お客様は神様、とよく言われる。
言われるけど、
そんなの嘘だ!!!、と、私は、そろそろ、声を大にして言いたい。
お客様もヒトなら、
売り手もヒトだ。
どちらも、切られれば痛いし、
罵声を浴びせられたら消耗するし、
威張られたら腹が立つ。
当たり前じゃないか、と思う。
いったい、誰が「お客様は神様」なんて言い出したんだろう。
タイムマシンがあったら、逆行してその人を生まれなかったことにしたいくらい、
その概念は、よくない、と、私は思う。
ショップスタッフだった経験もあるし、
デザフェスでは売り手側に立つし、
今だって派遣の仕事で営業部門にいることを考えれば、
私は、始終、「神様」にへーこーらへーこらしなくちゃならない立場にある。
逆に、私はHMVではゴールドカードお得意様だし(笑)、
特定のパン屋やレストランにとっても常連だったりして、
そういう意味では「神様」のひとり、という立場でもある。
でも私は、
神様扱いされることも別段嬉しくないし、
そのことを威張りちらしたくもないし、
「こっちは客なんだぜ」とすごみたくもない。
同時に、必要以上に、買い手を崇め奉るのは嫌いだし、
お金を出す人に跪こうとも思わないし、
そこまでして、相手を「図に乗らせる」なんて御免だ。
もちろん、
たとえ、小さな作品ひとつでも、
自分の作品を気に入ってくれた人がいる、
ということは、とても嬉しいし、ありがたいと思う。
思うけど、
私が感謝するその人は、あくまで、神様ではなく、人だ。
非礼や過失があったら謝る。
異議申し立てをしたい時はきちんとする。
でもなんにせよ、
「それを『欲しい』と思って、交換できる対価(お金とか?)を持った人」と
「『欲しい』と思われるものを提供できる立場にある人」とのイーブンな
関わりなんだと思うんだよね。
お客様に対して謙虚な気持ちを!っていうのは、
まぁ、わかるんだけどさ。
謙虚、ってそんなにいいこと?
謙虚すぎるってのは、相手のつけあがりを助長するだけだと思うんですけど。
それに、謙虚と卑屈は紙一重だ。
威張りんぼと、卑屈な人の組み合わせほど、アンハッピーなことはない。
せっかくの「買う人」と「売る人」の関わりなんだもの、
お互い幸福、っていうのが一番いいじゃないスか。
他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者
のことなど、わたしは知らない。
そんな者の矜持など知ったことではない。
---それよりも、人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題だと、
私は思う。
人は、真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、
しぜんに頭が下がるものだ。
礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るための
ものではないだろう。(中略)
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。
以上、長く引用したのは、小野不由美の「風の万里 黎明の空」からの一節。
これは、王様が、その国の民に対して言っている事なのだけれど。
魅力的なモノやサービスがあって、
それを提供してくれる人(団体)があるのなら、
感謝の気持ちを持つのは、むしろ客のほうなんじゃないのか?
同時に、自分の作ったもの、できることに対し、
評価をしてくれ、その力や作品を欲してくれる人がいるのなら
提供する側だって、幸福に感謝の気持ちを抱けるんじゃないだろうか?
そんなの理想論?絵空事?
でもさ、なにはともあれ、お客様は神様なんて嘘っぱちだし、
「私は客なんだから」と威張る客に、素敵な人はいないのだ。
それはほんとうのことだと思わない?
言われるけど、
そんなの嘘だ!!!、と、私は、そろそろ、声を大にして言いたい。
お客様もヒトなら、
売り手もヒトだ。
どちらも、切られれば痛いし、
罵声を浴びせられたら消耗するし、
威張られたら腹が立つ。
当たり前じゃないか、と思う。
いったい、誰が「お客様は神様」なんて言い出したんだろう。
タイムマシンがあったら、逆行してその人を生まれなかったことにしたいくらい、
その概念は、よくない、と、私は思う。
ショップスタッフだった経験もあるし、
デザフェスでは売り手側に立つし、
今だって派遣の仕事で営業部門にいることを考えれば、
私は、始終、「神様」にへーこーらへーこらしなくちゃならない立場にある。
逆に、私はHMVではゴールドカードお得意様だし(笑)、
特定のパン屋やレストランにとっても常連だったりして、
そういう意味では「神様」のひとり、という立場でもある。
でも私は、
神様扱いされることも別段嬉しくないし、
そのことを威張りちらしたくもないし、
「こっちは客なんだぜ」とすごみたくもない。
同時に、必要以上に、買い手を崇め奉るのは嫌いだし、
お金を出す人に跪こうとも思わないし、
そこまでして、相手を「図に乗らせる」なんて御免だ。
もちろん、
たとえ、小さな作品ひとつでも、
自分の作品を気に入ってくれた人がいる、
ということは、とても嬉しいし、ありがたいと思う。
思うけど、
私が感謝するその人は、あくまで、神様ではなく、人だ。
非礼や過失があったら謝る。
異議申し立てをしたい時はきちんとする。
でもなんにせよ、
「それを『欲しい』と思って、交換できる対価(お金とか?)を持った人」と
「『欲しい』と思われるものを提供できる立場にある人」とのイーブンな
関わりなんだと思うんだよね。
お客様に対して謙虚な気持ちを!っていうのは、
まぁ、わかるんだけどさ。
謙虚、ってそんなにいいこと?
謙虚すぎるってのは、相手のつけあがりを助長するだけだと思うんですけど。
それに、謙虚と卑屈は紙一重だ。
威張りんぼと、卑屈な人の組み合わせほど、アンハッピーなことはない。
せっかくの「買う人」と「売る人」の関わりなんだもの、
お互い幸福、っていうのが一番いいじゃないスか。
他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者
のことなど、わたしは知らない。
そんな者の矜持など知ったことではない。
---それよりも、人に頭を下げるたび、壊れていくもののほうが問題だと、
私は思う。
人は、真実、相手に感謝し、心から尊敬の念を感じたときには、
しぜんに頭が下がるものだ。
礼とは心の中にあるものを表すためのもので、形によって心を量るための
ものではないだろう。(中略)
人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。
以上、長く引用したのは、小野不由美の「風の万里 黎明の空」からの一節。
これは、王様が、その国の民に対して言っている事なのだけれど。
魅力的なモノやサービスがあって、
それを提供してくれる人(団体)があるのなら、
感謝の気持ちを持つのは、むしろ客のほうなんじゃないのか?
同時に、自分の作ったもの、できることに対し、
評価をしてくれ、その力や作品を欲してくれる人がいるのなら
提供する側だって、幸福に感謝の気持ちを抱けるんじゃないだろうか?
そんなの理想論?絵空事?
でもさ、なにはともあれ、お客様は神様なんて嘘っぱちだし、
「私は客なんだから」と威張る客に、素敵な人はいないのだ。
それはほんとうのことだと思わない?