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続編

2010年02月12日 | ぷらすな人生
決意も新たに、で書いたことですが、バボ姉にそのはなしをしたら、
「そーゆー人だったじゃん、だいたい。
 あーゆー人にいくら言ったってダメよ。
 だから離婚したんでしょ?
 離婚して正解よ、ほんまに。」

と、広島弁まじりのとても強い口調で言われました。

どうやらバボちゃん自身より、バボ姉の方が、元夫を嫌っているようですな・・・。

客観的に見て、「離婚して正解」と言われるような人だ、ということで、バボちゃんも、自分の決断にますます堂々と自信がついた、という次第でございます。

バボちゃんに何かあった時・・・

元夫には頼らず、万が一の時のために、自分で色々準備しとくよーに、と言われました。
どーせムダだからあてにすんな、と。
ま、確かにね。

決意も新たに

2010年02月11日 | ぷらすな人生
今日はすみません、ちょっと長いです・・・


人生において、何度か「決断」をする機会がありますが、果たしてこれでよいのか、やっぱりこっちの方が・・・、などといろいろ迷いますよね。
たとえば、学校を選ぶことなども、「決断」の1つだと思います。
どちらの学校へ入学するのが自分にとってよいのか・・・
就職先を決めるのも、そうだと思います。

小さなものから、とても一人では結論を出せないような大きなもの、人の短い一生の中で、決断をする機会というのは、いっぱいいっぱいあるはずです。

そのたびに、「あっ!失敗だった・・・」と後悔することもあるとは思います。
でも私は、この「ああぁぁ、失敗だったぁ・・・」とか「失敗したぁ」というせりふが大嫌い。
実は、元夫が、口癖か?と思うほど、これを連発する人でした。
ってことはつまり、失敗ばっかりなんだな、ってことですね。


私は、その瞬間瞬間には、
「この決断は間違っていたのではないだろうか・・・」
と後悔し、思い悩むことはありますが、結果的にみたら、
「いや、間違ってなかった。自分のあのときの決断は正しかった。」
とおおむね自分の決断に納得しています。

人よりちょっとばかりしんどい人生を与えられたばかりに、大きな、そしてハードな決断を迫られる機会も、おそらく通常の人よりも多かったと思いますが、その1つ1つ、振り返ってみて、
「これでよかった」
と思っています。
もちろん、そのときは力不足で考えつかなかった、もっとよい道があったであろうことは否定しません。
「ああ、こうすればもっとよかったなぁ。」
と思うことはあります。

でも、自分のとった行動に、「失敗だった」「間違いだった」と後悔することはありません。


・・・正直に言うと、ただ一度、去年、大きな間違いを犯してしまった、と自分を責めたことはあります。
これはもみたんの健康に関することで、詳しいことはここでは控えさせていただきますが、あのときだけは、
「これは私が今まで生きてきた中で、最大の過ちだった。私はなんてバカなことをしてしまったんだろう。」
と、背筋が凍り付き、顔色を失い、まさしく死ぬほど後悔した瞬間でした。
しかし、これも、本当に幸いなことに、今では結果的に「よかった」と思える、というか、私にとても幸せを与えてくれる結果となりましたので、やっぱり「間違ってはいなかったんだな」と思えます。
いや、間違いだと思っちゃいけない、間違いであってはいけない、そう思います。
今では、ね。
当時は本当にひどいもんでしたよ、精神状態が・・・。


話がそれましたが、決断を否定しない、というのは、実際によい結果ばかりがもたらされているから、というわけでもないんです。
これは、自分なりの努力も欠かせないことです。
努力、というのは、「それをプラスにとらえる努力」、です。

確かに、後悔することはありますよ。
小さいことならいっぱい、不満は出てきますから。
だけど、結果的に、もしあのときああいう決断をしていなかったら、こういうプラスがなかったんだ、・・・という風にすべてを見るようにしてるんです。

たとえをあげると、これまたねこさんのことですが、ペット禁止物件でありながら、悩みながらも思い切ってほまと生活を始めたこと。
やっぱり、常識という点で考えると、いけないことだし、どうしようかと相当葛藤はありました。
でも、もし、ほまを飼っていなければ、もみたんとも出会えなかった。
ほまを飼ったことがきっかけで参加したネット上のペットコミュニティで知り合ったガンちゃんから、もみたんを紹介してもらった。
だから、もし、ほまがいなければ、もみたんも今、私のそばにはいなかった。
そして、もみたんを迎え入れたからこそ、まれっちも今、ここにいる。
もみたんが家にこなければ、そのおむこさんにどう?なんてことで、まれっちを家の子にするなんて話は出てこなかったわけですから。
さらには、もみたんとまれっちがうちにいるからこそ、そのめいっこのきくちゃんを養女として迎えた。
つまり、もみ・まれがうちの子でなければ、そして、その子どもを望んでいなければ、きくちゃんをもらい受けようとは思わなかった。
ガンちゃんをはじめ、はなさんや、風太ママ、ポポまま、ほたるママ、ぶーくん・・・ネット上でお知り合いになって、今現在、私のいろんな力になってくださっている方々とも、ほまがいなければ知り合うことができなかった。

