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寝言は寝てから言えよ、少年。

この世のよしなしごとに対する極私的つぶやき。

ポーランドvsドイツ

2008年06月09日 04時08分10秒 | モータースポーツ
 と言っても、今戦っているEURO2008の試合のことじゃない。
 不思議なことに、F1カナダGPでBMWの1-2フィニッシュは、ポーランド人初の優勝をクビサが勝ち取り、2位に入ったチームメイトがドイツ人のハイドフェルドだった。
 クビサがチェッカーフラッグを受けた直後にEURO2008ドイツvsポーランドがキックオフという巡り合わせは、もしかしたら番狂わせがあるのか、などと期待されるような巡り合せを感じるワケだ(きっと、ドイツが順当に勝つだろうけど…)。

 ほら、ドイツ先制…これも因縁やなぁ…ポーランド出身のポドルスキがゴールを決めてしまった…。ポーランドは一度もドイツに勝ったことがないんだから、ま、このままやろな…寝よかな。

ノリック32歳、事故死…

2007年10月08日 01時14分54秒 | モータースポーツ
 初めてロードレースを見に行ったのは、1994年4月も末のまだ肌寒い、鈴鹿サーキットのWGPだった。
 500ccクラスのレースは、ケビン・シュワンツ(SUZUKI)、マイケル・ドゥーハン(HONDA)の2強に、前年全日本選手権初参戦で最年少(18歳)チャンピオンに輝いたノリックこと阿部典史(HONDA:スポット参戦)が絡むハラハラドキドキの連続で、このとき初めてノリックの存在を知った、というか、強烈に脳裏に焼き付けられて、この後しばらく、WGPをテレビで観戦し続けることになったのである。

 まぁ、WGPはHONDAがしばらくチャンピオンマシンとして君臨してしまうことになったのだが、なぜかHONDAからYAMAHAに引き抜かれてWGPにフル参戦することになったノリックは、かつてのチャンピオンマシンの面影薄いYAMAHAで苦戦を強いられ、日本人レースファンの期待を上回るような華々しい活躍は「しきれなかった」(と、ボクは思っているが、観戦歴の長い諸先輩方はどんな印象なんでしょう?)のだが、それでも1996年の日本GPの優勝は、涙を流しながら感動に打ち震えたのを昨日のことのように思い出す、そんな感じだ。
 その後、大ちゃんこと加藤大二郎が日本人ライダーとしてHONDAのワークスマシンに乗って250ccクラスを制し、ステップアップした500ccクラスで日本人初のチャンピオンになることを期待されながら、日本GPで受けた事故が原因で帰らぬ人となったのを機に、WGPを見る機会もすっかり減ってしまった(ま、その年の終わりまでだったな)ワケで、ノリックのこともすっかりボクの意識の中では過去の人になりつつあったのであるが、最近は全日本のレースに復帰してがんばっているらしい、というのを何となく知っていたのだが…。

 あれから13年…。

 ノリックはサーキットではなく、公道上の事故で、帰らぬ人となってしまった。
 1994年の日本GPは、残り3周というところで、1コーナーにブッ飛んでしまった(私の記憶が確かなら…)。あのときの、衝撃的なリタイアで、ほとんど怪我をしていなかった彼も、公道上では無力だった。
 彼が突っ込んだトラックは、Uターン禁止の路線上で、Uターン中だったそうだ。
 冥福を祈る…。

M.シューマッハの引退に寄せて

2006年10月23日 04時06分06秒 | モータースポーツ
 ブラジルGPを見たのは何年ぶりかしらん? 最近眠気に負けて見てなかったんだけど、M.シューの引退レースということでついつい最後まで見てしまいましたが、最後まで見るに値するすごい走りでした。>M.シュー

 序盤でタイヤ・バーストしてまって、最後尾周回遅れの70秒遅れから、ただ1台だけ異次元の走りを見せてガシガシ先行車を抜き去って、最後は4位フィニッシュ。1コーナーでのハイドフェルドのクラッシュによる黄旗さえなければ、表彰台もありえた走りでした。

 今後、彼ほどの気迫を持って走ってくれるドライバーが出てくるかどうか、それだけが気がかりです。一時的にでもレベルダウンを感じさせない走りを、来シーズンのグリッドに立つドライバーたちには期待します。

軽くU2…

2006年10月11日 00時28分38秒 | モータースポーツ
 98年にUPしていたその年の鈴鹿観戦記のhtmlファイルを紐解こうと探いたのだが、見つかりませぬ。UPしていた写真の数々は複数のメディアに散見されたのに、肝心のテキストだけがどこにも見当たりませぬ。どーも。98年~03年ころのサイトデータは全滅の模様で、コリドラス(熱帯魚)のページデータも丸ごと抜け落ちておりまする。無念。
 社会人としては一番暗黒の5年間ごろの話やし、PCも何度か代替わりしていたころやから。もしかしたら、今年の初めに大掃除でごっちゃり捨てたFDの束の中に保管してあったのかも知れませぬなぁ。写真が多かったので、絶対CD-Rに焼くか、MACでMOに焼くかしていたと思ってたのだが、実際は写真だけ別フォルダ保存で存在していたのだネ。ボクらしいチョンボやわ。
 けっこう自己満足のいく観戦記やったんやけどなぁ…今からじゃ資料がないし、詳細は思い出せませぬ。前に進むのみ。

無事帰宅

2006年10月08日 23時20分05秒 | モータースポーツ
 くたびれた。
 運転はしなかったのだが、眠かった。できれば寝させて欲しかったが、運転手が一緒に寝てしまうかもしれないという気がして、結局うとうとしかけては起きていた。
 さて、とりあえず。寝ろか。SPIKEは眠れない、それだけはよく分かった。S-MXの方がよかった。でも、仕方ないな。と、日記には書いておこう(これも昔のネタなのだよ)。

14回目の鈴鹿、F1観戦

2006年10月07日 01時40分43秒 | モータースポーツ
 なんですが、大儀になりました。明日(今日のお昼)の予選は、お家でスカパー!観戦することになりそうです。日曜の決勝はもちろん行きますが、これは3年前に患って以来の事態で、我ながら、ショックです。
 気力の衰えを感じずにはいられません。20周年で今年で最後のF1開催となったのに、なんということでしょう。車を運転して行くのが大儀というのもあるのですが、何よりひとりで行くのが大儀になったのです。せっかく『今年も』チケットを2枚用意したのに、結局『今年も』誰も一緒に行ってくれないという体たらく。甲斐性もないけど、友だちもいない、同好の士も持たず、なんとも寂しい人生の秋ですなぁ…。
 いえね、誘いたい人もいたんですけど、結局、よう誘いませんでしたわ。『人生で大事なことは、タイミングにC調に無責任』とはクレージーキャッツの歌だが、ホントにそうだなぁ、と思うのであった…。

富士スピードウェイでF1開催

2005年11月16日 00時31分19秒 | モータースポーツ
 2007年から開催となる見通し。
 鈴鹿は2006年で一応切れるらしいが、引き続き開催を希望しているようなので、春に富士、秋に鈴鹿の2GP開催になるんではないでしょうか? マレーシア、バーレーン、中国、トルコとヨーロッパから開催地を移してきているので、1国2GP開催でも大丈夫なんではないかな?
 富士は遠いので、鈴鹿はぜひ残って欲しいです。