大山詣でなる言葉は耳にいたしますことがありましたが、、
はるか4000年の歴史を刻む霊山でしたか!!
というか
山はみなある意味山の神を宿しておられ、天然の命育む聖なる場として
人々から大切にされてきたのでしょうね、、
宮沢賢治さんの童話にも狼森と笊森、盗森というお話があり
里の人が山の神にいちいちお伺いをたてたり収穫の恵みを捧げたりしました。
その山を背景にしたところに神社が出来、その後伝来した仏教が
さらに寺を建てたのだとか、、、聞いたような気がしますが、、
鎮守の森が人々のハレの日には盛大に老いも若きもおどり歌い
命の輝きを凱歌したことでしょう、、
そういう聖なる場であったり集う場が地域からうしなわれてきたところから
人々の心に神をも恐れぬ所行がはびこるようになったのでは、、と言う気さえいたします。
まさにこのような聖なる場の復権こそが美しい国日本を再興する鍵になるのではないかと
思います。
米を育て、野菜を育てる農耕の民のDNAを思い起こしたい物です。
千城台の畑には大豆、ジャガイモ、小松菜、蕪、ネギをうえました、、
全くの不耕起栽培なので今頃どんなになっているかしら!?ですが、、、
収穫の感謝祭には歌い踊りたいとおもいます。