そして何より、かわいいねこさんがいつもそばにいる、という幸せを味わうことはできなかった。

もちろん、病気になったときの大変さ、経済的な痛手、多々ありますが、そんなマイナスなんて、この大きなプラスに比べたら、へでもない!

・・・そう思える、この思考方法、これが何より大切なわけです。


今日お話したいのは、私の離婚の決断、これもまた、間違ってはいなかった、ということです。
その前に、結婚自体が間違っていたのではないか?
他の人と結婚していれば、または結婚自体していなければ、離婚なんて大変な経験をすることもなかったろうに・・・。
という考え方もあるかもしれません。
私自身、「あー!もう! こんな人と結婚するんじゃなかった!」と思うことはそりゃありますよ、人間ですから。
でも、すぐに冷静になって考えます。
もし、この人と結婚していなかったら、私の子どもは薫でも紫苑でもなかったんだ。
いや、子ども自体いなかったかもしれない。
確かに、薫の障害は、私にとって大きな悲しみであり苦しみではありますが、それでも、私は薫と紫苑が自分の子どもとして今、そばにいてくれることを幸せだと思っています。
だからもし、結婚していなければ、この子達はいなかった、と思うと、元夫との結婚は、私にとって間違いでも、消してしまいたい過ちでもない。

そして、離婚ですが、やはり、障害を持つ子供を抱え、毎日仕事でくたくたになり、お金もなく、将来も不安で・・・。
我慢していればよかったのかな、離婚しないで・・・、と思う瞬間があったとしても、すぐ次の瞬間には
「でも、もし離婚していなければ、私は今もあのマンションに家族4人で住んでいるわけで、だとしたら、当然、ねこさんに囲まれた今の生活はなかった。
そして、離婚しなければ、ここに引っ越してこなかったわけだから、そしたら、前の職場とも、今の職場ともめぐりあってなかった。」
という思いが頭に浮かびます。
離婚してここに引っ越して来たからこそ、そこでバイトできたわけで、そこでの仕事を通じて、私は自分にとっていろんなプラスを得ることができた。
イラストレーターでの作業にしても、前職場でバイトしなければ、いっさい関わりのない分野だったはず。
イラストレーターをさわるようになって、新たな自分の能力が開花されたことは事実。
人との出会いもそう。
TさんにもKさんにもOさんにも、出会えてとても感謝してるし、今の職場の方々もそうです。
もし離婚していなければ、これらすべてがなかったわけですから、離婚によってもたらされたマイナス面よりも、このプラスの方が私にとっては大きい、そう思うんです。
失ったものも多いけど、得られたものがあるじゃないか、と。
そっちを見ようよ、と。
そっちの方が大事でしょ、と。


・・・まあ、これは今更思ったわけでもなく、前から言ってきたことですが、今日改まってなんでこんなことを言い出したのか、というと、元夫の子どもへの態度で、ちょっと思うことがあったからです。

薫が高校を卒業したら、父親の元で暮らすのがいいかも、と思って、相談してみたのですが、断られました。
私としてはこれは少々意外でした。
離婚時、薫だけでも自分の手元に、と言ってさんざんごねていた人ですし、本来子どものことをとてもかわいがる人。
正直、いっちばん大変な時期を、すべて私が一人で面倒見てきたわけですから、ここで父親のところへいっても、向こうとしては比較的ラクなんですよ。

どうやら再婚の予定があるようです。
それは当然あってもおかしくないことですが、だからといって、自分の本当の子どもが「一緒に暮らしたい」と希望しても、「再婚して新しい家庭をもつからだめ」とあっさり断るもんなのか、と・・・。

これは男親であるがゆえに生じる自己中心的な考え方なのでしょうかね。
まあ通常、母親の方が子ども引き取って一緒に暮らしますわねぇ。
うちもそうですが、それでも、もし万が一、母親が死んだら?
どうすんの?
そしたら親として残ってるのは父親だけでしょ?
私の感覚からすると、当然、父親が子どもを引き取って育てるもんだ、と思うけど・・・。
再婚すると、それはだめなんですか?
それはちょっとおかしくないですか?
まあ、母親の死亡というのは一番極端なたとえですが、でも、新しい家庭も確かに自分の家庭で、そこに対する責任というのは当然あるでしょうが、それ以前に自分が作っていたもの、つまり先妻との生活、そしてその子ども、それらも確かに自分のものであり、それに対する責任というのも消えはしないでしょう?

