いのちの煌めき

誰にだって唯一無二の物語がある。私の心に残る人々と猫の覚え書き。

たまさん

2023-05-26 00:48:00 | 日記
たまさんは70歳代、女性。背骨の圧迫骨折があり、コルセットを嵌めている。移動は車椅子を使用。認知症はない。

たまさんの眼鏡の奥の瞳はクリクリ動いて、いつも何かを探っているみたいだ。
たまさんは、事情通。上手に他人の話しを聞き出す名人。他の入居者さんや職員のことまで、色んな話しを知っている。

日中は車椅子を自走させ、元気そうに動き回っているが、起床時は別人の様に動けなくなる。最初、私はその落差が不思議だった。

一人では起床出来ないので、必ず誰かが起床介助に入る。ところが、これが全く動けない。介助で起こそうにも、痛がって、痛がって、、ほぼミリ単位で起こしていく作業になる。色々、こだわりの手順もあり、かなり困難な介助だ。コルセットを嵌めてトイレ介護が済めば、一応、一段落する。

それから、りんごを擦ったり、朝食の準備をしながら、たまさんの話しを聞く。
始めの頃は誰かの噂話を、おもしろ可笑しく聞かせてくれていたが、いつ頃からか、たまさんの家族の話しを聞かせてくれるようになった。
たまさんは、結婚間近だった息子さんを交通事故で亡くしていた。その時のショックで、神経がピリピリするようになり、今でも治らないのだという。

昼間は、みんなと一緒にいて気が紛れるが、夜になると苦しいことを思い出して辛くなる。そして朝には、いつも身体が固まって動かない。そういうことを日々繰り返しているのだと教えてくれた。

私には、たまさんの身体の節々に、ある日突然、理不尽に息子を喪ったことへの置きどころのない怒りが溜まっているように思えた。




私と息子の物語

2023-05-20 09:57:00 | 日記
皆さんのブログを拝見しているうちに、子どもさんの話題を幾つか読ませて頂いて、私も思い出した事がある。

小学生の頃の息子とのエピソード。

その頃、隣りに居住している舅や姑がいて、言葉に出来ないような気苦労をしていた。また、そんな嫁の事を、まだよく理解出来ない夫。更に、子育ても私にとっては未知の世界。もとより、共依存体質の私にとって、育児はかなりハードルが高かった。

小学生の息子と幼稚園の娘、様々な形で干渉してくる元気な舅と姑、いまいち頼りにならない夫。

何が…とか、この事が…とか、具体的に説明出来ないのだけれど、とにかく積み重なった疲労が、少しずつ私を押し潰していって、心身ともにギリギリの状態だった。いつも何かにピリピリしていて、元気がなかった。

ある日、小学校の社会科見学か、遠足か、から帰ってきた息子が、目をキラキラさせて、話してくれたことを思い出した。

漆器のことだった。
塗りのお茶碗が、なぜ高価なのか?という話し。

木の器に最初は黒色の塗りを施し、その上から朱色の塗りを重ねる。そうして完成した器を人々が使う。長年、使用しているうちに、手の摩擦で擦れて、内側の黒色が滲み出てくる。更に使い込まれていくうちに、その色が二つとない模様のようになって、美しく表れる。
「これが、素晴らしいんや!この模様が!」息子の目が輝き、言葉に熱が帯びる。
「一つとして、同じ模様はない。使えば使うほど、傷が増えるやろ?その傷が模様になって綺麗になる。傷に値打ちがあるんやで」
「すごいやろ! 傷が付けば付くほど、値打ちが上がる。日本にはそういう器があるんやで。ママ、知ってたか?」と教えてくれた。

それを聞いて、私は涙がはらはら溢れた。
息子の話す器が、はっきりと見えた。

その時の私に一番必要だったものは、立派な先生や賢い大人からではなく、幼な子の口を通して語られる智恵の言葉。

今、傷付き、ぼろぼろになっているか?今、その傷は痛むか?でも、心配しなくていい、必ず後の日に贖われる時がくる。その傷こそが、尊いといわれる時がくる。

今、傷付いていることを、誰も恐れる必要はないのだ。


















ひろ子さん

2023-05-18 08:05:00 | 日記
ひろ子さんは80歳代、女性。猫好き。キジトラのオス猫を飼っている。背中が大きく曲がっていて、認知症はない。

前屈みに歩く姿は老婆のようだが、ハキハキとした口調と表情豊かな面差しには、妙に艶っぽさがある。何となく…水商売の経験があるのかな?と感じた。
それとなく話題を投げかけても、ひろ子さんは笑っているだけで、自分については、あまり多くを語らない。

ただ、ひろ子さんの人生の多くの時間には、経済的な貧しさが付きまとっていたようだ。だからといって、捻くれたり、いじけたりしていないのが、ひろ子さんの魅力の一つ。足るを知る。
最低限、必要な物だけで、つましく潔ぎよく生きている。そんな生き様が滲み出ている。

