日本人論めいたところから始まるのだ。
日本人は外国からもたらされたものを「魔改造」して独自のものとするという。
僕らの身の回りの多くのモノはそうだ。
一方で、輸入された当時のモノをそのまま保存したり、改良することなく再生産したりもする。
今月だったか、ゾロアスター教の世界唯一の経典だったかが正倉院の保管物に見つかったらしい。
マニ教の世界図も完全な資料は日本で見つかっていたりする。
で、変わらないのは楽器、特に雅楽の楽器は原型からほぼ変化していない。
僕らの仕事に関係のある古典楽器としては「笙」があります。
フリー・リード楽器の元祖、ハーモニカ、アコーディオン、リードオルガン等の祖先のひとつ。
Wikipediaの笙のところに「パイプオルガンのリード管と同じ原理である」と書いてあるけど、これウソな。
パイプオルガンではフリー・リードのストップは例外的なものだし。
そもそもアジアのフリー・リードにアイデアを得て出来たものだし。
以前研究者の人に聞いたけれど、日本の笙は奈良時代のも現代のも変わらないそうです。
こういうのもまた日本なのです。
たまたまDVDを観ていたのよ。チャウ・シンチーのカンフーハッスル。
で、おまけのメイキングのところを初めて観たのよ。
この作品は古いカンフー映画の中国らしい音楽を使っているのが特徴でね。
そのオケの様子が面白かったのよ。西洋楽器と民族楽器が入り混じっていて。
そこで発見。
すげー!すげー!すげー!
こんなことになっていたんだ!見てみたい!
⇒https://www.youtube.com/watch?v=RDLeW3wPSL8
ほかにも 「革胡 」とか、 ロシアのコントラバスバラライカとか、日本ではそういうものは「試みられ」なかったのでしょうか?
楽器にたいして、人間が演奏法を工夫する・・超絶技巧みたいな・・とは別に、楽器の構造を工夫する、というアプローチが、何故なかったのか? あっても受け入れられなかったのか・・現代にも通じるものがあるのかもですね。・・・支離滅裂で済みません。
電車や新幹線の時代になっても、意外とそういう部分は残っている・・・・とか。
メンテナンス的には、「シンプル イズ ベスト」なんでしょうけれど。
一体どういうバランス感覚が働くのでしょうね?
「この方が良いじゃん」と「これはこうすべきだ」との間。
あと、進歩しなかったものとして火縄銃があります。
1543年頃から始まって、大規模戦闘の終了は大坂夏の陣の1615年としてこの間、全く進歩していません。
生産台数は全ヨーロッパの銃器よりも多かったらしいですけれども。
軍事が絡むと大抵、進歩するものなのですけどねえ?
不思議です。