クタビレ爺イの二十世紀の記録集

二十世紀の2/3を生きたクタビレ爺イの
「二十世紀記録集」

南極のタロ・ジロの記憶  H-22- 1-14

2010年01月31日 | 日本関連
1959年の1月14日、南極の昭和基地に置き去りにされて 当然全滅したと思われた15頭の樺太犬の内、「タロ・ジロ」の 2頭の生存が確認され、日本中が感動した。2010年の1月14日の 今日辺り、何処かのマスコミで50年以上前のこの件に触れるかと 期待したが、空振り。そこで昭和史の記録としてこの事を記録 しておく。 (1)選抜への道 1955年と云えば東京オリンピックの9年も前だから随分昔の話だ . . . 本文を読む

台湾 二・二八事件回顧 H-21-3-9

2009年03月09日 | アジア関連
平成二十一年二月二十八日の新聞に1947年の台湾での国民党による 住民武力弾圧とされる「二・二八事件」の62周年記念記事が載っていた。 1936年の日本の「二・二六事件」から11年後の第二次大戦後の話である。 思い出すと1980年代の前半から折からの輸出ブームに乗って日本の 家電メーカーは挙って米国に進出した。爺イの勤務先もその例外では なく俄かに輸出事業が社業の中軸を占めた。 だが、日本企業同 . . . 本文を読む

ロシア革命(1)

2009年02月25日 | 総論
かって1995年から数年間の間に記録したものをCDに永久保存した。 その序にここにも記録することにした。従って時間的表現はその当時のまま。 『20世紀』はどんな時代だったのか? 20世紀が間もなく終る。昔は何とか長生きをして21世紀を見たいと思っていた時期もあったが、それがもう目の前に来ている。おまけに今のところ、心身とも極めて健全であるので、これはほぼ現実のものになる見込みである。今日は和 . . . 本文を読む

ロシア革命(2)

2009年02月25日 | 総論
③『宗教家レーニン』 1920年 5月 1日のメーデーに、クレムリンの庭で赤軍兵士を閲兵するレーニンの写真が残っている。これはモスクワの歴史研究者が所蔵する物であるが、右側に俯いて暗い表情のレーニン、左側に銃を抱えて整列する若い兵士が写っているが、特に気が付くのはレーニンを見る兵士の視線が恰も異邦人を見るように一様に訝しげである事である。この写真は農民・兵士から神の如く崇められ、父のように慕われ . . . 本文を読む

ロシア革命(3)

2009年02月25日 | 総論
⑦ロシア至上主義… スターリンは現代の個人崇拝の走りである。前記のように1930年代の後半に共産党内の古参幹部を粛清して独裁体制を築くが、自らを神格化すると共に党や軍とか国民に盲目的服従を強制し始める。これを具体的に批判したのは1956年のフルシチョフの『秘密報告・スターリン批判』であるが、この中ではレーニンがスターリンの粗暴な性格を見抜き党書記長職解任を求めていた事実、当時の党政治局員の無気力 . . . 本文を読む

ロシア革命(4)

2009年02月25日 | 総論
⑩ゴルバチョフ・若き改革者の誤算…ミハイル・セルゲービッチ・ゴルバチョフ、1931年ロシア南西部スタブロポリ地方の生まれ。1952年に共産党に入党し、1978年ソ連党書記、1980年政治局員とスピード出世し1983年には54歳で書記長となる。彼は旧時代の政治家を解任しシュワルナーゼ外相等の若手を起用して大胆なソ連体制の改革を断行する。そして1990年、初代にして最後のソ連大統領に選出され、同年ノー . . . 本文を読む

中国革命(1)

2009年02月25日 | 総論
[2]中国革命 ①歴史再評価… 『中華民族は1900年、義和団による北清事変のため八か国連合軍に北京を占領され、大きな屈辱を被り国家は滅亡の危機に瀕した……』と第十五回党大会の冒頭、政治報告に立った江沢民総書記(国家主席)は切り出し、二十世紀を回顧しながら来世紀に向けた指導方針を示した。江報告は『社会主義』と言う文言を使いながらも、この百年の革命の目標が『民族の解放』や『中華の振興』『国の繁栄・ . . . 本文を読む

中国革命(2)

2009年02月25日 | 総論
⑤毛沢東の栄光と悲惨… 1976年 9月 9日、中国医学院の徐静は特殊任務を受けている。それは毛沢東の遺体を保存する事であった。ソ連ではレーニンの遺体をどう保存したのか?孫文の遺体保存が失敗したのは何故か?長沙の馬王堆の女性遺体は何故二千年の間保存されていたのか?まで検討がされる。『毛主席の遺体を長期間しっかりと保存し、子々孫々に亘って人民大衆にしっかり仰ぎ見させる』というのが華国峰首相逹当時の首 . . . 本文を読む

