こんにちは、
思い出の中の、わたしの小さいかわいい娘をご紹介します。
むぎです。
わたしはむぎのためのベットから自室まで連れて行って、
大きなゴールデンレトリバーの抱き枕の上に寝かせて、夜更かししてこれを描いたのを覚えています。
むぎは中学生のわたしが拾ってきて、お世話をしていて、
今なら助けられたのかも知れないと思います。
むぎとお別れして1ヶ月も経たないうちだったと思います、
子どもだったさすけが現れて、また程なくしてぼろぼろのかげまるまで現れたのは。
むぎは去ってしまいましたが、立て続けに猫がやって来た年でした。
さすけは目いっぱいの元気、かげまるは立ち直って育っていく明るさを、わたし達に見せてくれました。
(目の玉が飛び出そうなのはさすけ、笑ったように目を細めてるのがかげまる)
むぎは今思えばあんなに杜撰なお世話をしていて、あんなに小さい体が悪かったのに、
いつも笑っていじらしくしていました。
わたしが居られない間、ぬいぐるみと寝かせてあげると落ち着くようで、うとうとし始める子でした。
ゴールデンレトリバーの抱き枕も大好きだった。
ほんとうに笑っていました。
あんなに優しい目元と口元をした子はあれから見たことがありません。
お風呂をがんばってとってもきれいになった。
これはむぎが亡くなって日も浅いうち、突然刺繍したむぎの笑顔。
刺繍なんてやったことありませんでしたので、何本取りかと言われると全本取り…笑
お花を飾ります。
この額縁、とても小さくて、ぴったりにむぎのかわいい写真を縁取ってあげられて、うれしい。
むぎだけではなくて、わたしたちを遺して逝った人がいます。
わたしはむぎが亡くなってから考え始めていたことを、
もう少しじっくりシチューみたいに煮詰めて答えを発見したかったところを、大きなお別れに直面したことで、
ガーンと荒治療で答えを納得させられた。「「 開 眼 ‼︎」 」て感じ。
家族が亡くなった時、涙は抑えても抑えても出るのでしたが、
パパが死んだからと言って、パパがわたしを愛していること、わたし達の愛の、何が別れによって変わるんだろうと、
そこだけはけろりと…という言い方もおかしいですが、
きっぱりと自信を持っていました。
元来きっぱりしている性格もありましたので、お別れの瞬間割り切って、後悔はありませんでした。
それも父と母に育ててもらったからですね。
意味はあっても無くてもどちらでもいいという考え方の人間でもありますが、
意味を求めるとしたら、むぎはもう一つのお別れの前に、わたしに気づきと答えを与えるために来てくれたほんとうの天使だったのかも知れません。
わたしと一緒にいてくれる宝物、さすけとかげまるも連れて来てくれたのかも知れません。
少なくとも2匹との出会いは運命には変わりありませんでした。