VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ

谷口雅春大聖師の教えを現代に生かす

瞑想先生、無限力先生と呼ばれて  ―  『生命の教育』を基に

2015-09-29 00:08:27 | 生長の家

      新教育者連盟(東京都小学校教諭)  阿 久 根  貢


 私の今日までの人生は、昭和と共に生き、戦後40年を教育一筋に歩いて来たといっても過言ではありません。

 戦後のあの悲惨な廃墟の中から、誰が今日の物の豊かな繁栄を予想したでありましょうか。 その反面最近では、心の貧しさや教育の荒廃が言われ始めました。

 「物で栄えて心で滅ぶ」 とは、ローマ滅亡の歴史の教訓ですが、物や金銭に偏った流れが、心の大切さに気づき、心の教育が叫ばれるようになったことは喜ばしい限りです。

 「教えとは永遠の希望を語ること」 と、フランスの作家アラゴンはうたっています。 果たして私はどんな永遠の希望を子供たちに語り続けて来たのだろうかと反省させられます。

 しかし生長の家の“生命の教育”のお蔭で 「人間神の子、無限力、生き通しの生命である。 切実に心に念うものが現われる。 神は愛なり。 神は渾ての渾て」  等々の素晴らしい真理を子供達に毎日語り続けてきたことは、最高のおくり物であったと思います。

 昨年3月定年退職しましたが、幸いまだ健康で、やる気十分でありましたので、おかげで再雇用され、東京都の嘱託という身分で小学校に勤務できる喜びをかみしめつつ楽しい毎日を精進しています。

 我々教師には、受け持つ児童を選ぶ権利はありません。 ある程度希望を容れられる自由はあるかも知れませんが、児童には担任の先生を選ぶ自由は全然ありません。 先生と教え子、よくよく深いご縁だと言わざるを得ません。

 嘱託になってからは、全責任を持って担任する学級がないのは淋しいことですが、1週1時間づつ、どの学級にも顔を出して、硬筆、毛筆の書き方の指導、読書指導が出来ますのは有難いことです。 500名近い全校児童に “生命の教育” が出来るということはなんて素晴らしいことでしょう。 まだまだ “生命の教育を伝えよ” との神様からのご使命があったのだと思い、毎日元気に張り切っています。

 環境の違う千差万別の家からそれぞれの生活の殻を背負って、家庭の匂いをさらけ出しながら登校する子供たちを、授業の始まる前に温かく受けとめて心をほぐしてあげることは、学校生活の始まりの一番大切なことではないかと思います。

 子供たちは私を瞑想先生、無限力先生と呼んでくれます。

 授業の始まる前に必ず瞑想をさせ心を集中して、高学年には 『我が魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ』  低学年には 『わたしは神の子、光の子、何事もニコニコ明るい良い子、何でも出来ます強い子良い子』  と20回以上、心が落ち着き精神が集中するまで念じさせているからでしょう。

 ただ「念じましょう」「瞑想しましょう」と強いるのではなく 『生命の實相』 で学んだ心の法則や、クーエの20回となえた説明、真理の数々を、子供たちにわかり易く説明し、十分に心を耕します。 何故瞑想することが、念ずることが大きな力を発揮することになるかを理解させてから実践させていますので、子供たちは素直に行じてくれます。

 中には私が教室に入る前に瞑想している児童もいます。 私がうっかりしていると、児童の方から「先生、瞑想」と声をかけられることもあります。

 その間私は、一人一人の顔を覗き込むようにして、左手を児童の頭の上に、右手を背筋に当て姿勢を正しつつ、児童の名前を心の中で呼んで、 「誰々さん、実相円満完全神の子」 と念じつつ机間を一巡します。 全児童と心を一つにして神様と一体感を深める楽しいひとときです。


 「人間神の子というのは、言いかえると人間神の固ということであって、天地一杯、宇宙遍満、限りなく極みなく無限定なる神様のいのちが、今此処に固って限定され、認識される姿として現われたのが本当の人間なんですよ  ・・・ 。 固とは氷のコ、肩が凝るのコ」

 と、深い言霊の立場からのご指導を谷口雅春先生から頂いたこともあります。 

 又、「宇宙遍満の神様が個性的な表現をとるために、ここに生をうけたのが人間であり、私である」  「吾々が祈るとき、神想観をする時、または真理のことばを念ずるとき、または聖典ならびに聖経を読誦するときは、宇宙に満ちている創造の根元力によびかけて、その創造力を善なる方向へ駆使しつつあることになっているのである。 祈ることも念ずることも読誦することもいずれもコトバの力を使いつつあるからである。 

 ヨハネ伝第1章には“太初にコトバありコトバは神と偕ににあり、コトバは神なりき。 ・・・ 万のもの是によって成り ・・・” と書かれている。 コトバというものに創造力があることを示されているのである。 そのコトバの力を明るい方向に積極的な方向に、建設的な方向に駆使すれば、自己の内に宿る宇宙的な力が開発され、われわれは一層健康になるし幸福になるし一層幸運が訪れて来ます ・・・ 」


 と、『真理の吟唱』 でお説き下さっています。 こうした真理を基にして私は児童たちに 「人間神の子」 の “生命の教育” を長年して参りました。

 生長の家の教えの中に 「自覚しさえすれば、埋蔵せる宝が常に掌中にある」 と、自覚の大切さ、その自覚の度合いに応じて現われ方も違ってくることを教えられています。

 また 「深切とは深く切なる愛の実践なり」 と、愛を実践するとき、私達の内なる愛の磁石的力が活性化して、私達の周囲に必要なものを何でも引き寄せるのであると教えられています。

 私は 「どのような子供でも、心底から神の子として大切にしなければならない。 そして益々 “生命の教育” の光を高く掲げて普及しなければならない」 と強く反省し、又自覚を深めさせてもらいました。



 第9回生命の教育学会 体験報告
  (昭和62年8月8日~10日 伊勢修養神都国民道場)

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