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縄文人の志葉楽さんのブログ

日記や趣味を書く

●さほう●ぶさほう

2020年04月30日 08時07分44秒 | 文化
●さほう●ぶさほう
★さほう 【左方】
(1)左の方。
⇔右方
(2)「左方唐楽(とうがく)」「左方の楽」の略。
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・さほう 【作法】
[一]〔歴史的仮名遣い「さはふ」〕
(1)礼にかなった立ち居振る舞いのしかた。
「行儀―」「―正しく、手を支(つ)いたが/婦系図(鏡花)」
(2)物事を行う方法。やり方。
「文章―」
(3)しきたり。慣習。
「そのほどの―、れいのごとなれば/蜻蛉(中)」
[二]〔歴史的仮名遣い「さほふ」〕〔仏〕 仏事を行う所作の法式。
「行列の―実に貴し/今昔 12」

★さほう-とうがく 【左方唐楽】
雅楽の曲目分類用語。右方高麗楽と対をなし、雅楽の器楽曲(狭義の雅楽)を二大分する。現行の左方唐楽には管弦(器楽合奏のみ)と舞楽(ぶがく)(器楽合奏と舞)の二様式があり、前者には笙(しよう)・篳篥(ひちりき)・竜笛(りゆうてき)・琵琶(びわ)・箏(そう)・羯鼓(かつこ)・鉦鼓(しようこ)・太鼓の八種類の楽器を用い、後者には琵琶・箏を除く六種類を用いる。古代に伝来した各種外来楽が九世紀に、日本的に整理された結果の分類であり、それ以前の唐楽と林邑(りんゆう)楽がこれに含められた。左楽。唐楽。
→左舞(さまい)

★雅楽にまつわる言葉 https://ja.wikipedia.org/wiki/雅楽#雅楽にまつわる言葉
・塩梅(えんばい)
西洋音楽で言うところのメリスマ。近似する音程へ徐々に移行する一種のポルタメント。ゆっくりと慎重に音程を変更するところから、具合を測りつつ物事を進めるさまを表す。
・八多羅(やたら)、八多羅滅多羅(やたらめったら)、滅多(めった)
現在は「矢鱈」と書くがこれは明治時代に夏目漱石によって作られた当て字で、本来は雅楽の拍子を指す。2拍子と3拍子のリズム細胞を繋げる変拍子。転じて、リズムが合わず滅茶苦茶で大袈裟な身振りや様を指す。多羅(たら)はサンスクリットのターラ(リズム)に由来する。
・打ち合わせ(うちあわせ)
管楽器同士で練習をした後、打楽器を交えて、最終的なリハーサルをしたことから。
・野暮(やぼ)
笙の17本の管のうち「也」と「毛」の音が使用されないことから。
様になる(さま-)/左舞なる(さまい-)
左舞(さまい)が上達することから。
・上手い(うまい)
右舞(うまい)から。
・二の舞を舞う(にのまいをまう)
「二ノ舞」は「安摩」とセットの番舞、ただし例外的にどちらも左方に属し、装束のみ二ノ舞は右方の装束。安摩が上手に舞った後、二ノ舞は真似て舞おうとするが、上手に出来ずに滑稽な動きになるという設定。転じて他人の成功 を真似て失敗すること。他人の失敗 を繰り返す例に使われるのは本来は誤用。
・呂律(ろれつ)
古くは「りょりつ」とも読んだ。呂と律は雅楽における曲調の大分類であり(上述の曲の調子を参照)、呂律は広い意味での曲の調子を意味する。呂旋法を前提に作られた曲を律旋法で詠おうとすると調子がおかしくなることから、音の調子が合わない(転じて詠唱や講演でうまく言葉が続けて発音できない)ことを「呂律が回らない」と表現するようになった。
・呂旋法(りょせんぽう)
雅楽では、この旋法の曲はきわめてまれで、壱越調、双調、太食調、沙陀調、水調などがこれに属するが、その大半は中国の商調(宮、商、角、嬰角、徴、羽および嬰羽からなる)で、ただし、宮調(宮、商、角、変徴、徴、羽および変宮からなる)、徴調(宮、商、角、嬰角、羽および変宮からなる)もある。
つまり、日本雅楽の呂旋法は、商調において起止音を宮音と定めたものである。
・律旋法(りつせんぽう)
宮、商、嬰商、角、徴、羽および嬰羽の7音であり、角が宮の上完全4度にあるのがその特徴である。
雅楽では、平調、黄鐘調、盤渉調がこれに属する。
・二の句を継げない(にのくをつげない)
朗詠で、一の句から二の句に移る時、急に高音となるため歌うのが難しいことから。
・唱歌(しょうが)
三味線や、篳篥、箏などの邦楽器を記憶するために、一定の規則にしたがって奏法の情報も含めて歌う体系。⇒唱歌

