吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

むつごろう車

2010年04月01日 | 自分のこと
昔の荷物の中から出てきました。
佐賀の民芸品です。
きじ車、またはきじ馬というのは九州独特の伝統玩具だそうで、所によりきじ
以外の動物のバリエーションがあります。
佐賀の有明海のむつごろうがモチーフになったものですね。

僕は小学校時代のほとんどを北九州で過ごしたのですが、佐賀、長崎方面へ家
族旅行に行った時のおみやげです。
でもこれはその時に買ったものではありません。
たぶん小学校の3~4年生だったと思うのですが、それを元に僕が造ったものです。
丁度今の娘と同じくらいの年頃ですね。

原型になったものは全長10センチくらい、僕はそれを少し拡大しました。
全長30センチ弱です。
手ノコで切ったあとナイフで整形したと記憶しています。
道具もあまりなくて、なかなか思い通り切れなかったっけ。

真横から

拡大

斜め前から

拡大

胴体は芯持ち材なのに割れていません。大抵は割れます、車輪は割れていますね。
選木が良かったのね。

足回り

拡大

胴体に台形の断面の溝(アリ溝といいます)を引いて竹の筒で車軸を受けてい
ますね。
オリジナルの構造を踏襲していると思われます。

結構良い仕事してますねえ。10歳頃のワタシ。
あの頃は、竹で弓矢を造ったりしてましたね。拾った肥後の守をやはり拾った
砥石で研いで持っていました。金ノコの刃や木製電信柱の足場(巨大なギザ付
きの釘みたいなの)とか、みんな拾いもの。
大抵は親に内緒でね。
そういえば、不発弾も見つけたことがあったのですが、あれ、どうしたっけ?

うちの子供達ももっと親の知らない世界を持っていても良いと思うのですが、
なかなかその時間が持てないのです。
僕が子供の頃は親の目の届かないところで結構よく遊んでいたと思うのですけ
どね、勉強も今の子よりも詰め込みだったのに。

八ヶ岳では小径の丸太を使った鹿(あるいはトナカイ)が以前かなり流行って
僕も生活のためにちょっと造ったこともあるのです。
ただ、乾燥しない丸太で造ったそれは屋外に置かれることが多いこともあり、
割れたり腐ったりキノコが生えておぞましい姿になったりしてしまうのです。
数年程度でダメになるものを造るというのは、お客が了解していても僕には抵
抗があったのでもうやっていません。
なにより、動くなり音が出るなりするものでないと造る気がしないという性分
によりますけれど。

きじ車も大きいものがあって昔は子供達がそれで坂を下って遊んでいたそうです。
鹿車なんて造ってみたりしてね。それで清里の急坂下りのレースをするとか。
面白そうでしょ、やってみようかな。

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2 コメント

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Unknown (しまりす)
2010-04-04 04:10:01
子供のころに作ったものが
残っているなんて、いいですね!

私も、10歳くらいの時に竹馬を作ったのを
鮮明に憶えています。
その時、クラスの男の子(たけぞう君)が
のこぎりが怖いといって、泣きながら
家に帰ってしまった、という事件がありました。
作った竹馬で、よく遊んでいました。
良い仕事をしたかどうかは、もう手元にないのでわかりません。
のこぎりが怖くなかったのは、確かです。
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弟子入り (ひろにゃんof風琴屋)
2010-04-05 00:55:57
しまりすさん、ようこそ!

件の品は実家から不要物として回収要請があったものに入っていました。
僕が溜めこんだものが箱にまとまって奥に埋没していたのです。

他にも僕が保育園時代の作品や、簿記の認定証(やっぱり本当に取っていたのね!)などが発見されました。
まさにタイムカプセルです。

竹馬を作られたのですか。
実は僕は竹馬をしたことがほとんどありません。
去年、娘が転校した時、以前の学校では一輪車を推進していたのですが、今度の学校は竹馬でした。
そこで娘は初めて竹馬に挑むことになりました。
どんくさいと思っていた娘は、努力と根性(!)でこれをマスターし、わずか2週間程度でクラスの競争で1位をとれるほどになりました。

僕もその時少しやってみたのですが、うまくいかず、先達である娘に説教をくらいました。

実はこのあと一輪車の乗り方で彼女にプチ弟子入りすることになっているのですが、スパルタかも知れません。気が重いです。
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