平成二十一年二月二十八日の新聞に1947年の台湾での国民党による
住民武力弾圧とされる「二・二八事件」の62周年記念記事が載っていた。
1936年の日本の「二・二六事件」から11年後の第二次大戦後の話である。
思い出すと1980年代の前半から折からの輸出ブームに乗って日本の
家電メーカーは挙って米国に進出した。爺イの勤務先もその例外では
なく俄かに輸出事業が社業の中軸を占めた。
だが、日本企業同 . . . 本文を読む
カンボジャの悲劇[1]
東洋のヒットラー、ポル・ポト
インドシナ半島の中央に位置する国カンボジャ、西北にタイ、北にラオス、東から東南にかけてベトナムに挟まれている。首都プノンペンの郊外には、のどかな田園風景が連なるが、しかしその地面を少し掘り下げると堅いものに突き当たる。そこには夥しい人間の骨が埋まっている。この一帯だけでも数万人の罪無き人々の亡 . . . 本文を読む
カンボジャの悲劇[2]
元首相が語るカンボジャ現代史
1997年 7月 5日、カンボジャの首都プノンペンに銃声が轟き、フン・セン第二首相派の軍隊に制圧され、ラナリット第一首相が政権の座を追われる。国連監視下の総選挙以来続いていたラナリット第一首相とフン・セン第二首相との対立が、遂に武力衝突を引き起こしたのである。
元首相のソン・サンは『又、振り出しに戻ってしまった . . . 本文を読む
カンボジャの悲劇[3]
シアヌークが語る五十年(1996 年)
『カンボジャ人は二つの顔を持っている。歌い、恋をするのが好きな芸術家の顔、そして殺し合いをする戦士の顔である。カンボジャ人は、ほほ笑みながら人殺しが出来る』と言うシアヌークに対して、元クメール・ルージュ幹部で、現第二首相のフン・センは、『カンボジャ人は人殺しなどは出来ない。シアヌー . . . 本文を読む
1982年 7月、ベトナムによってポル・ポト政権が倒されてから三年半の後、彼は亡命生活を終えて、カンボジャの表舞台に帰り咲いた。タイ国境近くの難民キャンプで、彼は故国を占領するベトナムに対して、ゲリラ勢力を結集する。『ノロドム・シアヌーク』と言われるもので、クメール・ルージュ、ソン・サム派との三派連合政権を樹立したのである。『国家の父として、私はこの国が生き延びることを望む。私は一党派に偏するには . . . 本文を読む
台湾先住民族・高砂義勇隊
太平洋戦争では、戦力不足を補うため、植民地であった朝鮮・台湾の住民も軍人・軍属として日本軍に組込まれた。台湾の先住民族で構成された『高砂義勇隊』も南方戦線に送られて、山地生活で培った体力、先祖伝来の技 . . . 本文を読む
混迷の大国・インド
インドとパキスタンの国境に跨がる広大な砂漠地帯、南アジアの隣り合うこの二つの国は既に五十年以上も戦い続けている。それは世界から忘れられていた戦争であった。しかし1998年 5月、この砂漠での出来事が世界に大きな衝撃を与えた。インドが砂漠の地下で、核実験を行ったからである。それから僅か二週間の後、インドと対立するパキスタンも、同様の核実験を行なった。この両 . . . 本文を読む