誤解を恐れずに言ってしまえばw・・・ここからは独り言だから、軽く聞き流して欲しいんだけど・・・
「この世のすべて=神」であるならば・・・「私」も「あなた」も、さらにとんでもない事をする「あの人」も「あの人達も」すべては「神の一部」でしょ?
この「3次元的世界」が「究極の2極の世界」だとしてもね・・・「すべては神の一部」って事だから・・・
「此処」が何次元だろうが、「あの人」「この人」の「波動」が「高かろうが、低かろうが」・・・「良い人」だろうが「悪い人」だろうが・・・「天使」だろうが「悪魔」だろうが・・・普通は「見えない」「聞こえない」不思議な事を「見えようが、聞こえようが」・・・「見えなくても、聞こえなくても」・・・
結局ね~・・・「この世のすべては神=愛」でしか無い訳でしょ?
「光の勢力」「闇の勢力」って、言ってもね・・・普段はみんな仲良しな「神のクラス」の中を「紅組」「白組」に分けて「ゲームを楽しむ」・・みたいな事で・・・「ゲーム」が終れば・・また普段の「仲良しなクラス」に戻っちゃうんだよね~~w
あらゆる宗教、哲学の「解釈、教義」とかね・・・難しい話も沢山あり、なるほど!・・と、思う事も有るけど・・・難し過ぎて、何だかなぁ~~好きになれないw
「レイライン」とかもさ・・・「何処と何処が直線で繋がる」・・さらにその直線状に何何が有る!・・・って、聞くとね「おぉ~すごい!!そこにどんな意味があるんだ?」・・・とか、興味をそそるし・・・
「9・11」「3・11」何やら意味ありげな「数字」・・・この世の出来事は、結構「数字」に支配されている・・・「その数字にどんな意味が有るのか??」・・・・何かが「仕組まれているのか?」「仕組んだのか??」・・・とか、その「意味」を、つい深読みしたくなるんだけど・・
「レイライン」とか「世界の古代遺跡」が、どっちを向いてもピッタリ何度の角度で!・・・・って、聞くと驚くんだけどね・・・
例えば「将棋」は・・・
・・・「将棋盤」は、ピッタリ90度で、すべての線が交わっる様に「線」が引いて有り・・・「9×9」の81箇所のエリアの何処に「何の駒」が有り・・・「七3銀」「八5歩」とかね・・・その「数字の組み合わせ」に意味が有り・・・その「駒=個人」がそこから「どう動こうとしているのか?」・・・が、お互いの「ルールを踏まえた自由意思」に任されているお陰で「その先の展開」が、まるで判らないので「ゲームとして楽しい!」・・・んですよね~~
「何かが」「どこかが」・・・似ていると思いませんか?w
「悟り=解脱」を得る為には大変な「修行が必要だ!」・・・って事も、過去には在りました・・・それが「ゲームのルール」でしたから・・
・・・「チェス」と違って「将棋の特徴」は、取った「相手の駒」を、味方として自由に使えちゃうんですよね~~w
将棋のゲームの中で「駒=人」と、見立てるとそこで起こる事は「殺人」「寝返り」「策略」「権力争い」「損得勘定」・・・その駆け引きを「相手の思惑を先読み」しながら「戦う」んだけど・・・それを「人生そのもの」にしちゃうと「大変」だけど・・・それを「将棋盤のルール」に置き換えて楽しむのが「将棋」なんですよね~・・・「実在」じゃ無いものとしてね・・・
「実在」じゃ無いのに、あたかも「実在」だと思って「神のゲームの駒」に成り切ってしまうと「ゲームの終了=目覚めの時」である事を、判らなくなったりします・・・
「90度に交わる線」「9×9の81マス」・・・それぞれの「駒の性質」と、その数字で表わされる「位置」と「采配」・・・
「この世のすべては神のゲーム」・・・ですよねw
皆、同じ現実にいるように感じてるけど、個々作っている現実は本当に違います。
私もいま、まさに自分で現実を作る場所で働いています。何を選ぶかで結果は違ってきます。楽しむか、苦しむか。全て自分。神様に
ほら、どうしたいの?一瞬一瞬問われてる感じしますね。すごいゲームに参加してるのかも~
はじめまして(^^)
ブログいつも楽しみに読ませていただいてます。
やまさんの書かれる記事が一番楽しみです。
今日の将棋の例えはとっても分かりやすく、ピタッとはまりました♪
神のゲームの駒で...自分の神の一部で...
なんか元気出ました(^-^)
ありがとうございます!
今回の地震と、これから起こりうる激しい雷雨は、人工地震と影響しているのでしょうか?また、パナマペーパーとの関係が、あるのでしょうか?