
初めてロードレースを見に行ったのは、1994年4月も末のまだ肌寒い、鈴鹿サーキットのWGPだった。
500ccクラスのレースは、ケビン・シュワンツ(SUZUKI)、マイケル・ドゥーハン(HONDA)の2強に、前年全日本選手権初参戦で最年少(18歳)チャンピオンに輝いたノリックこと阿部典史(HONDA:スポット参戦)が絡むハラハラドキドキの連続で、このとき初めてノリックの存在を知った、というか、強烈に脳裏に焼き付けられて、この後しばらく、WGPをテレビで観戦し続けることになったのである。
まぁ、WGPはHONDAがしばらくチャンピオンマシンとして君臨してしまうことになったのだが、なぜかHONDAからYAMAHAに引き抜かれてWGPにフル参戦することになったノリックは、かつてのチャンピオンマシンの面影薄いYAMAHAで苦戦を強いられ、日本人レースファンの期待を上回るような華々しい活躍は「しきれなかった」(と、ボクは思っているが、観戦歴の長い諸先輩方はどんな印象なんでしょう?)のだが、それでも1996年の日本GPの優勝は、涙を流しながら感動に打ち震えたのを昨日のことのように思い出す、そんな感じだ。
その後、大ちゃんこと加藤大二郎が日本人ライダーとしてHONDAのワークスマシンに乗って250ccクラスを制し、ステップアップした500ccクラスで日本人初のチャンピオンになることを期待されながら、日本GPで受けた事故が原因で帰らぬ人となったのを機に、WGPを見る機会もすっかり減ってしまった(ま、その年の終わりまでだったな)ワケで、ノリックのこともすっかりボクの意識の中では過去の人になりつつあったのであるが、最近は全日本のレースに復帰してがんばっているらしい、というのを何となく知っていたのだが…。
あれから13年…。
ノリックはサーキットではなく、公道上の事故で、帰らぬ人となってしまった。
1994年の日本GPは、残り3周というところで、1コーナーにブッ飛んでしまった(私の記憶が確かなら…)。あのときの、衝撃的なリタイアで、ほとんど怪我をしていなかった彼も、公道上では無力だった。
彼が突っ込んだトラックは、Uターン禁止の路線上で、Uターン中だったそうだ。
冥福を祈る…。