなんであるのかを、よくよく検討し、探り当ててみることが肝要なのであると考えている。
なぜならば、その共通する契機を洗い出し、そこに通底する本質を洞察し得たときにはじめて、空間の場の広がりと、ときの流れ、という、この存在の境域における、世界という場、いあわせた物(「集摂体」・本来的な「物」(das Ding))と隣人(たがいにとっての世界の「開け」・「空域」を重ね合わせる同伴者・邂逅者)とのもっとも豊穣で味わい深い間合い・距離感のなかで、この世界の存在の・そして、出現の旋律に、よりよく耳をかたむけ、より豊かに、際立って、自覚的に、みずからがそのような世界の場の立ち上がり・創建・創設の開けのなかに、同伴者として立会い、存在している事実を、豊に体得できる生活を送れるようになれるヒントが潜んでいるからである。
プラトン、アリストテレスが問うた、汝、より善く生きるとは? という問いに実践をもって答えることのできる日は、このヒントを手にして糸口にすることで、わたしたちにとって真に、縁のある、現実的な将来目標スケジュールの視野に、やがておさまるようになるのでありましょう。
日々、仕事のなかで、職場と自宅との行き帰りの通勤移動のなかで、この問いはすこしつづ、解かれていかれるのでなくてはならない。
いかにより善く生活し得るかという問いに答える思索の時間とは、生活者の生活している日々の 平生の生活活動と生活労働のなかから、おのずから、生きて生じてくるものであるはずではないだろうか。
1/23 02:38AM 自宅1階にて