討論の広場

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米山リサ著 『広島 記憶のポリティクス』(2005)を読みました。

2005-11-02 16:16:59 | Weblog
 E.W.ソジャのポストモダン地理学やD.ハーヴェイの時間・空間論を関心を持ちつつ、実際自分が社会を身近なところで読み解くにはどうすればよいかと苦慮しているさなか、米山リサさんの『広島 記憶のポリティクス』に出会いました。

 著者は、「ヒロシマ」を、「多次元的な意味を求める多様な動きと、それを封じ込めようとする力のせめぎあいの場」とみます。原爆の体験を契機に、広島はさまざまな歴史的意味をさまざまな主体から付与されてきました。それは原爆投下の被害者として、日本の軍事戦略の帰結として、核戦争の先行イメージとして記憶されています。歴史のなかで悲惨な事実を経験したのが広島なのです。

 しかし、「地方の時代」のなかで行政や都市開発プランナーは、荷が重過ぎる「ヒロシマ」のイメージを脱中心化することに努めてきました。被爆体験という悲惨な空間的意味は、後期資本主義が欲する「気軽さ」や「明るさ」の表象と矛盾する。とりわけ観光産業の促進には、これまでの被爆の意味をつくりかえる必要が出て来ます。

 それは被爆の事実を忘れ去ることではない。都市プランナーが目指す空間的戦略は、「それぞれに異なる時間性に規定される都市の異質な地勢に訪問者を向けさせるような」ものとなります。ヒロシマは観光客向けの消費の対象に変換され、諸外国の大都市と同じ地平に配置されます。著者はこの過程を、「歴史体験の文化的意味と解釈をめぐる現在進行形の抗争を隠蔽している」と批判します。

 広島の空間的意味をめぐるポリティクスを、ポスト・フォーディズムの経済体制やポストモダニズム下の文化戦略と接合させて論じながらも、経験的にかつ批判的に論じた本書は、グローバル化とローカルな過程を扱う今後の研究には欠かせないものであると思います。
(ごとう)