「再婚する、新しい家庭をもつ」だからだめ
と、最初からそれが当然と決めつけた態度、これに疑問を感じました。

もちろん、私としても、再婚した家庭に薫や紫苑をいかせても、気まずい雰囲気になるのは分かっているのでそんな気はありませんよ。
向こうもいやでしょうが、薫や紫苑の方がもっといやだと思うし。
お互いのためによくないですから、再婚するならいかせるつもりはありません。
あちらサイドに気をつかうという意味ではなく、薫と紫苑にそんないやな思いをさせたくないから、行かせない。
ただ、父親のその態度、自分の子どもを受け入れられるようなんとか努力しよう、相手を説得しよう、というような姿勢がはなっからない、というのがカチンときたんです。

男親は子どもを引き取らなくてよい
男は再婚時身軽だ(=子どもは母親の元へ)

という変な固定観念が社会にはびこってるようで、それがいやですねぇ。
実際には子どもを引き取ってがんばって育てている父親だっていっぱいいるのに、そういう少数派は目に入らないようですね、世間一般の人たちには。
これがもし、離婚した時に子どもを引き取っていたら、再婚する時には、子ども込みでOK、という相手でなくてはだめ、となるわけでしょ?
まさか再婚するから子どもをそっちで引き取ってくれ、なんて言わないでしょ?
「子どもがいる自分」というのを相手に受け入れさせない、ということが私には理解できません。
あ、もしかしたら、相手だけでなく、自分自身も受け入れてないってことかな。
今一緒に暮らしていなくても、一生そうだ、とは限らないじゃないですか。
何があって状況が変わるか分からない。
ひょっとしたら子どもを自分が引き取る日が来るかもしれない。
その可能性をまるっきり否定したまま、子どもは母親任せの(子どもに対して)無責任な考え方で再婚をすすめるって・・・。
自分が親であるという事実は消えない、そしてその事実がある限り、自分は子ども込みで考えてもらう必要がある(自分もそう考える必要がある)、私はそう思いますが、どうでしょう?
やっぱり「子どもはよほどひどい母親でない限り、女性側が引き取るもの」それが当然、という考え方がどうにも染みついているようですね、世の中には・・・。


ついでにいうなら、薫の障害に対するケアに関しても、私は元夫には不満があります。
先ほどちょっと述べましたが、「一番大変な時期」に、大変なことはすべて私一人でやってきたんです。
世の中には、両親そろって、または父親だけで、子どもの病院に出向いたり、進学先を確保するために奔走している家庭もあります。
高校入学時、薫のような障害のある子を受け入れてくれる学校はほんのわずか、ですから親は必死で受け入れ先を探します。
その説明会に、父親が姿を見せているケースはわりと見かけます。
うちでは、2校ほど、一緒に説明会に参加してもらいましたが、その他いっさい彼は参加していません。
もちろん、自ら薫の進路を考え動く、などということもありません。
病院だって、一緒に行こうとも言いませんし、薫の障害の程度、内容について聞いてくることもない。
言われれば行くし、相談されれば答えはするけど、でも、決して自分から動くことはない。
・・・。

おそらく離婚せずに一緒に生活していても、こういう感じだったんじゃないかな。

離婚しても、親であることは一生かわらないので、親としての部分では、きちんと役割を果たす

・・・という考え方だったのですが、どうやらそれも相手には通じてなかったようです。
そもそも、常識や、人間としての根本的な考え方に、私と元夫はどうしても相容れないところがある。
それ故離婚に至ったわけですが、それは離婚してからも変わらない。
・・・まあ、当然か。

正直、彼に「親としての役割」の部分を期待する気持ちが私にはありました。
子どものことは、私のこととは別ですし、子どもをかわいいと思ってるからには、それなりにやってくれるだろう、と。
しかしながら、それは大きな間違いだったと今、改めて実感しているところです。

これは、私の間違いであったと後悔すべきところでしょうな。
今後一切、何も期待するな、と。
すべて、何もかも、私一人でやっていくんだ。

そう決意も新たにした、というわけで、こんなに長々と書いてしまったわけであります。


・・・ただ、私が突然死んだら、どうなるんだろう?
だれに託せばいいんだろうね、この子達を・・・。