中国革命(3)

2009年02月25日 | 総論
⑨文化大革命…紅衛兵・青春の犠牲 紅衛兵と名乗る集団が北京の清華大学付属中学に現れたのは1966年 5月の事であった。 その後、毛沢東の呼び掛けで全国の高校・大学に広がり文革の先兵となっていくが、最初の紅衛兵は必ずしも暴力的ではなかった。建国後も、階級の敵の存在を説く運動が続き、彼等の間に革命の対象を捜そうとする雰囲気が漂っていた。一方幹部の特権化や腐敗が目立ち始め、教育面では学校の成績で将来が振 . . . 本文を読む

キューバ革命

2009年02月25日 | 総論
[3]キューバ革命 ①分かれ道… ソ連に惑わされて道を見失った国の一つにキューバがある。ここも数世紀以上の長きに亙って悲惨な歴史を刻んで来たのであるが、カストロ政権はいまだに社会主義体制の死守を叫び共産党一党独裁を堅持する姿勢を崩していない。この国の歴史を振り返るときは、コロンブスの昔まで溯らなくてはならない。つまりこの土地は1492年にコロンブスに発見されて始めて歴史に登場したからである。そし . . . 本文を読む

大戦前夜(1)

2009年02月25日 | 総論
[4]大戦前夜 ①昭和金融恐慌… 改革、無残な挫折…東京の青山墓地に井上準之助の墓がある。その墓は俗名だけの墓碑であり節約と緊縮の財政家らしくおよそ飾り気がない。準之助は生涯に何度か金融の檜舞台を踏んでいる。彼は蔵相として断行した金解禁で知られるが、昭和初期の金融恐慌では日銀総裁として腕を振るっている。 1927年 3月、時の蔵相片岡直温は衆院予算委員会で『東京渡辺銀行が、ただ今休業のやむなきに . . . 本文を読む

大戦前夜(2)

2009年02月25日 | 総論
⑤日本の金解禁…時期逃し大不況に突入… 1930年 1月の金解禁当日、井上準之助蔵相は株も公債も金利も好調であると上機嫌になっていた。官舎には多くの祝電が舞い込み、新聞は『財界13年の懸案解決、経済的基盤揺るぎなく新たなる飛躍へ』と歓迎した。それから二年、日本経済は急坂を転げ落ちるように悪化し、大不況に突入する。日本は金解禁によって復帰した金本位制からも離脱、おまけに井上は1932年に極右結社『血 . . . 本文を読む

欧州の戦争(1)

2009年02月25日 | 総論
[5]欧州の戦争 ①近代戦…銃砲一変・大量殺戮… 『これは戦争ではない』、信じられないような戦場の光景を見て英国陸軍大臣キッチナーは叫んだ。1914年 7月に第一次大戦が始まったとき、ドイツ軍も英仏などの連合軍も秋には帰国できると思って居た。だが、激しい消耗戦の末、両軍は西部戦線の塹壕で膠着状態に入ってしまった。兵たちは泥沼の塹壕で眠り、敵兵と相見える事無く砲弾の餌食となる前線の位置を示す杭も同 . . . 本文を読む

欧州の戦争(2)

2009年02月25日 | 総論
⑦ファシスト党… 1919年 3月、ベニト・ムソリーニはミラノ中心部のサンセポルクロ広場に面した薄汚れた建物で『大衆の戦いは大衆の勝利に終わる』と宣言して、『戦闘ファッショ』を旗揚げしている。その会場に集まっていたのは復員兵や国粋主義社ら約120 人である。ファシズムの母体となる組織の誕生としては寂しい光景ではあるが、ムソリーニはこの時、既に大衆の時代の到来をはっきりと認識していたのである。実際に . . . 本文を読む

欧州の戦争(3)

2009年02月25日 | 総論
⑪独ソ情報戦… ソ連の諜報機関で開戦当時、国外でのスパイ活動を指揮していたのは内務人民委員部(NKVD)から分離した国家保安人民委員部(NKGB)である。NKGBは戦後NKVDに再統合され、我々の良く聞くKGBは1954年に再編されたものである。1941年 6月17日、スターリンはNKGBの幹部からドイツや英国などに潜む諜報員から続々届く『ドイツ軍の対ソ侵攻は近い』と言う報告を受けた。しかしこの独 . . . 本文を読む