ある日、ひろ子さんのお風呂介助の時、左側の乳房に大きな傷跡がある事に気がついた。
「ここ、どうしたん?」と聞いた私に「玉んこがあったんよ、しこり。それで、自分で絞り出したんや」って答えてくれた。
それは、私の理解の範疇を越えていて、はじめは意味がわからなかった。よくよく聞いてみると、どうやら、乳癌らしきもののしこりを、自分で乳房を切開して、取り除いたということだった。驚愕の出来事。本当にそんな事が出来るのだろうか?いや、しかし、ひろ子さんは実際にそうしていた。大きな傷痕だった。
「痛かったやろ?」と聞く私に、「そりゃ、痛いのなんのって、ものすごく痛かったわ、ドロっとした、コーヒー牛乳みたいな色のもん、いっぱい出てきたよ、それをこう、ギュウギュウ絞りだしたんや」と話してくれた。

おそらく、貧しくて、また相談出来る人も誰もいなくて、それで病院にも行かず、追い詰められるようにして、自分でそんな事をしたのだと思った。そう思ったから、私は「何で、病院で手術して貰わんかったん?」とは言えなかった。
そんなひろ子さんは、童謡ななつの子を聴いた時、人目も憚らず号泣した。お母さんを思い出したそうだ。

かわいい、かわいいとカラスは鳴くの、かわいい、かわいいと鳴くんだよ。山の古巣にいてみてごらん、かわいい七つの子があるからよ。

フルートの音色が、ひろ子さんの心を溶かしていった。


明美さん

2023-05-16 00:26:00 | 日記
明美さんは60歳代前半、女性。生まれつき両下肢に麻痺がある。主たる障害は、それだけ。

ずっと御自宅で障害者向けのサポートやサービスを利用して、一人暮らしを続けて来られたが、年齢的なことを考慮し高齢者施設への入居を決められた。

ボブヘアにカットされた髪は、いつもサラサラで綺麗。澄んだ瞳の美人さんだった。
礼儀正しく、こちらが恐縮してしまうくらい丁寧な言葉遣いをされた。

お部屋には、たくさんの本が並べられ、様々な本を読んでおられた。槇原敬之さんが好きと言って、音楽もよく聴いていた。
録画したTVドラマを、熱心に観ておられることもあった。また、他の入居者さんの愚痴話しも、嫌がらずに聞いてあげたりしていた。

入浴介助についた時、片方の乳房を切除しておられることを知って、私が浴室の鏡にうつらない様、そっと椅子の角度を変えると、明美さんは「ありがとう」と小さく微笑んだ。

そらから暫く、私と明美さんは本や音楽の話しを親しく話し合うようになっていた。

ところが、昔から明美さんのサポートをしておられたある方が、私達の施設より、より充実した施設を紹介されて、明美さんはそちらに転居されることになった。
結局、明美さんが私達の施設に居られたのは3ヶ月位だった。

明美さんは、今もお元気に過ごしておられるだろうか…と私は時々、思い出す。





とも子さん

2023-05-11 13:19:00 | 日記
とも子さんは、80歳代女性。身体の麻痺はない。認知症は、かなり進んでいる。排泄行動に時々問題(失禁や弄便)が起こるので、こまめなトイレ誘導は必要。でも、静かで大人しい人。夜間は、数時間置きに起こす事になるのだか、それでも、とも子さんは怒ったりしない。いつでも素直に「はい」と起きて来られる。本当にそれだけで、有り難いと私は思う。

私は、とも子さんが好きだ。
誰の悪口も言わず、一日中静かに座っている。簡単な問いかけには、時々答えてくれる。
記録等のデスクワークがある時、私はよく、とも子さんの隣りに座る。私の作業を黙って見つめている。ただ、それだけ。でも何となく、とも子さんの隣りは、いつも落ち着く。側にいてくれるだけで、心が和む。とも子さんは、そんな人だ。

とも子さんに、若い頃は何をしていたの?と聞いたことがある。「パン屋さん」と答えてくれた。それから「◯◯のパン」と昔からある地元のパン屋さんの名前を、思い出したように付け加えた。そのパン屋さんで、製造の仕事をしていたようだ。でも、それ以上は、詳しく答えられない。

コロナ前のことにはなるが、家族と一緒に食事会に出掛けるという催し事をしたことがある。参加者は多くなかったが、とも子さんには、お嫁さんが付き添ってくれた。上品で綺麗な人だった。
こういう催しに実子ではなくお嫁さんが参加とは、ちょっと珍しい。とも子さんに優しく声を掛けるお嫁さんの姿を見ていると、元々、とも子さんとは良好な関係だったのだろうと想像出来た。

私は小さな声で、とも子さんに「あの人、優しいね。誰なの?」と問うてみた。
とも子さんは、にっこり笑いながら「妹…」と答えた。ちょっと切ない気持ちになった。

恍惚の人、という言葉がしっくりくるのは、とも子さんのような人だと思う。