★とうがく 【唐楽】
(1)「左方(さほう)唐楽」に同じ。
(2)歌舞伎で、神仏の出現や中国風の異国情緒を表す時に用いられる囃子。
(3)古代日本に唐から伝来した楽舞。九世紀以後は林邑(りんゆう)楽をも合わせて左方(さほう)唐楽と総称された。
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・とうがく 【陶額】
陶画を額縁に入れたもの。
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・とうがく 【等覚】
〔仏〕
(1)仏のこと。すべてを悟った諸仏の悟りが等しいことをいう。
(2)仏と等しい悟りを得て、次生で仏となることのできる位。菩薩修行を五十二段階に分けたうち、最高の仏位である妙覚に次ぐ位。
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・とうがく 【東学】
朝鮮、李朝末期、崔済愚(さいせいぐ)が創始した新興宗教団体。西学(キリスト教)に対し、固有の民間信仰をもとに儒仏道三教を折衷したもの。東学党。
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・とうがく 【東岳】
(1)中国の五岳の一、泰山の別名。
(2)〔京都の東にあることから〕比叡山。

★さほう-のがく【左方の楽】
⇒左方唐楽(とうがく)


★ぶさほう 【無作法/不作法】
(名・形動)[文]ナリ
礼儀作法にはずれること。礼儀を知らないこと。また、そのさま。
礼儀作法をわきまえないさま。礼儀を知らない、礼儀作法がなっていないさまなどを意味する表現。
「礼儀をわきまえぬ―な振る舞い」
[派生] ――さ(名)

★ぶさほう【無作法・不作法】
《名・ダナ》礼儀作法にはずれること。ぶしつけ。
「―をわびる」

★「不作法」に似た言葉 »  恥
・はじ 【恥/辱】
(1)面目を失うこと。はじること。
「そんなことをするのはわが家の―になる」
(2)はずかしいと感じられる行為や事柄。
「―とも思わない」
» (成句)恥無し
» (成句)恥の上塗り
» (成句)恥も外聞も無い
» (成句)恥をかく
» (成句)恥を曝す
» (成句)恥を知る
» (成句)恥を雪ぐ

★羞恥心(しゅうちしん)http://p.tl/mvye 自らを恥ずかしいと感じる心 
(はじ)現実の自分の姿が理想とする姿に比べ、劣っていることを自ら認識して、不快又は悲痛に感じること。

★礼儀作法(読み)れいぎさほう
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
人がその社会生活を円滑に営み、社会秩序を保つために用いる規範と実践の総体。
 礼とは温かい真心の具体的な表出であり、礼儀とは他との関係においてそれを判断・評価・行為の基準とする原則である。礼儀に基づいて社会的に様式化された言語的・非言語的表現が作法である。これらをあわせた礼儀作法の語は、主として社会の秩序や人間関係を構築し維持する価値基準および行動様式の意味で用いられる。
 礼儀は一般に人間に対してのみ行われるものと思われているが、本来は自己とかかわるすべての事物が対象である。人が外界の事物とかかわるとき、それらに向かう敬意や愛情が、時、場所、場合に応じて言語的・非言語的に最適化して表出されたものが作法であり、神仏をはじめ道具や水、空気といった無機物など、あらゆるものが対象となりうる。神社で参道の中央を遠慮して歩く作法は神への敬意を表すためであり、漆塗りの膳(ぜん)にのせた器を持ち上げないまま引きずって移動させることを忌む作法は、膳を傷めないようにする心遣いによるものであって、そのどちらも客体は人でない。これら作法の根底にある思いやり、真心、誠意といった心情は儒教では仁とされるもので、その発露が一定不変の行動理念としてそれぞれの民族や地域や時代において働くとき、行為は状況に応じて千変万化した作法として出現する。このように理念としての礼儀は不易の存在であり、実体としての作法は流行の存在といえる。
 礼は中国の前近代社会における伝統的社会制度や道徳規定として貴族社会の秩序をさすものであったが、孔子以降の儒家により理論化され、国家を頂点とする社会秩序に関して理論的に正当化する役割を担った。日本における礼儀作法の知識および概念は平安時代の公家社会においてすでに存在したが、文化として確立したのは武士が支配階級となった室町時代以降である。とくに室町中期に小笠原(おがさわら)氏が将軍家の弓馬師範として幕府の弓馬故実の中心に位置し、将軍をはじめ諸大名や幕府直臣に伝えたことが大きい。さらに江戸時代を通じて幕府の弓馬礼式をつかさどることで、小笠原流の礼法が公式な武士礼法として日本文化に定着した。元禄期には小笠原流を称する水島卜也(ぼくや)ら市井の礼法家が富裕町民や上層農民向けに換骨奪胎してこれを広めたが、華美に流れ、瑣末(さまつ)に走る傾向もみられた。明治以降にはとくに女子教育において礼法が採用され、明治10年代には小笠原氏の礼法を根底に置いた「小学女礼式」などが編まれ、20年代から30年代には高等女学校教授要目において古礼にこだわらず実生活に応用できるものを教えるべし、とされた。しかし教育の現場では煩瑣(はんさ)に過ぎる指導が行われ、応用の利かないものとする風潮が生じ、明治40年代には下田歌子ら女子教育者の疑義が公然と示されるようになった。そのころから茶道教育が現実生活にあった作法であるとして導入されるようになる。1935年(昭和10)から1938年にかけての戦時体制移行期に国民礼法の構想のもと作法教育の強化が進められ、1940年に礼法要項が公布されたのち、1941年から1942年にかけて多くの礼法要項解説書が出版された。しかしそこに示されるのはやはり厳格な型の学習とその遂行であり、終戦とともに姿を消した。現在は道徳教育の内容の一つとして学習指導要領に「気持ちのよいあいさつ、言葉遣い、動作」「礼儀」といった文言が示されるにとどまる。このように、教育における礼儀作法の流れは、温かい真心を根底に置きつつ現実的で簡素なものを求めるという理念と、煩瑣な内容と型に固執する現実との乖離(かいり)を繰り返している。
 昭和40年代なかばに冠婚葬祭の語が礼儀作法と同義に用いられるようになったのは、同名のベストセラーの存在とあわせて、礼儀作法が特殊なときの特殊な営みだと広く誤認されていたことによるものであり、堅苦しい、無意味、わけのわからない、といった負の印象は礼儀のみならず作法までが不易であるという思い込みによるものである。これらの負の感情の払拭(ふっしょく)には、家庭教育、学校教育、企業などにおける礼儀作法、マナー、エチケットの指導者が、「いざというとき恥をかかないためのもの」とする誤認を正し、その本質である温かい真心の表出への留意が求められる。[柴崎直人]
[参照項目] | 挨拶 | エチケット | 小笠原流 | 冠婚葬祭 | 下田歌子
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
世界大百科事典内の礼儀作法の言及
【作法】より
【野村 雅一】
[中国]
 中国語で〈作法〉といえば,文章や物の作り方,事柄の処理の仕方を言い,エチケットにあたるのは〈礼節〉や〈礼貌〉という言葉である。中国では,礼儀作法は単なる美的しぐさではなく,〈礼〉という広大な体系の一環に組み込まれていた。〈礼〉は人間の社会的行為のすべてにかかわり,習俗,制度,さらには文化と言い換えてもよいが,そのなかでひと口に〈礼儀三百威儀三千〉(《中庸》)と呼ばれる,対他的な身体表現が日本語の作法に該当する。





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